北大糾弾ニュース 78号 2019 年2月28日発行

 「坪井正五郎と吉見百穴」
    室山 祈 (ピリカ全国実・関東グループ)

 

私の卒業した高校の近くに古墳時代後期遺跡「吉見百穴」があります。地元埼玉では結構有名で少年ドラマ「ナショナル・キッド」「仮面ライダー」や「おもいっきり探偵団」のロケ地にもなっています。ところがこの遺跡が坪井正五郎と関わりがあるのです。
  坪井正五郎(東大理学部教授)といえばあのおぞましい小金井良精(東大医学部教授)と共謀してアイヌ民族の墓を荒らし回った極悪人ですが、それが「吉見百穴」に隣接する吉見町埋蔵文化財センターでは、「日本人類学の父といわれる坪井正五郎大先生」と崇め奉られていました。1887年東大大学院卒業論文作成のため「吉見百穴」を坪井は、調査しています。その時の写真が公開されていますが、東大の学生服を身につけ、遺跡の前で、さも偉そうにふんぞりかえっている姿を見たら、誰でも一目で「こいつヤナな野郎だな」と思います。ところが、この埋蔵文化センターで出されている坪井正五郎を紹介したパンフレットを書いた人が、私が高校時代に生徒会機関誌活動をしていた時の顧問の先生だったのです。当時日教組のバリバリの活動家の先生で「世界史」の先生でした。
 この先生は後に埼玉県の歴史博物館の館長になったり、大学の先生になったりして2年ほど前亡くなった方ですが、この人が坪井正五郎を「吉見百穴」の歴史的意義を発見した人だと言わんばかりの大賛辞をしているのです。歴史を研究しているのなら坪井正五郎がアイヌモシリでアイヌ民族の墓を小金井と共に荒らし回った事を知っていたはずですが、この事には一切触れていませんでした。
 坪井正五郎についてもうひとつあります。2年ほど前に博多に行った時、博多人形館で世界各国の民族衣装をつけた博多人形のコーナーがありました。そこに何と坪井正五郎の写真と業績が展示されていました。まるで「人類館」事件を居直るような内容でした。このように、アイヌ民族遺骨を小金井良精と共に盗掘した坪井正五郎が人類学や考古学の父のように言われ、その影で彼が行った「学問の暴力」を問いただせない現状をなんとかしなければならないと思います。そして「民族共生空間」という空虚な掛け声のもとにアイヌ民族の遺骨を蹂躙する「慰霊・研究施設」なるものが2019年秋〜20年はじめに、白老町で開設されようとしていますが、私たちは絶対にそれを許してはならないと思います。
 
野宿者対策とむすびついた植民地支配
    金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 

1894年8月1日にはじまったとされる日清戦争は翌年の4月17日に下関講和条約の締結によって終わったことになっています。しかし、近代日本にとって最初の対外戦争となったこの戦争が1894年8月1日に 突如勃発したわけでもなければ、1895年4月17日に終結したわけでもなく、8月1日の戦争勃発にいたるまで戦火の火種はくすぶっていたし、下関講和条約の締結後も戦火の火が消えたわけでもなかったのです。そればかりか戦火の火はその後、20世紀前半の50年間に渡って燃え続け今もくすぶっています。
 表面的には戦争の終結とされた下関講和条約に対して怒りや敵愾心、あるいは屈辱を感じたのは戦争に敗けて、領土を割譲されて莫大な賠償金をとられた清国側だけではありませんでした。下関講和条約に書かれた、「朝鮮が完全な独立国であることを確認すること。」と朝鮮の代表のいない所で日本と清国の間で勝手に独立国にされて実質は日本の支配に置かれた朝鮮もまた怒りや屈辱感を押さえることができなかったでしょう。一方で戦勝国であるにもかかわらず、三国干渉を突きつけられた日本側もそうですが、それとはまた別の意味で屈辱感を持った者たちがいました。
 それは宇品港、つまり広島から4月10日に出撃して大連に到着した4月14日に全戦線に休戦命令がくだり――すでに3月30日、台湾以外の地で停戦が調停されていたにもかかわらず清に出撃した! ――17日には下関講和条約が締結したため何もやることがなくなった兵隊たちのことです。だからと言って大連や旅順観光をする気にもならず――兵隊たちは戦争のために来たのですから――軍艦で油を売っていました。しかし、日本政府はその兵隊たちにいつまでもムダ飯を食わせて油を売らせはしませんでした。下関講和条約で台湾割譲が決まると同時に台湾に転進命令を下したのです。その約1ヶ月後の5月22日に北白河能久親王が乗った薩摩丸を先頭に16隻の軍艦が旅順港から出撃しました。そして、5月29日、台湾北部の奥底での戦闘がはじまりました。
 日本と清の間で「化外の地」として勝手に割譲された台湾では総統に就任した唐景鷭簓錣台湾民主国宣言を発し、民衆も抵抗闘争に起ち上がりましたが、休戦による 抑圧を爆発させた日本軍を押し止めることはできませんでした。作家、西川満は台湾縦貫鉄道(人間の星社)で従軍写真技師、いわば戦場カメラマンの恒川清一郎の目を通じてこの時の兵隊たちがいかにいきいきと台湾に侵攻して行ったかを書いています。
 6月7日、日本軍はベッケル技師、マシスン技師の涙の結晶と言うべき台湾縦貫鉄道――1893年にようやく基隆から新竹まで約100キロが開通しました。新竹から終点の高雄まで322キロです――残されたドイツのホーヘンツォレルン社が1887年に製作した蒸気機関車を接収しました。それは初代巡焦、劉銘伝が命名した騰雲1号でした。1895年6月10日には修繕を終えて基隆から台北まで、7月10日に新竹間の運行しました。こうして日本は植民地政策に不可欠な鉄道を獲得し、それ以後、台湾全土に鉄道を建設していきます。しかし、その鉄道建設工事は台湾原住民たちを「賦役」として動員し使い棄てた奴隷労働そのものでした。 (つづく)

 


北大糾弾ニュース 77 号  2019 年 1 月 23 日

遺骨返還の闘いは継続中、

    北大は話し合いに応じろ!
           村田 遼(ピリカ全国実・札幌圏)


 昨年6月24日、旭川地方裁判所での「和解」に基づいて、遺骨と副葬品の返還をかちとり、皆さんの支援もあって埋葬と供養の儀式(イアレ)を終えた。しかし、北大にたいする闘いはこれでもって終わったのではなく、以下の重要問題が残されているので継続した。
 昨年7月17日、旭川アイヌ協議会は北大の総務部を訪れ、課長に対して丁寧に申し入れの趣旨を説明し、北大総長・名和豊春に以下の申し入れ書を手渡した。
 「質問と話し合いの申し入れ」と題したその申し入れ書の要旨をはじめに紹介する。
 今回の民事裁判での『和解』協議という形では解決しえない以下の3点の問題が存在することが、裁判の経緯で明らかになった。その3点とは、
、北大は、名前が特定できている男性の遺骨の名前、住所、記録などを、埋葬主体である旭川アイヌ協議会に教えていただきたい。
、情報公開制度によって北大から取り寄せたデータに、副葬品に「ガラス玉2ケ」が存在するとの児玉メモがある。しかし北大は裁判での準備書面で「今は保管していない」としているが、なぜ無くなってしまったのか、真実を明らかにすべきである。
、2013年3月発行の『北大医学部調査報告書』の22〜23頁に、1936年2月3日〜2月11日の期間、旭川市近文で184人のアイヌ民族に対して、人類学的計測、頭部の「精密ナル」生体測定、頭部の「正確ナル」三方面からの写真撮影、さらに「アイヌ」人容貌ノ人類学的観察も行ったと書いている。このような計測、撮影、観察などはアイヌ民族の人権を蹂躙し、侮辱している。北大はこれら人権を侵害している「個人情報」を、私たち旭川アイヌ協議会に閲覧させ、そのとり扱いについて話し合いをすることを要請する。以上の3点について北大総長、医学部長たちとの話し合いを求める。
 しかしながら、北大は「すべては終わっている」との態度でもって、文書「回答」もよこしていない。
 遺骨の返還時に際して、返還に臨んだ北大副学長は、川村シンリツ・エオリパック・アイヌ会長から「遺骨を盗んで研究材料にしたのであるから、謝罪せよ」と迫られても、無言を決め込み、謝罪しなかった。その姿勢が今回の話し合い拒否にも貫かれている。
 引き続き北大を追及していく決意です。支援よろしく。

 

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配     

     金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 

 2018年10月23日、台湾の東部を走る宜蘭線の普悠瑪(プユマ)号で脱線事故が起きました。この線路もまた日本の植民地政策で作られた物です。粗い読み方をするなら15世紀以降のヨーロッパ各国間の植民地資源の強奪は18世紀後半の産業革命で誕生した蒸気機関車は鉄道によって港の貿易船と結びついたことで資本主義経済をより暴力的に発展させました。さらに1871年、ドイツはフランスとの戦争に蒸気機関車で兵隊の輸送することで勝利し、南北戦争以降、欧米列強各国は機関車そのものを武器にした列車砲の開発に乗り出していました。このような欧米列強国の植民地強奪戦争に遅れて参戦した新興国の日本もまた北海道開拓を掲げて鉄道建設を行いました。
 台湾での鉄道建設は1887年に基隆から西へ向けてはじまります。1884年の清仏戦争で台湾の防備で功績をあげた台湾巡撫(知事に相当)の劉銘伝によって国防の観点から鉄道建設が提唱されました。いわば、欧米列強の植民地支配に抗するために鉄道建設がはじまったわけです。清末期に起こった欧米の近代文明を取り入れて国力増強する洋務運動推進派として、衛生事情の改善や電信ケーブルやガス灯設置などのインフラ整備などの改革に取り組んだ劉銘伝の意気込みは、保守勢力の強い中国本土、つまり、このごに及んでもまだ手を打たない清政府に見切りをつけて福建省から台湾を分離して新たに台湾省を作り自分が巡撫になるほどでした。このような時代背景から台湾での鉄道建設がはじまったのですが、その鉄道建設にイギリス人のH・Cマシスン技師、ドイツ人のベッケル技師が呼ばれました。国防のための鉄道建設にアヘン戦争で銀を強奪し人民を廃人にしたイギリス、台湾の植民地化を主張する新興国ドイツに頭を下げなければならないとすれば、一体、何のための国防だったのでしょうか。それが名ばかりのものであったことは、洋務運動推進派にイギリス軍と共に太平天国を壊滅させ、下関条約で清側の全権大使として台湾を化外の地と言って日本に差し出した李鴻章がいたことからも明らかでしょう。
 1853年のロシア艦隊、1854年のペリー艦隊が日本に来た際、両国とも蒸気機関車のモデルを持って来ました。つまり、植民地政策を意図する欧米列強各国にとって蒸気機関車をちらつかせることで政治を行ったということです。台湾もまた例外ではありませんでした。しかし、イギリスやドイツの欲望とは裏腹に基隆から台南までの鉄道建設工事は台北までの28,6キロの鉄道建設工事が4年がかりで測量がまだ半分も進んでいない難工事になりました。一体なにが原因だったのかと言えば、鉄道工事の作業員たちにやる気がなく勝手に工事予定の経路を変えたり、線路沿いの畑の物を無断で食べたり、測量の杭を抜いて飯炊きの薪にしたり、線路を敷くと風水が悪いと地元住民たちが抗議したためです。
 イギリスが1876年に上海に建設した呉淞鉄道の列車が開通する前に地元住民の、鋼鉄の車体のために悪魔の使徒として、疫病を蔓延させる物として、身内を不幸にさせた物として鉄道会社は焼き討ちされ、線路は剥がされ、列車を川に投げ捨てて歓声をあげて爆竹を鳴らした悪夢の光景がマシスン技師の脳裏によみがえったにちがいありません。
 相方のベッケル技師にまで逃げられたこの鉄道は、1891年に何とか開通にこぎつけました。マシスン技師にはここから台南までさらに鉄道工事をしようという気力も財力も残っていませんでした。台湾省の役人たちが腐敗堕落して各種事業を担保にしたため財政が疲弊したからです。この鉄道を日本が台湾占領と同時に接収したのです。 (つづく)


北大糾弾ニュース76号 2018.12.12発行


琉球民族遺骨返還訴訟が訴えるもの
 
           木村敬(ピリカ全国実・関西)
 
 1928〜29年に沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の百按司墓(むむじゃなばか)より京都帝国大学の金関丈夫(かなせきたけお)が持ち出した遺骨の返還と損害賠償を、京都大学に対して求める「琉球遺骨返還請求訴訟」が12月4日にはじまった。
提訴当日の夜に行われた報告集会では、「京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会」とピリカ全国実・関西も、アピールする機会を得た。この訴訟が、アイヌ民族遺骨返還問題と深く関わりがあることを示すものである。
 「京大・追及する会」は、2013年より京大にあるアイヌ民族遺骨返還を求めて活動してきた。京大は、話し合いはおろか、申し入れすらする機会を与えず、署名をも送り返す状態にある。琉球遺骨返還に対しても、まったく同じ対応をしている。これは京大が、自らの帝国主義侵略に加担してきた歴史と、人類学の下で行ってきた犯罪を隠すために、問題の拡大をおそれているからではないだろうか。しかし実際に、琉球遺骨返還訴訟をはじめ、様々な団体からの抗議やアピールがおこるなど、問題は目に見えて拡大している。私たちは琉球遺骨返還訴訟と連携し、京大の責任を追及し続け、植民地拡大の中で奪われてきたすべての遺骨返還につなげていかなければならない。
 また、今回の訴訟について注目すべき点の一つに、原告5人の顔ぶれがある。亀谷正子さんと玉城毅さんは百按司墓に葬られた第一尚氏の子孫であるが、松島泰勝さんと照屋寛徳さん、金城実さんは「琉球民族であり先住民族」として原告となっている。アイヌ民族は日本政府も権利保障ぬきではあるが「先住民族」として認めている。その一方、国連が日本政府に対し、先住民族であると認め、差別是正を行うよう勧告しているにもかかわらず、いまだ琉球民族は「先住民族」と認められていない。3人の原告適格性を裁判所が認めたならば、日本の「祭祀承継権」ではなく、琉球民族を先住民族としての特別性を有することを考慮したということになる。つまりこの裁判は、琉球民族が先住民族であると認めるかどうかを法的に問う最初の裁判であるとも言える。遺骨返還訴訟であることは言うまでもなく、先住民族権を求めた訴訟であることを意識して支援していきたい。

 

<琉球遺骨返還請求訴訟原告団はカンパを求めています>
  ゆうちょ銀行那覇支店 01750-6-170058  松島泰勝 あて
 
野宿者対策とむすびついた植民地支配
            金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
  
 1927年、台湾総督府交通局鉄道部が編集、発行した『台湾鉄道旅行案内』に台東線の台東駅の付近案内、つまり観光名所として、「岩湾浮浪者収容所」が書かれています。
 

<岩湾浮浪者収容所>
 停車場の北一里半卑南大渓の右岸に近く、手押台車の便あり、二時間で往復することが出来る。現在収容人員三十四名耕作、牧畜、手工等に従事して居る。
 このような他民族に対する暴力性は1981年のJTBによる、「本物のアイヌ部落見学、毛深いアイヌの古い風習と文化を見学」の趣旨でアイヌ民族を見世物として売り出した民族差別事件(編集部注:日本交通公社がジャパンタイムズ上に北海道ツアーの広告を載せたものが差別的であるとして、「日本交通公社のアイヌ差別を糾弾する会」が日本交通公社とジャパンタイムズ社に謝罪を要求した)に連なるものです。改めて1903年、大阪の天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会で沖縄人、アイヌ民族、台湾人、朝鮮人などが展示された人類館事件を想起しなければならないでしょう。しかし、原住民を「浮浪者」として取り締まった収容所をみて何を思えと言うのでしょうか。この旅行案内に書かれた原住民の説明について読んでみます。
 生蕃は主に行政域外の山地に居住し平地には観光の為にまれに警察官等に引率されて下山する位のもので、普通台湾へ来ても平地では容易に蕃人は見られないのである(台湾鉄道旅行案内『蕃人の話』より)
 日清戦争からわずか30年で台湾では原住民を見ることができなくなったというわけです。そこにどれだけの弾圧と皇民化政策があったか分かるかと思います。そして、驚くことにここで書かれているように警察官等が観光のために山から原住民を連れて来ていたのです。警察官等が連れて来る、それだけで観客がどのように反応したか想像がつきます。連れて来られた原住民が観客の前でどう振舞おうとも、いつの時代も警察官等に連れて来られるような者が好意的に見られたためしはありません。思いきって言えば、そのような者は「犯罪者」です。しかし、その見世物興行もまれにであって、台湾に行けばいつも見れるというような物ではありませんでした。
 それでも原住民を見たければ台東に行けと言うことでしょう。
  (編集部注)台湾では先住民族が自らを「原住民」と称しています。そのため筆者は、原住民という用語を利用しています。


琉球新報より 2018年12月6日

京大、遺骨保管認める

奄美群島4体 調査「時間要する」

 

奄美地方から持ち出された遺骨を保管していた

箱の一部とみられる板(ピリカ全国実・関西提供)

 

 

 旧帝国大学の人類学者らが奄美群島から持ち出した遺骨が返還されていない問題で、京都大学は5日までに、喜界島から持ち出された4体の遺骨を保管していることを認めた。京都帝国大学(現在の京都大)で教授だった清野謙次氏(1885〜1955年)や門下生が持ち出した遺骨とみられる。遺骨が京都大学に寄贈されたことは文献などから確認されていたが、京都大が認めたのは初めて。


京都大は琉球新報に「1994年9月から12月ごろに人骨を適切に保管するため、保管箱を交換した。指摘の人骨は移し替えた保管箱に収納し、現在、本学総合博物館の収蔵庫において保管している」と答えた。収蔵された経緯については「順次調査を進めているが、学術的観点からの精査を経た全体の正確な把握にはなお時間を要する」として答えなかった。

遺骨を巡っては保管箱の一部とみられる板が京都大学のゴミ集積所で見つかった。板には「清野蒐集(しゅうしゅう)人骨」「大隅國(おおすみのくに)大島郡喜界村赤連ダンムチノ下」などと書かれており、4体分の標本番号が記されていた。板は現在、沖縄の「アイヌ民族と連帯するウルマの会」が保管している。

奄美群島の研究者らでつくる「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」は、ごみ集積所に板を置いたことに対して京都大に抗議した。同会の調査によると、奄美群島から計260体余の遺骨が持ち出されている。

 

 

 

 

 

 

 

 


「北方領土の日」反対!北大人骨事件糾弾!「アイヌ新法」実現!第25回札幌全国集会に参加を!


  アイヌ・琉球民族の遺骨返還をかちとろう!
−白老「慰霊・研究施設」開設を許すな! 

  憲法改悪、天皇即位式典に反対しよう!

 


【集会要綱】
第25回「北方領土の日」反対!北大人骨事件糾弾!アイヌ新法実現!札幌全国集会
1月27日(日)午前9時半〜午後3時半。終了後デモ行進
会場・札幌市教育文化会館(地下鉄東西線「西11丁目」)  参加資料代千円

 

メインの発言者(敬称略)

・川村シンリツ・エオリパック・アイヌ
・松島泰勝(龍谷大学教官): 琉球民族の遺骨返還裁判原告

・三木ひかる(ピリカ全国実、史的唯物論研究所)

 

アイヌ民族の訴え

 ・木幡サチ子(ユーカラ伝承者)、

 ・木村二三夫(平取)
   ・葛野次雄(静内)

 ・帆江進(有珠)

 ・平田幸(レラの会)

 ・荒木繁(札幌)

 

 ・木幡寛(札幌)
道内、全国からの報告、集会決議採択

 

◇全国集会の終了後、午後5時半、同会場
「ピリカ全国実代表・山本一昭さん追悼集会」を開催。参加費(弁当・飲み物付)千円◇



 ピリカ全国実行委員会(「北方領土の日」反対!アイヌ新法実現!全国実行委員会)
        〒003-0021札幌市白石区栄通10丁目5-1-301 電話・FAX011(375)9711
   賛同カンパの送り先(郵便振込口座02740−4−1679 ピリカモシリ社)



札幌全国集会へのよびかけ
 

全国の会員、仲間のみなさん!
  私たちは、アイヌモシリ略奪・植民地支配、アイヌ民族虐殺・差別・同化政策の全歴史を肯定する「開拓史観」を賛美する「北海道150年式典」を弾劾して、昨年8月4〜5日、天皇出席の「北海道150年式典」反対!アイヌ民族連帯札幌集会・デモにとりくみました。
 安倍改憲政権は、2020年新憲法施行にむけ、19年7月参院選前に改憲案発議を急ぎ、改憲国民投票実施、天皇制再編強化(天皇退位・即位)−元首天皇制確立、「戦争する国家」へとつきすすんでいます。また日本独占資本による低賃金の単純労働力確保を目的に、かつ外国人労働者を治安対象とする徹頭徹尾人権無視の出入国管理・難民認定法改悪案を強行成立させました。

 

   アイヌ民族の主権を蹂躙する「日ロ領土交渉」に反対する
 11月14日、シンガポールでの日ロ首脳会談で、日ソ共同宣言(1956年)を基礎として、平和条約締結を加速することで「合意」し、安倍首相は「2島先行返還」に舵をきりました。アイヌ民族を無視した日ロ領土交渉を進めること自体がアイヌ民族の自決権、先住権をさらに蹂躙するものであり断じて許すことはできません。
さらに政府はアイヌ民族の自決権・先住権を完全に否定し、アイヌ文化の地域振興策として「アイヌ新法」の制定を策しています。
1980年海馬沢博さんが北海道大学に遺骨・副葬品の返還を要求して以来40年、アイヌ民族のねばり強い闘いによって、遺骨返還訴訟での「和解」が成立し、ようやく遺骨が返還されました。しかし、40年にわたるアイヌ民族の強い抗議にもかかわらず、謝罪も賠償もなく、ごく一部の遺骨が欺瞞的に返還されただけです。日本政府、大学はほとんどの遺骨を本年度中に北海道白老町に開設する  「慰霊・研究施設」に集約し、引き続き「研究材料」にしようとしています。
  この「研究」は、日本民衆のなかにアイヌ民族蔑視と差別をいっそう深く浸透させ、天皇制国家の民衆支配のイデオロギーとして大きな役割を果たしました。アイヌモシリ侵略を当然視する日本政府、各大学は、墓地破壊、遺骨・副葬品略奪について何のとらえ返しも反省もありません。

 

    天皇制日本国家のアイヌモシリ、琉球への植民地支配の歴史を弾劾する
  日本労働者人民がアイヌ民族の遺骨返還の闘いに連帯することは、天皇制国家のアイヌモシリ侵略の歴史、したがって自らが侵略者、差別者に仕立て上げられ皇民化された歴史をとらえ返し、労働者人民自身として自己を確立、解放する闘いです。遺骨返還の新たな局面を切り開くため奮闘しましょう。
12月4日、琉球遺骨返還訴訟原告団(5人)が京都地裁に京都大学を相手に「琉球人遺骨の島への帰還」を要求して提訴しました。原告の松島泰勝さん(龍谷大学教授)は、「琉球人遺骨の盗掘と日本の琉球に対する帝国主義、植民地支配と深く結び付きながら行われました。日本帝国主義からの解放を求める、琉球人の自己決定権行使が遺骨返還の闘いなのです」(11・18アイヌ民族連帯!大阪交流集会への連帯メッセージ)と述べています。また「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」が3月にたちあげられ、「遺骨返還を求める要望書を政府や京都大学に送ったが回答はない」(琉球新報 18年11月17日)と報道されています。琉球民族の遺骨返還訴訟を支援する会が東京、奈良、大阪など各地で立ち上げられ、支援の輪が広がっています。
琉球民族の遺骨略奪は日本天皇制国家の沖縄併合をまざまざと示す証左であり、その返還要求は琉球・沖縄人民の併合粉砕、自決権獲得の重要な内容をなすものです。琉球民族の遺骨返還運動に連帯し、連携した力でアイヌ民族、琉球民族の遺骨返還をかちとりましょう。白老「慰霊・研究施設」への一括集約を阻止しましょう。
12月14日、政府・防衛省は辺野古新基地建設反対の沖縄の民意をないがしろにし、辺野古沿岸部への土砂投入を強行しました。琉球・沖縄人民は、工事再開当日から海と陸で、工事阻止の大衆的直接行動を連日闘いぬいています。沖縄・ヤマトを貫いた土砂投入阻止の闘いをつくりだしましょう。
  沖縄、関東、関西でも集会を準備しています。多くの仲間の参加を呼びかけます。(2018年12月15日)

 

 

各地の集会案内

■沖縄■20192月9日(土)13時15分〜17時

 2・9琉球・アイヌ民族の遺骨返還を求める沖縄集会

       報告:木村二三夫さん(平取)

 会 場:沖縄キリスト教センター(宜野湾セミナーハウス)

 主 催:第21回「北方領土の日」を考える企画

■関西集会■201922日(土)18時〜

 報告:木幡 寛さん(札幌) 

会 場:国労大阪会館/

  主 催:ピリカ全国実・関西

■関東集会■201923日(日)13時半〜

 報告:木幡 寛さん(札幌)

  会 場:渋谷区勤労福祉会館/

  主 催:ピリカ全国実・関東グループ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北大糾弾ニュース 75号 2018年10月31日


「近世蝦夷人物誌」(松浦武四郎著)を読む
       片山岩一(ピリカ全国実関東グループ会員)

 今年はアイヌモシリが「北海道」と命名され内国植民地化されてから150年にあたる。去る8月5日、安倍政権が「明治150年」事業の重要な事業の一環としていた天皇出席の「北海道150年記念式典」が開催され、ピリカ全国実の呼びかけで反対行動が取り組まれた。
 「北海道150年」を期に「北海道」の名付け親といわれる松浦武四郎がクローズアップされているが、彼がアイヌモシリ調査・探検でどんなことをしたのか、その一端を直接知りたいと思い、主著と言われる「近世蝦夷人物誌」を手にした。青土社刊「アイヌ人物誌」(更科源蔵・吉田豊[訳])である。
 同書は、100名以上の人物を取り上げ、その剛毅、義勇、忠、孝などについて述べているが、併せて場所請負制度のもとで松前藩と結託した和人商人らのアイヌ民族に対する悪虐非道ぶりを告発し非難している。例えば「孝子ウナケシ」の項では「文政5年(1822年)の松前藩お引渡し当時は戸数366軒、人口1326人もあったというが、今ではわずか173軒、人口350人になったという。その理由を聞いたところ、こうであった。同地(網走)ではアイヌが16、7歳になると男女の差別もなく国後島、利尻島などに連行して働かせ、娘は番人や和人漁夫の妾とし、夫があれば夫を遠くの漁場にやって思うままにする。男のアイヌは昼となく夜となくこき使って、耐えられず病気にかかれば雇蔵(やといぐら)というところに放置して、一さじの薬、一杯の飯も与えずにおき、身寄りのものが食物を運んでやるだけである。」と記している。他にも場所請負制度のもとで酷使・暴圧・陵辱され、疲弊していくアイヌ民族の姿が随所に記されている。

 そして同書の後書でこう記している。「さて、こうして三巻の原稿を書き終わり、やっとのことで机上に筆を置こうとしたところ、この5、6日の疲れに心身くたびれ果てて筆を投げ捨てて机に寄りかかった。一眠りしたかと思う間に、私の心は陸奥の山河を過ぎ、7里の海峡の怒涛を越えて箱館の港へとたどりついたのである。そして、私も一度は行ってみたいと思っていた箱館山上町にこの度竣工したという三階建ての料亭に行ってみると、そこには富貴をきわめて栄えておられる役人方が同地に名高い芸妓たちに三味線を奏でさせ、蛇足園の菓子、武蔵野料理を並べ、請負人、問屋、大工の棟梁、支配人どもが太鼓持ちをつとめて歌えや舞えと歓楽を尽くしておられた。そのとき、座敷を吹き抜ける一陣のなまぐさい風に振り返って見れば、大皿に盛られた刺身は鮮血したたる人肉、浸し物はアイヌの臓腑、うまそうな肉は人の肋骨、盃に満ちているのは、みな生血ではないか。二目と見られぬそのありさまに周囲の襖を見ると、描かれた聖賢の画像はアイヌの亡霊と変わって、ああうらめしや、うらめしやと訴える声に、思わず目をさました。」「このアイヌたちの恨みの声を、私だけでなく各界有識者の方々に知っていただきたいとの願いによって、松浦武四郎源弘(みなもとのひろし)は、このように記し終えたのである」。
  和人社会の歴史的なアイヌモシリ侵略とそれを格段に強化した明治天皇制国家のアイヌ民族絶滅政策こそ「明治・北海道150年」であることを肝に銘じたい。

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
             金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

 1920年の第44帝国議会での『台湾ニ施行スベキ法令ニ関スル法律 改正案』上程に際して中野正剛の関連質問―台湾の原住民に対する島流しに他ならない『浮浪者対策」に関する政府非難―に対して、1919年の10月29日に第8代の台湾総督に文官から初めて就任した田健治郎は、こう答弁しました。安平政吉の『台東開導所について』を引用します。
 そこで説明役の田総督は、台湾に「浮浪者取締規則」というもののあること、その適用として火焼島送りをしていたこともあるが、現在では「岩湾」に設備を移していること、なお現在では、浮浪人処分に付すべき者は、まず一応警告を発し、その警告を省みずして、なお不都合の行動を行ったときは、台湾総督に具状して、その認可を得て、はじめて浮浪人取締を施行することに改めている旨を答えたのであった。
 つまり、田総督は中野正剛が言うような、台湾の学生だろうと原住民だろうと不穏な言動があっても、いきなり捕まえて島流しにするようなことはない。ちゃんと順を追って対処していると言いたいわけです。ここで確認しておきたいのですが、台湾の原住民を浮浪者として島送りにする際の権限は警察にありました。そもそも、一定の住居生業をもたずして、公安を害し、風俗を乱すおそれ云々と言ってみても、それが一体どのような犯罪になのかと言えばその根拠は不明確で、結局、個々の警察官の性格や気分次第で島送りにされる者とされない者がいたと言うことです。しかし、 なぜこんなことになるのかについて、講談社から出版された、乃南アサ著『ビジュアル年表 台湾統治五十年』を読んでみます。
 もはやすっかり西欧列強と肩を並べた気になっていた日本人。だが、当時の台湾での暮らしぶりといえば、まず「この暑さ[夏の記事] の中で、内地人は男も女も百人中九十人までが、褌一つ、腰巻一つの裸で」(竹中信子『植民地台湾の日本女性生活史2<大正篇>』(田畑書店))過ごしていたのだから拍子抜けする。
 当時[内地人」と呼んでいた日本人に対して[本島人] と呼ばれていた台湾人は、肉体労働者である苦力でさえ真っ裸にはならないというのに、日本人はといえば「妙齢の婦人が真っ裸で裏口の水道の水を浴び」たりしているものだから、台湾人は日本人を「『生蓄のようだ』と思った」(共に同前)らしい。
 『一視同仁』、『同化主義』、『内地延長』、『皇国臣民』等々の天皇制四文字熟語を吹聴してみても、フタをあけてみれば結局こんなものだったということです。原住民には公安を害するの、風俗を乱すのと説教をたれておきながら、日本人たちは堂々と裸でいたわけです。現地住民の顔をいきなりビンタしたり、バスの中から道路に向けて立ちションしたりと植民地での日本人の態度の悪さは戦後も言われ続けてきました。このことは 台湾でも例外ではなかったのです。
 はなしをもどしましょう。田総督の答弁はとうてい中野正剛を納得させるものではありませんでした。中野正剛が怒っているのは、同じ皇国臣民である台湾の原住民を浮浪者として島流しにしていること自体を問題にしているのであって、それが火焼島であろうと岩湾であろうと怒りのトーンは変わらないでしょう。田総督の答弁を聞けば、火焼島送りをやめて岩湾に設備を移したことで良いこともしているとも受け取れそうですが、何のことはなく、単にあまりに場所が遠すぎて物資の供給も届かなければ、行政の手も届かないという、原住民を火焼島に島流しにしたはずの日本がその距離に悩んだ結果、廃止にしただけのことです。中野正剛の田総督への攻撃はさらに続きます。
 要するに総督の答弁は、自己の功名を、自己の得た報告、自己の一人の判断によって述べているにすぎない。質問に対しては、何等肯綮(こうけい 筆者注/急所)に触れるのはないと言いたい放題です。
  中野正剛がここまでブンブン飛ばした理由として、もう少し考えられるのは、田総督の時代、世界中でインフルエンザ、あるいは 『スペイン風邪』と呼ばれた病気によって世界中で5億人が感染し、死者が5千万人とも1億人とも言われるインフルエンザが台湾でも大流行したことへの危機感があったからではないでしょうか。― 第一次世界大戦が終わったのは実はこれが原因だったのではないかとまで言われています。― 前任の明石元二郎もこれにかかって死去するのですが、台湾でも学校閉鎖、軍隊は演習中止、鉄道も運転中止になります。パンデミックの最悪の事態が今から100年前に起きたということです。15〜16世紀の大航海時代、植民地支配の歴史のはじまりと同時にマラリアや梅毒などの伝染病が世界各地に拡散し多くの先住民族の命を奪っていきました。台湾もまた例外ではなかったのです。立て続けに起こる大地震や台風や伝染病の流行は原住民たちの間に動揺を引き起こしました。原住民たちは、我々の聖地を日本人に冒されたので、先祖が怒るのだと考え暴動になったわけです。中野正剛の質疑はこのような状況から発したものと言っていいでしょう。       (つづく)

 


ご案内 「明治・北海道150年」式典反対 アイヌ民族連帯関東集会

「明治・北海道150年」式典反対
      アイヌ民族連帯関東集会
―2020年白老「慰霊・研究施設」開設反対、
        遺骨をコタンに返せ!―
日時:10月21日(日) 13時30分開場
会場:渋谷区地域交流センター新橋
   恵比寿1−27−10新橋区民複合施設3階(裏面地図参照・JR恵比寿駅東口下車)
ビデオ上映:『アイヌモシリを生きる』(2018年・NHK制作)
講演:川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん
    ―アイヌ民族遺骨返還と先住権―
報告:ピリカ全国実・関東グループ
   遺骨返還の取り組みと「明治・北海道150」式典について
主催:ピリカ全国実・関東グループ
協賛:東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会

◆アイヌモシリ侵略・民族同化抹殺政策の歴史150年
 私たちは8月5日、天皇出席の「明治・北海道150年」式典反対札幌現地行動に取り組みました。安倍政権は10月23日、「明治150年」記念政府式典を開こうとしています。私たちは、1869年(「明治」2年)の「明治」天皇の「蝦夷地開拓之下問」に基づいて始まったアイヌモシリ(北海道・北方諸島)侵略・アイヌ民族同化抹殺政策の歴史150年を記念し賛美することに絶対反対します。
 安倍政権は「明治・北海道150年」式典を通じて、アイヌ民族やアジアの諸民族への侵略支配と労働者人民に対する弾圧によって確立してきた天皇制国家を正当化し、さらなる強大な戦争国家をつくろうと改憲攻撃にうって出ています。私たち自身の主権の危機です。
◆アイヌ民族の「同化完了」宣言を許すな
 安倍政権は20年東京オリンピックに合わせて、北海道白老町に「民族共生象徴空間」・「慰霊・研究施設」を開設し、そこに「明治」以来、全国の大学等が略奪してきたアイヌ民族遺骨を謝罪も賠償もないまま一括収容し、民族の権利は何ら認めないままアイヌ民族問題に「決着」をつけ、日本「国民」への「同化完了」を宣言しようとしています。そのために、20年東京オリンピック開会式でのアイヌ民族舞踊採用や、先住権・自決権を保証しない「アイヌ新法」をちらつかせながら、アイヌ民族を取り込もうとしています。
 しかし、まつろわぬアイヌ民族は略奪された遺骨の一括収容に反対し、コタン(郷土)への返還・再埋葬をかちとっています。浦河(杵臼)、浦幌、紋別、旭川で次々と北大からコタンへの遺骨返還をかちとりました。
 墓地破壊・遺骨略奪こそアイヌ民族をなきものにせんとする抹殺政策の最たるものです。アイヌ民族の先住権・自決権を支持し、「『慰霊・研究施設』反対!東大は遺骨をコタンに返せ!」の声をより一層大きく上げていきましょう。
                        2018.9.27 
2018年 秋のアイヌ民族交流ウィーク・スケジュール
10月19日(金)午前〜午後 
       東京賢治シュタイナー学校で授業(非公開)
10月22日(月)午後5時〜 高尾・いまここカフェ
       東京都八王子市廿里町21−4(高尾駅北口より徒歩3分)
       午後5時〜カムイノミ
       午後6時半〜7時半 スタンディングロックからの報告 
          (スタンディングロックジャパン 青木遥香さん)
       午後8時〜9時 川村さんの話し
       参加費 2500円 + オーダー
10月24日(水)午前9〜11時 
       埼玉大学・大学院生の授業(非公開)
10月25日(木)午後2時30分〜 
       フェリス女学院大学で授業 (非公開)
川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんのプロフィール
 1951年旭川市近文コタンに生まれる。「シンリツ エオリパック アイヌ」はおばのユーカラ伝承者の故砂沢クラさんが命名。「先祖を大事にする人」という意味。父カネトは測量技師で飯田線(愛知県)を測量した。カネトは「金を採る人」という意味。高校を卒業して上京。父カネトが死去したため帰郷、26歳で川村カ子トアイヌ記念館館長になる。1985年、旭川では28年ぶりのイオマンテ(熊送り)を行う。旭川アイヌ協議会会長、旭川アイヌ語教室やチカップニアイヌ民族文化保存会などの活動の中心的存在。今年6月24日、北大に強奪されていた旭川アイヌ民族の遺骨、副葬品の返還をかちとり再埋葬をおこなった。   

 

※2018年秋のアイヌ民族交流ウィーク賛同金は個人1口、1000円/団体1口、3000円
     [個人として]( 口) (    円)
     [団体として]( 口) (    円)
※賛同名の公表について 
  [可・不可](どちらかに○をつけて下さい)
※お名前/団体名
 御住所/電話番号/メール
※お振込は振り込み用紙でお願いします。
(加入者名・ピリカ全国実関東 郵便振替口座番号・00100-8-77543 )
※連絡先住所
渋谷区恵比寿4-19-5ホワイトハイツ鈴木103ピリカ関東グループ
TEL&FAX 03-3446-9058

北大糾弾ニュース 74号 2018年8月30日

 旭川イアレにサポーターとして参加しました      

     木村 敬(ピリカ全国実・関西)

 

1985年に北海道大学より遺骨返還を受けて以来、毎年、旭川ではイアレ

を続けてきましたが、今回のイアレは、再度、旭川アイヌ民族の遺骨の

返還が和解の上かちとられたもので、再埋葬を行い、儀式に60人ほどの

列席者がいる大きなものとなったとのことです。残念ながら、裁判では

謝罪・賠償をかちとることはできなかったと報告されています。

 昨夜の雨が嘘であるかのように、天気予報を裏切り、日が差し始めた

頃、北大が遺骨を運んできたことを、ペウタンケ(危険を知らせる声)

で、知らせるところから、イアレははじまりました。

 偽りの返還を許さないために、遺骨・副葬品を一つ一つ、イアレの祭

主である川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(旭川アイヌ協議会会長)

が確認して、殉郷殿の前に仮安置し、儀式がはじまりました。

 儀式のはじまる前、私のところからはあまりはっきりとは、聞こえま

せんでしたが北大の丹菊准教授が「ちゃんとあやまりましょうよ」「列

席してお詫びするべきです」と涙まじり大きな声で北大関係者に呼びか

けていました。

 静かになったころ、風が吹き始め、木の葉がサーッと音をたてたのが

印象的で、まるで、この旭川の地が、遺骨返還を喜んでいるかのようで

した。

 周りで雑務をしていた私には、慰霊の言葉はところどころしか、聞こ

えませんが、不慣れな参列者に、手順を説明しながらも、おごそかに儀

式は進みます。

 5台のテレビカメラと新聞社などが、その様子を向きを変えながら、

記録していました。

 慰霊の儀式の後、個人が確定されており、遺族に返還を求められる可

能性がゼロではないため、1年の仮安置期間をおかなくてはいけない

1体の遺骨を殉郷殿に納め、7体の遺骨を埋葬し、クワをたてました。

 その後、いったん、近文アイヌ墓地から、後ろを振り向かず立ち去り、

埋葬の儀を終えました。

 ヨモギで身体を払ってもらうことで、身体を清め、再び墓地に戻りま

した。女性の歌と踊りで、先祖供養を行いました。殉郷殿の敷地内で行

われている様子をゆっくり見ることはできませんでした。

 再度、炉の周りに集まり直し、儀式を行い、イアレの全日程は終了し

ました。

 その後、マスコミが遺骨返還担当理事である北海道大学の長谷川副

を囲み、また、川村さんも、食事をとる余裕もなく、マスコミの取材

を受けていました。

 イアレの後、山本一昭代表の埋葬の儀式を川村さんを祭主にピリカ全

国実で行いました。山本一昭代表の冥福を祈ると同時に、さらなる運動

を続ける誓いを心の中で唱え、お別れをしました。

 この遺骨返還が終わりではなく、各大学の多くの遺骨返還につなげる

と同時に、北海道大学の謝罪なき返還を許さず、歴史的責任を問いつづ

ける運動のはじまりであると感じています。

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配 

        金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

 この当時(1906年)、台湾の東側は海上200mの断崖絶壁が続き、

『花蓮港』を『ユカレンコウ』つまり『行かれん港』と呼んだ場所が

あって、さらにその先の台東に『加路蘭浮浪者収容所』がありました。

さらにその対岸にある『緑島』にも1914年に『火焼島浮浪者収容所』

が設置されました。結局のところ、更生、帝国臣民として心を入れ替

えてやりなおしなさいとはお題目であって、実際にやっていることは

流刑、島流しそのものでした。

 このような『浮浪者対策』に対して非難を浴びせたのが頭山満率い

る『玄洋社』の門下、中野正剛代議士です。1920年の5月の第14回総

選挙に、「台湾だけではなく、朝鮮も日本と同様に扱え!政府は口に

は同化を説きながら、『鮮人』には帝国臣民が一様に享有する憲法規

定の権利すら与えない!朝鮮を同化するつもりなら、先ず根本法たる

憲法を彼地に於いて有効ならしめよ!」と急進的内地延長主義―――

外地の台湾、朝鮮、樺太を内地、つまり日本の一部として扱え!

―――を掲げて帝国議会に登場しました。

 その年の第44回帝国議会で台湾総督の田健治郎―――華族出身で衆

議院議員、貴族院議員、逓信大臣、司法大臣、農商務大臣、枢密顧問

官を歴任。孫は田英夫―――に対して 「わたしは問ひたい。幾多の

残忍なる事が台湾に伝へられている。台湾の学生でも、何でも本島に

於いて、不穏な言動をなせば、行政処分を以て、之を島流しにするこ

とができる。人類の住むに適せざる火焼島に流すことが出来る。その

島流しの期限は、無限である。台湾総督府の一存で陛下の臣民をかか

る考慮なき処分に処し得るということは、私は大変な間違いではな

いかと思う」とかみつきました。

  中野正剛の主張は口先だけの日本人扱いではなく、ちゃんと同じ帝

国臣民としてつきあえば抵抗は起きない。そして、台湾の同じ陛下の

臣民を台湾総督の一存で人類の住めない火焼島に無期限で島流しにす

ることはまちがいだ!ということですが、中野正剛の怒りは本当だし、

台湾の陛下の臣民がこんな目にあっていることに心を傷めて寄り添う

誠実さと優しさにウソ偽りはありません。

 中野正剛の言っていることが、あまりにもぶっ飛んでいるように感

じたり、思わず失笑してしまうとすれば、それはこの時代にいなかっ

た後からの目線で物事をみることができるわたしたちの感じ方でしか

ありません。しかし、こんな中野正剛の急進的内地延長主義に共感し

て一票を投じて国会議員に押し上げた有権者たちがいたのは事実であ

り、それを失笑するだけでは問題はみえないのではないでしょうか。

 わたしが考えさせられるのは中野正剛が台湾の『原住民』を同じ陛

下の臣民として見ながら、人類も住めない火焼島に無制限で島流しに

なっていることに怒りを持ち、心を痛めて寄り添いながら、にもかか

わらず、その姿が見えなかったことです。

 台湾、あるいは朝鮮や中国でもいいのですが、そこにいる人々が怒

っているのは同じ陛下の臣民、または帝国臣民として扱われないこと

でなく、そもそも日本の植民地支配であり、中野正剛の誠実さと優し

さが許せなかった、にもかかわらず、中野正剛は台湾や朝鮮、中国で

日本への抵抗がなくならないのは、ちゃんと同じ帝国臣民として接し

ないからだ、逆に言えば同じ帝国臣民として接すれば、その気持ちが

相手に伝わると確信を持っていたということ―――相手も人間なんだ

からちゃんと接すれば気持ちが伝わる!と言うなんと人間味に満ちあ

ふれた姿でしょうか!―――植民地支配の問題―――この時の中野正

剛に台湾や朝鮮、中国を植民地支配しているという意識があったかど

うか―――をある意味、日本人の問題として考えていたということで

す。

 

 


北大に2つの申し入れを行いました。

 

〒060-0808
札幌市北区北8条西5丁目
国立大学法人 北海道大学
総長 名和豊春 様


                                                                2018年7月17日
                                         〒070-0825
                                             旭川市北門町11
                                                    川村カ子(ネ)トアイヌ記念館内
                                           旭 川 ア イ ヌ 協 議 会
                                           会長 川村シンリツ エオリパック アイヌ
                                                                0166(51)2461
                                        
           質問と話し合いの申し入れ

前略
遺骨・副葬品の引き渡し・返還などについて、旭川地方裁判所で「和解」が5月に成立し、遺骨等の返還、埋葬とイアレ(先祖供養)の儀式をさる6月24日に多くの仲間の参加、協力で無事終えたことは北海道大学も確認されていることと思います。
 しかし、今回の民事裁判での「和解」協議という形では解決しえない諸問題が存在することが、裁判の経緯で明らかになりました。
 その点について北海道大学の見解をお聞きし、裁判とは別途の形で直接話し合いをし、解決したく話し合いを申し入れた次第です。
以下の諸点の解決ぬきに、私たち旭川アイヌ協議会にとって、今回の遺骨等の返還問題の最終的な解決とならないのです。
まず最初に下記の質問事項に書面で回答してください。そのうえで話し合いをされる用意があるか、回答してください。話し合いをする場合は、日時、場所を協議したいと思います。

                                 記
1、北大は、名前が特定できている男性の遺骨の名前、住所、記録などを、埋葬主体である旭川アイヌ協議会に教えていただきたい。協議会は名前を広く公開などはせず、旭川市の戸籍課と協議し、可能な限りご遺族を探し、遺族の意向を確認する努力をしてみます。
2、同時に、北大の広報で他の特定されている遺骨と同様に公開し、遺族から北大などに問い合わせなどがなければ、1年後に旭川アイヌ共同墓地の一角に埋葬します。このことについての北大の見解を聞かしてください。
                                                                
3、情報公開制度によって北大から取り寄せたデータに、副葬品に「ガラス玉2ケ」が存在するとの児玉メモがあります。
しかし北大は裁判での準備書面で「今は保管していない」としてきました。なぜ無くなってしまったのか、真実を明らかにすべきです。児玉コレクションなどに入れられてはいませんか、調査すべきです。
4、私たちは、2013年3月発行の『北大医学部調査報告書』の22〜23頁に記載している山崎春雄教授らの「アイヌの生体計測研究」を怒りをもって読みました。
  それによれば、1936年2月3日〜2月11日の期間、旭川市近文で184人のアイヌ民族に対して、人類学的計測、頭部の「精密ナル」生体測定、頭部の「正確ナル」三方面からの写真撮影、などを行ったと書いています。さらに加えて「『アイヌ』人容貌ノ人類学的観察」も行ったと書いています。
 このような計測、撮影、観察などはアイヌ民族の人権を蹂躙し、侮辱するものです。 それについての何らの謝罪も反省の文も記載されていません。
 むしろ「貴重な資料」を今日まで保管してきたことを誇っています。
 私たちは北大に対して、これら生体計測などのデータ、写真を見せるよう情報公開を求めましたが、北大は「個人情報」を盾にして閲覧さえも拒否しています。反省すべきです。
北大はこれら人権を侵害している「個人情報」を、私たち旭川アイヌ協議会に閲覧させ、そのとり扱いについて話し合いをすることを要請します。

 以上の4点の質問、要望に対する文書での回答を求めます。期日は本年7月末日までに旭川アイヌ協議会宛に郵送してください。そしてこの4点について話し合いを行う意思があるか、どうか回答してください。
なお、話し合いの場所は北大構内の会議室、大学からは総長、医学部長、総務企画部長の出席を要請します。話し合いの期日は8月中旬、話し合いの時間は最低でも3時間は必要です。大学が都合のいい日時の案を3日ほどを示してください。その中からこちらで都合のよい日時を選びご連絡します。
                             以 上

 

 

〒060-0810
札幌市北区北10条西7丁目
北海道大学大学院文学研究科長・文学部長
      山本文彦 様
                                                                  2018年7月17日
                                     北大人骨問題の真相を究明する会
                                      共同代表  川村シンリツ・エオリパック・アイヌ

                                                林  炳 澤
                                      事務局長 白川ただし
                                        〒003-0021札幌市白石区栄通10丁目5-1-301
                                               ピリカモシリ社内    011(375)9711

       

      話し合いの早期再開の申し入れ

前略 
  北大文学部人骨事件からはや24年目をまもなく迎えます。四半世紀近くの年月がたちます。だが私たちは医学部とは別の北大文学部の人骨事件を風化させていません。
  文学研究科長・文学部長の山本文彦さんが忘却してしまっている私たちとの確認事項を再確認するために、ここに北大文学部が2010年3月に発行した『古河講堂「旧標本庫」人骨問題報告書掘戮諒絃呂魏めて引用しておきます。
この冊子の5頁に「(資料2)大乗寺での納骨式における栗生澤猛夫文学研究科長のあいさつ」が掲載されています。そこには次のように述べています。

 「本日は終わりの安住の住処をおさがしするまでのこととして、お二人をここ大乗寺にお連れ申しました。どうかしばらくの間この大乗寺の納骨堂にてお休みください。私どもは今後もこの7月26日にお参りさせて頂きます。将来、縁者の方、あるいは深い関係 のある方々が判明し、お引き取りいただけることになったあかつきには、北大文学研究科の責任において、この場所からその方々の手にお渡しいたします。」

さらに浄土真宗本願寺派大乗寺の打本顕真住職、打本大志住職との「2体の遺骨の納骨に際しての覚え書き」には、
  1.今回の納骨は、2体の身元が確認され、引き取り手が現れるまでの、仮の安置であること。
  2.北海道大学大学院文学研究科は、遺骨の身元や由来等について今後も出来る限りの調査を行うこと。
  3.2体に関連して今後生じる可能性のある問題は、すべて北海道大学大学院文学研究科の責任で処理すること。
  4.北海道大学大学院文学研究科は、納骨後、毎年定期的に供養を行うこと。

と書かれています。

 しかしながら、以上のごとく文学部自身が述べている事や覚え書にかかれていることを、望月文学研究科長・文学部長が2008年4月に就任以来、話し合いを一方的に打ち切り、今日まで放置してきたのです。すでに10年の歳月が経過しています。
このように、話し合いを理由も述べる事もなく一方的に打ち切っることによって、遺骨の霊前で誓ったことはすでに破っています。
文学部(事務方)は毎年大乗寺にお参りに行かれているそうですが、いかなる言葉を2体の遺骨にかけているのでしようか。住職にはどのように報告してるのですしようか。
 文学部は、2体の遺骨の来歴の調査、差別的な石田肇『鑑定報告』の撤回、大学の責任問題などについての私たちと話し合いを続けることの約束していたのです。さらにそのことも関連して調査の続行、定期的な供養、さらに『調査報告書』の書き換えの約束もしています。
 それらすべてを完全に反故にしてきました。このようなことが社会的に理解されると思っているのですか。
文学部は話し合いを拒否してきたことをまず謝罪し、真相の究明に向けて話し合いを早急に再開すべきです。
なお、私たち自身はアイヌプリでもってイチャルパをきたる8月4日(土)午後1時より開催することを申し添えておきます。
以上の申し入れに文書で答えてください。
7月25日までに「究明する会」各共同代表宅、事務局までに郵送してください。                                         以 上
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                

 

 

 

 

 

 


天皇出席の「明治・北海道150年式典」反対集会に参加を

 

天皇出席の「明治・北海道150年式典」反対、

        アイヌ民族連帯

 ― アイヌ民族抹殺・同化の150年弾劾 ―

 

8/4-5  ■アイヌ・琉球民族の遺骨を故郷に返せ

                              ■白老「慰霊・研究施設」建設反対

                            ■北方諸島の日本再併合反対

                          ■アイヌ民族の自決権・先住権支持、

                                                            民族法を制定しよう


8月 4日(土)

 仝畍1時〜2時  北大文学部人骨事件(95年)を糾弾し,

                 2体の遺骨のイチャルパを行います。

    於 大乗寺(札幌市豊平区平岸1条8丁日、地下鉄南北線「平岸」)

 

◆仝畍3時〜7時  天皇出席の 「明治・ 北海道150年式典」反対、

    アイヌ民族連帯札幌集会

         於:札幌市教育文化会館(地下鉄東西線「西11丁目 」)

                      (資料代込み)1000円

 

【集会要綱】

 ◎基調報告・ピリカ全国実全国運営委員会

 ◎メイン発言(敬称略)

 ・川村 シンリツ ・エオリパック ・アイヌ(旭川アイヌ協議会会長 )

           「アイヌ民族にとって北海道150年 とは 」

 ・ 林 炳澤(日 本の戦後責任を清算するために行動する北海道の会 )

  「〜在日韓国人の視点から〜『北海道150年』、どうとらえるか 」

 ・ 海原 剛(史的唯物論研究所 )

               「天皇制国家から自らを解放するために 」

 ◎発言 

   木村二三夫(アイヌ民族、 平取) 

   帆江 進(アイヌ民族、有珠 )

   ・ 木幡 寛(アイヌ民族、 札幌)他、

   ピリカ全国実札幌圏、同関東グループ、同関西、

   道内・全国から参加した仲間たちから
 

8月 5日 (日)

天皇出席の 「 明治・北海道150年式典 」反対、 アイヌ民族連帯決起集会

   (集合)午前9時 30分 (集会)午前10時〜11時

   (会場)札幌市白石区民センター(地下鉄東西線「 白 石駅」スグ )

   デモ出発 11時 予定 「 式典会場J(豊平区の「北海きたえ―る」)に 向けて
 

主 催 :「 北方領土の日 」反対!「 アイヌ新法」実現!

          全国実行委員会(略 称)ピリカ全国実行委員会

 

 

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  「侵略史観」そのものの「開拓史観」を批判しよう

 

 8月5日、札幌市豊平区の総合体育館「北海きたえーる」を会場に、北海道150年事業実行委員会(会長・高橋はるみ北海道知事、会長代行・名和豊春北大総長)は、「連合北海道」、北海道アイヌ協会なども参加し、「明治150年式典」の一環として「北海道150年式典」を開催する。
  この式典にはアキヒト天皇・ミチコ皇后の出席と同時に天皇として最後の北海道への視察旅行として利尻島(リイシリ=高い島)への訪問も計画している。アイヌ民族にとって利尻島は、サハリン・クリル列島・アムール川流域への交易の海路(拠点)としてあったところであり、和人資本と日本人の大量の入植(植民)によって民族が絶滅の危機にさらされたところである。
 今回の「明治・北海道150年式典」の目的はどこにあるのか!
 「北海道150年式典」は、アイヌモシリ略奪・植民地支配、アイヌ民族虐殺・差別・同化政策の全歴史を肯定し、日本の近代史として「開拓史観」を賛美するものである。天皇制日本国家は「明治」以来、アイヌモシリ(人間の住む静かな大地)を国内植民地として位置づけ、日本の領土として併合してきた。
  それはアイヌ民族の一切の主権(民族自決権、先住権)を無きものとして奪い、大地などすべてを略奪し、主食としてきた鹿や鮭、家屋の材料となる森林の伐採なども禁止し、言語や文化などアイヌ民族としての生き方まで否定する差別・同化政策によって大虐殺(ジェノサイド)と民族抹殺をおこなった全歴史と「開拓の歴史」は一体であった。
 だがアイヌ民族は、あのグロテスクな「開道100年」記念塔を「侵略の塔」と弾劾し、この闘いを起点にアイヌ民族解放運動を今日まで発展させてきている。
 また北大をはじめ東大・京大・阪大などは、国策の差別的な「アイヌ研究」のためにアイヌ民族の遺骨・副葬品総数1600体余りを共同墓地から盗掘してきた。琉球民族、朝鮮人、台湾原住民などの遺骨も植民地支配のために略奪・研究してきている。これら遺骨は日本政府、大学が国策としてきた「アイヌ研究」、諸民族の「研究」のための犠牲者である。

 

「明治150年式典」、天皇代替りの「即位式典」と一体の天皇行事

今回の「北海道150年式典」は、改憲・戦争を推し進めてきた安倍政権が理想とする「明治天皇制国家」を賛美する「明治150年」の北海道版である。「開拓史観」の政治的原点は、「明治天皇」の「蝦夷地開拓のご下問書」(命令、1869年)にある。
 天皇が「勅語」(1869年)で「蝦夷地」を「北海道」と「命名」し、国内植民地として併合したうえで、ロシアとの対決に備え「皇国之北門の護り」のために北海道開拓に向けて土地、河川、山々、資源などの「調査」を徹底的に行い、「開拓」の戦略を献策せよと命じた。これはアイヌ民族にとっては、生きていくことも許されない過酷な支配体制の始まりであった。
 このアイヌ民族を抹殺する「開拓史観」(植民地支配)の精神は、今回の「150年式典」にも脈々とひき継れている。「北海道150年事業実行委員会」は、「積み重ねてきた歴史や先人の偉業を振り返り、感謝し」、「未来を展望しながら、互いを認め合う共生の社会を目差して」などと基本理念にかかげている。
 私たちは佐藤昌介、新渡戸稲造たち札幌農学校以来、今日の北海道大学に至る殖民学、「アイヌ研究」など北方侵略・植民地支配の帝国学問を推進してきた北大総長を実行委員会会長代行にしていること、また「共生社会」という名のもとで北海道アイヌ協会の加藤忠理事長を副会長に選んでいるこのギマン性を弾劾する。 2018.7.

 

 


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