北大糾弾ニュース 75号 2018年10月31日


「近世蝦夷人物誌」(松浦武四郎著)を読む
       片山岩一(ピリカ全国実関東グループ会員)

 今年はアイヌモシリが「北海道」と命名され内国植民地化されてから150年にあたる。去る8月5日、安倍政権が「明治150年」事業の重要な事業の一環としていた天皇出席の「北海道150年記念式典」が開催され、ピリカ全国実の呼びかけで反対行動が取り組まれた。
 「北海道150年」を期に「北海道」の名付け親といわれる松浦武四郎がクローズアップされているが、彼がアイヌモシリ調査・探検でどんなことをしたのか、その一端を直接知りたいと思い、主著と言われる「近世蝦夷人物誌」を手にした。青土社刊「アイヌ人物誌」(更科源蔵・吉田豊[訳])である。
 同書は、100名以上の人物を取り上げ、その剛毅、義勇、忠、孝などについて述べているが、併せて場所請負制度のもとで松前藩と結託した和人商人らのアイヌ民族に対する悪虐非道ぶりを告発し非難している。例えば「孝子ウナケシ」の項では「文政5年(1822年)の松前藩お引渡し当時は戸数366軒、人口1326人もあったというが、今ではわずか173軒、人口350人になったという。その理由を聞いたところ、こうであった。同地(網走)ではアイヌが16、7歳になると男女の差別もなく国後島、利尻島などに連行して働かせ、娘は番人や和人漁夫の妾とし、夫があれば夫を遠くの漁場にやって思うままにする。男のアイヌは昼となく夜となくこき使って、耐えられず病気にかかれば雇蔵(やといぐら)というところに放置して、一さじの薬、一杯の飯も与えずにおき、身寄りのものが食物を運んでやるだけである。」と記している。他にも場所請負制度のもとで酷使・暴圧・陵辱され、疲弊していくアイヌ民族の姿が随所に記されている。

 そして同書の後書でこう記している。「さて、こうして三巻の原稿を書き終わり、やっとのことで机上に筆を置こうとしたところ、この5、6日の疲れに心身くたびれ果てて筆を投げ捨てて机に寄りかかった。一眠りしたかと思う間に、私の心は陸奥の山河を過ぎ、7里の海峡の怒涛を越えて箱館の港へとたどりついたのである。そして、私も一度は行ってみたいと思っていた箱館山上町にこの度竣工したという三階建ての料亭に行ってみると、そこには富貴をきわめて栄えておられる役人方が同地に名高い芸妓たちに三味線を奏でさせ、蛇足園の菓子、武蔵野料理を並べ、請負人、問屋、大工の棟梁、支配人どもが太鼓持ちをつとめて歌えや舞えと歓楽を尽くしておられた。そのとき、座敷を吹き抜ける一陣のなまぐさい風に振り返って見れば、大皿に盛られた刺身は鮮血したたる人肉、浸し物はアイヌの臓腑、うまそうな肉は人の肋骨、盃に満ちているのは、みな生血ではないか。二目と見られぬそのありさまに周囲の襖を見ると、描かれた聖賢の画像はアイヌの亡霊と変わって、ああうらめしや、うらめしやと訴える声に、思わず目をさました。」「このアイヌたちの恨みの声を、私だけでなく各界有識者の方々に知っていただきたいとの願いによって、松浦武四郎源弘(みなもとのひろし)は、このように記し終えたのである」。
  和人社会の歴史的なアイヌモシリ侵略とそれを格段に強化した明治天皇制国家のアイヌ民族絶滅政策こそ「明治・北海道150年」であることを肝に銘じたい。

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
             金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

 1920年の第44帝国議会での『台湾ニ施行スベキ法令ニ関スル法律 改正案』上程に際して中野正剛の関連質問―台湾の原住民に対する島流しに他ならない『浮浪者対策」に関する政府非難―に対して、1919年の10月29日に第8代の台湾総督に文官から初めて就任した田健治郎は、こう答弁しました。安平政吉の『台東開導所について』を引用します。
 そこで説明役の田総督は、台湾に「浮浪者取締規則」というもののあること、その適用として火焼島送りをしていたこともあるが、現在では「岩湾」に設備を移していること、なお現在では、浮浪人処分に付すべき者は、まず一応警告を発し、その警告を省みずして、なお不都合の行動を行ったときは、台湾総督に具状して、その認可を得て、はじめて浮浪人取締を施行することに改めている旨を答えたのであった。
 つまり、田総督は中野正剛が言うような、台湾の学生だろうと原住民だろうと不穏な言動があっても、いきなり捕まえて島流しにするようなことはない。ちゃんと順を追って対処していると言いたいわけです。ここで確認しておきたいのですが、台湾の原住民を浮浪者として島送りにする際の権限は警察にありました。そもそも、一定の住居生業をもたずして、公安を害し、風俗を乱すおそれ云々と言ってみても、それが一体どのような犯罪になのかと言えばその根拠は不明確で、結局、個々の警察官の性格や気分次第で島送りにされる者とされない者がいたと言うことです。しかし、 なぜこんなことになるのかについて、講談社から出版された、乃南アサ著『ビジュアル年表 台湾統治五十年』を読んでみます。
 もはやすっかり西欧列強と肩を並べた気になっていた日本人。だが、当時の台湾での暮らしぶりといえば、まず「この暑さ[夏の記事] の中で、内地人は男も女も百人中九十人までが、褌一つ、腰巻一つの裸で」(竹中信子『植民地台湾の日本女性生活史2<大正篇>』(田畑書店))過ごしていたのだから拍子抜けする。
 当時[内地人」と呼んでいた日本人に対して[本島人] と呼ばれていた台湾人は、肉体労働者である苦力でさえ真っ裸にはならないというのに、日本人はといえば「妙齢の婦人が真っ裸で裏口の水道の水を浴び」たりしているものだから、台湾人は日本人を「『生蓄のようだ』と思った」(共に同前)らしい。
 『一視同仁』、『同化主義』、『内地延長』、『皇国臣民』等々の天皇制四文字熟語を吹聴してみても、フタをあけてみれば結局こんなものだったということです。原住民には公安を害するの、風俗を乱すのと説教をたれておきながら、日本人たちは堂々と裸でいたわけです。現地住民の顔をいきなりビンタしたり、バスの中から道路に向けて立ちションしたりと植民地での日本人の態度の悪さは戦後も言われ続けてきました。このことは 台湾でも例外ではなかったのです。
 はなしをもどしましょう。田総督の答弁はとうてい中野正剛を納得させるものではありませんでした。中野正剛が怒っているのは、同じ皇国臣民である台湾の原住民を浮浪者として島流しにしていること自体を問題にしているのであって、それが火焼島であろうと岩湾であろうと怒りのトーンは変わらないでしょう。田総督の答弁を聞けば、火焼島送りをやめて岩湾に設備を移したことで良いこともしているとも受け取れそうですが、何のことはなく、単にあまりに場所が遠すぎて物資の供給も届かなければ、行政の手も届かないという、原住民を火焼島に島流しにしたはずの日本がその距離に悩んだ結果、廃止にしただけのことです。中野正剛の田総督への攻撃はさらに続きます。
 要するに総督の答弁は、自己の功名を、自己の得た報告、自己の一人の判断によって述べているにすぎない。質問に対しては、何等肯綮(こうけい 筆者注/急所)に触れるのはないと言いたい放題です。
  中野正剛がここまでブンブン飛ばした理由として、もう少し考えられるのは、田総督の時代、世界中でインフルエンザ、あるいは 『スペイン風邪』と呼ばれた病気によって世界中で5億人が感染し、死者が5千万人とも1億人とも言われるインフルエンザが台湾でも大流行したことへの危機感があったからではないでしょうか。― 第一次世界大戦が終わったのは実はこれが原因だったのではないかとまで言われています。― 前任の明石元二郎もこれにかかって死去するのですが、台湾でも学校閉鎖、軍隊は演習中止、鉄道も運転中止になります。パンデミックの最悪の事態が今から100年前に起きたということです。15〜16世紀の大航海時代、植民地支配の歴史のはじまりと同時にマラリアや梅毒などの伝染病が世界各地に拡散し多くの先住民族の命を奪っていきました。台湾もまた例外ではなかったのです。立て続けに起こる大地震や台風や伝染病の流行は原住民たちの間に動揺を引き起こしました。原住民たちは、我々の聖地を日本人に冒されたので、先祖が怒るのだと考え暴動になったわけです。中野正剛の質疑はこのような状況から発したものと言っていいでしょう。       (つづく)

 


ご案内 「明治・北海道150年」式典反対 アイヌ民族連帯関東集会

「明治・北海道150年」式典反対
      アイヌ民族連帯関東集会
―2020年白老「慰霊・研究施設」開設反対、
        遺骨をコタンに返せ!―
日時:10月21日(日) 13時30分開場
会場:渋谷区地域交流センター新橋
   恵比寿1−27−10新橋区民複合施設3階(裏面地図参照・JR恵比寿駅東口下車)
ビデオ上映:『アイヌモシリを生きる』(2018年・NHK制作)
講演:川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん
    ―アイヌ民族遺骨返還と先住権―
報告:ピリカ全国実・関東グループ
   遺骨返還の取り組みと「明治・北海道150」式典について
主催:ピリカ全国実・関東グループ
協賛:東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会

◆アイヌモシリ侵略・民族同化抹殺政策の歴史150年
 私たちは8月5日、天皇出席の「明治・北海道150年」式典反対札幌現地行動に取り組みました。安倍政権は10月23日、「明治150年」記念政府式典を開こうとしています。私たちは、1869年(「明治」2年)の「明治」天皇の「蝦夷地開拓之下問」に基づいて始まったアイヌモシリ(北海道・北方諸島)侵略・アイヌ民族同化抹殺政策の歴史150年を記念し賛美することに絶対反対します。
 安倍政権は「明治・北海道150年」式典を通じて、アイヌ民族やアジアの諸民族への侵略支配と労働者人民に対する弾圧によって確立してきた天皇制国家を正当化し、さらなる強大な戦争国家をつくろうと改憲攻撃にうって出ています。私たち自身の主権の危機です。
◆アイヌ民族の「同化完了」宣言を許すな
 安倍政権は20年東京オリンピックに合わせて、北海道白老町に「民族共生象徴空間」・「慰霊・研究施設」を開設し、そこに「明治」以来、全国の大学等が略奪してきたアイヌ民族遺骨を謝罪も賠償もないまま一括収容し、民族の権利は何ら認めないままアイヌ民族問題に「決着」をつけ、日本「国民」への「同化完了」を宣言しようとしています。そのために、20年東京オリンピック開会式でのアイヌ民族舞踊採用や、先住権・自決権を保証しない「アイヌ新法」をちらつかせながら、アイヌ民族を取り込もうとしています。
 しかし、まつろわぬアイヌ民族は略奪された遺骨の一括収容に反対し、コタン(郷土)への返還・再埋葬をかちとっています。浦河(杵臼)、浦幌、紋別、旭川で次々と北大からコタンへの遺骨返還をかちとりました。
 墓地破壊・遺骨略奪こそアイヌ民族をなきものにせんとする抹殺政策の最たるものです。アイヌ民族の先住権・自決権を支持し、「『慰霊・研究施設』反対!東大は遺骨をコタンに返せ!」の声をより一層大きく上げていきましょう。
                        2018.9.27 
2018年 秋のアイヌ民族交流ウィーク・スケジュール
10月19日(金)午前〜午後 
       東京賢治シュタイナー学校で授業(非公開)
10月22日(月)午後5時〜 高尾・いまここカフェ
       東京都八王子市廿里町21−4(高尾駅北口より徒歩3分)
       午後5時〜カムイノミ
       午後6時半〜7時半 スタンディングロックからの報告 
          (スタンディングロックジャパン 青木遥香さん)
       午後8時〜9時 川村さんの話し
       参加費 2500円 + オーダー
10月24日(水)午前9〜11時 
       埼玉大学・大学院生の授業(非公開)
10月25日(木)午後2時30分〜 
       フェリス女学院大学で授業 (非公開)
川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんのプロフィール
 1951年旭川市近文コタンに生まれる。「シンリツ エオリパック アイヌ」はおばのユーカラ伝承者の故砂沢クラさんが命名。「先祖を大事にする人」という意味。父カネトは測量技師で飯田線(愛知県)を測量した。カネトは「金を採る人」という意味。高校を卒業して上京。父カネトが死去したため帰郷、26歳で川村カ子トアイヌ記念館館長になる。1985年、旭川では28年ぶりのイオマンテ(熊送り)を行う。旭川アイヌ協議会会長、旭川アイヌ語教室やチカップニアイヌ民族文化保存会などの活動の中心的存在。今年6月24日、北大に強奪されていた旭川アイヌ民族の遺骨、副葬品の返還をかちとり再埋葬をおこなった。   

 

※2018年秋のアイヌ民族交流ウィーク賛同金は個人1口、1000円/団体1口、3000円
     [個人として]( 口) (    円)
     [団体として]( 口) (    円)
※賛同名の公表について 
  [可・不可](どちらかに○をつけて下さい)
※お名前/団体名
 御住所/電話番号/メール
※お振込は振り込み用紙でお願いします。
(加入者名・ピリカ全国実関東 郵便振替口座番号・00100-8-77543 )
※連絡先住所
渋谷区恵比寿4-19-5ホワイトハイツ鈴木103ピリカ関東グループ
TEL&FAX 03-3446-9058

北大糾弾ニュース 74号 2018年8月30日

 旭川イアレにサポーターとして参加しました      

     木村 敬(ピリカ全国実・関西)

 

1985年に北海道大学より遺骨返還を受けて以来、毎年、旭川ではイアレ

を続けてきましたが、今回のイアレは、再度、旭川アイヌ民族の遺骨の

返還が和解の上かちとられたもので、再埋葬を行い、儀式に60人ほどの

列席者がいる大きなものとなったとのことです。残念ながら、裁判では

謝罪・賠償をかちとることはできなかったと報告されています。

 昨夜の雨が嘘であるかのように、天気予報を裏切り、日が差し始めた

頃、北大が遺骨を運んできたことを、ペウタンケ(危険を知らせる声)

で、知らせるところから、イアレははじまりました。

 偽りの返還を許さないために、遺骨・副葬品を一つ一つ、イアレの祭

主である川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(旭川アイヌ協議会会長)

が確認して、殉郷殿の前に仮安置し、儀式がはじまりました。

 儀式のはじまる前、私のところからはあまりはっきりとは、聞こえま

せんでしたが北大の丹菊准教授が「ちゃんとあやまりましょうよ」「列

席してお詫びするべきです」と涙まじり大きな声で北大関係者に呼びか

けていました。

 静かになったころ、風が吹き始め、木の葉がサーッと音をたてたのが

印象的で、まるで、この旭川の地が、遺骨返還を喜んでいるかのようで

した。

 周りで雑務をしていた私には、慰霊の言葉はところどころしか、聞こ

えませんが、不慣れな参列者に、手順を説明しながらも、おごそかに儀

式は進みます。

 5台のテレビカメラと新聞社などが、その様子を向きを変えながら、

記録していました。

 慰霊の儀式の後、個人が確定されており、遺族に返還を求められる可

能性がゼロではないため、1年の仮安置期間をおかなくてはいけない

1体の遺骨を殉郷殿に納め、7体の遺骨を埋葬し、クワをたてました。

 その後、いったん、近文アイヌ墓地から、後ろを振り向かず立ち去り、

埋葬の儀を終えました。

 ヨモギで身体を払ってもらうことで、身体を清め、再び墓地に戻りま

した。女性の歌と踊りで、先祖供養を行いました。殉郷殿の敷地内で行

われている様子をゆっくり見ることはできませんでした。

 再度、炉の周りに集まり直し、儀式を行い、イアレの全日程は終了し

ました。

 その後、マスコミが遺骨返還担当理事である北海道大学の長谷川副

を囲み、また、川村さんも、食事をとる余裕もなく、マスコミの取材

を受けていました。

 イアレの後、山本一昭代表の埋葬の儀式を川村さんを祭主にピリカ全

国実で行いました。山本一昭代表の冥福を祈ると同時に、さらなる運動

を続ける誓いを心の中で唱え、お別れをしました。

 この遺骨返還が終わりではなく、各大学の多くの遺骨返還につなげる

と同時に、北海道大学の謝罪なき返還を許さず、歴史的責任を問いつづ

ける運動のはじまりであると感じています。

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配 

        金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

 この当時(1906年)、台湾の東側は海上200mの断崖絶壁が続き、

『花蓮港』を『ユカレンコウ』つまり『行かれん港』と呼んだ場所が

あって、さらにその先の台東に『加路蘭浮浪者収容所』がありました。

さらにその対岸にある『緑島』にも1914年に『火焼島浮浪者収容所』

が設置されました。結局のところ、更生、帝国臣民として心を入れ替

えてやりなおしなさいとはお題目であって、実際にやっていることは

流刑、島流しそのものでした。

 このような『浮浪者対策』に対して非難を浴びせたのが頭山満率い

る『玄洋社』の門下、中野正剛代議士です。1920年の5月の第14回総

選挙に、「台湾だけではなく、朝鮮も日本と同様に扱え!政府は口に

は同化を説きながら、『鮮人』には帝国臣民が一様に享有する憲法規

定の権利すら与えない!朝鮮を同化するつもりなら、先ず根本法たる

憲法を彼地に於いて有効ならしめよ!」と急進的内地延長主義―――

外地の台湾、朝鮮、樺太を内地、つまり日本の一部として扱え!

―――を掲げて帝国議会に登場しました。

 その年の第44回帝国議会で台湾総督の田健治郎―――華族出身で衆

議院議員、貴族院議員、逓信大臣、司法大臣、農商務大臣、枢密顧問

官を歴任。孫は田英夫―――に対して 「わたしは問ひたい。幾多の

残忍なる事が台湾に伝へられている。台湾の学生でも、何でも本島に

於いて、不穏な言動をなせば、行政処分を以て、之を島流しにするこ

とができる。人類の住むに適せざる火焼島に流すことが出来る。その

島流しの期限は、無限である。台湾総督府の一存で陛下の臣民をかか

る考慮なき処分に処し得るということは、私は大変な間違いではな

いかと思う」とかみつきました。

  中野正剛の主張は口先だけの日本人扱いではなく、ちゃんと同じ帝

国臣民としてつきあえば抵抗は起きない。そして、台湾の同じ陛下の

臣民を台湾総督の一存で人類の住めない火焼島に無期限で島流しにす

ることはまちがいだ!ということですが、中野正剛の怒りは本当だし、

台湾の陛下の臣民がこんな目にあっていることに心を傷めて寄り添う

誠実さと優しさにウソ偽りはありません。

 中野正剛の言っていることが、あまりにもぶっ飛んでいるように感

じたり、思わず失笑してしまうとすれば、それはこの時代にいなかっ

た後からの目線で物事をみることができるわたしたちの感じ方でしか

ありません。しかし、こんな中野正剛の急進的内地延長主義に共感し

て一票を投じて国会議員に押し上げた有権者たちがいたのは事実であ

り、それを失笑するだけでは問題はみえないのではないでしょうか。

 わたしが考えさせられるのは中野正剛が台湾の『原住民』を同じ陛

下の臣民として見ながら、人類も住めない火焼島に無制限で島流しに

なっていることに怒りを持ち、心を痛めて寄り添いながら、にもかか

わらず、その姿が見えなかったことです。

 台湾、あるいは朝鮮や中国でもいいのですが、そこにいる人々が怒

っているのは同じ陛下の臣民、または帝国臣民として扱われないこと

でなく、そもそも日本の植民地支配であり、中野正剛の誠実さと優し

さが許せなかった、にもかかわらず、中野正剛は台湾や朝鮮、中国で

日本への抵抗がなくならないのは、ちゃんと同じ帝国臣民として接し

ないからだ、逆に言えば同じ帝国臣民として接すれば、その気持ちが

相手に伝わると確信を持っていたということ―――相手も人間なんだ

からちゃんと接すれば気持ちが伝わる!と言うなんと人間味に満ちあ

ふれた姿でしょうか!―――植民地支配の問題―――この時の中野正

剛に台湾や朝鮮、中国を植民地支配しているという意識があったかど

うか―――をある意味、日本人の問題として考えていたということで

す。

 

 


北大に2つの申し入れを行いました。

 

〒060-0808
札幌市北区北8条西5丁目
国立大学法人 北海道大学
総長 名和豊春 様


                                                                2018年7月17日
                                         〒070-0825
                                             旭川市北門町11
                                                    川村カ子(ネ)トアイヌ記念館内
                                           旭 川 ア イ ヌ 協 議 会
                                           会長 川村シンリツ エオリパック アイヌ
                                                                0166(51)2461
                                        
           質問と話し合いの申し入れ

前略
遺骨・副葬品の引き渡し・返還などについて、旭川地方裁判所で「和解」が5月に成立し、遺骨等の返還、埋葬とイアレ(先祖供養)の儀式をさる6月24日に多くの仲間の参加、協力で無事終えたことは北海道大学も確認されていることと思います。
 しかし、今回の民事裁判での「和解」協議という形では解決しえない諸問題が存在することが、裁判の経緯で明らかになりました。
 その点について北海道大学の見解をお聞きし、裁判とは別途の形で直接話し合いをし、解決したく話し合いを申し入れた次第です。
以下の諸点の解決ぬきに、私たち旭川アイヌ協議会にとって、今回の遺骨等の返還問題の最終的な解決とならないのです。
まず最初に下記の質問事項に書面で回答してください。そのうえで話し合いをされる用意があるか、回答してください。話し合いをする場合は、日時、場所を協議したいと思います。

                                 記
1、北大は、名前が特定できている男性の遺骨の名前、住所、記録などを、埋葬主体である旭川アイヌ協議会に教えていただきたい。協議会は名前を広く公開などはせず、旭川市の戸籍課と協議し、可能な限りご遺族を探し、遺族の意向を確認する努力をしてみます。
2、同時に、北大の広報で他の特定されている遺骨と同様に公開し、遺族から北大などに問い合わせなどがなければ、1年後に旭川アイヌ共同墓地の一角に埋葬します。このことについての北大の見解を聞かしてください。
                                                                
3、情報公開制度によって北大から取り寄せたデータに、副葬品に「ガラス玉2ケ」が存在するとの児玉メモがあります。
しかし北大は裁判での準備書面で「今は保管していない」としてきました。なぜ無くなってしまったのか、真実を明らかにすべきです。児玉コレクションなどに入れられてはいませんか、調査すべきです。
4、私たちは、2013年3月発行の『北大医学部調査報告書』の22〜23頁に記載している山崎春雄教授らの「アイヌの生体計測研究」を怒りをもって読みました。
  それによれば、1936年2月3日〜2月11日の期間、旭川市近文で184人のアイヌ民族に対して、人類学的計測、頭部の「精密ナル」生体測定、頭部の「正確ナル」三方面からの写真撮影、などを行ったと書いています。さらに加えて「『アイヌ』人容貌ノ人類学的観察」も行ったと書いています。
 このような計測、撮影、観察などはアイヌ民族の人権を蹂躙し、侮辱するものです。 それについての何らの謝罪も反省の文も記載されていません。
 むしろ「貴重な資料」を今日まで保管してきたことを誇っています。
 私たちは北大に対して、これら生体計測などのデータ、写真を見せるよう情報公開を求めましたが、北大は「個人情報」を盾にして閲覧さえも拒否しています。反省すべきです。
北大はこれら人権を侵害している「個人情報」を、私たち旭川アイヌ協議会に閲覧させ、そのとり扱いについて話し合いをすることを要請します。

 以上の4点の質問、要望に対する文書での回答を求めます。期日は本年7月末日までに旭川アイヌ協議会宛に郵送してください。そしてこの4点について話し合いを行う意思があるか、どうか回答してください。
なお、話し合いの場所は北大構内の会議室、大学からは総長、医学部長、総務企画部長の出席を要請します。話し合いの期日は8月中旬、話し合いの時間は最低でも3時間は必要です。大学が都合のいい日時の案を3日ほどを示してください。その中からこちらで都合のよい日時を選びご連絡します。
                             以 上

 

 

〒060-0810
札幌市北区北10条西7丁目
北海道大学大学院文学研究科長・文学部長
      山本文彦 様
                                                                  2018年7月17日
                                     北大人骨問題の真相を究明する会
                                      共同代表  川村シンリツ・エオリパック・アイヌ

                                                林  炳 澤
                                      事務局長 白川ただし
                                        〒003-0021札幌市白石区栄通10丁目5-1-301
                                               ピリカモシリ社内    011(375)9711

       

      話し合いの早期再開の申し入れ

前略 
  北大文学部人骨事件からはや24年目をまもなく迎えます。四半世紀近くの年月がたちます。だが私たちは医学部とは別の北大文学部の人骨事件を風化させていません。
  文学研究科長・文学部長の山本文彦さんが忘却してしまっている私たちとの確認事項を再確認するために、ここに北大文学部が2010年3月に発行した『古河講堂「旧標本庫」人骨問題報告書掘戮諒絃呂魏めて引用しておきます。
この冊子の5頁に「(資料2)大乗寺での納骨式における栗生澤猛夫文学研究科長のあいさつ」が掲載されています。そこには次のように述べています。

 「本日は終わりの安住の住処をおさがしするまでのこととして、お二人をここ大乗寺にお連れ申しました。どうかしばらくの間この大乗寺の納骨堂にてお休みください。私どもは今後もこの7月26日にお参りさせて頂きます。将来、縁者の方、あるいは深い関係 のある方々が判明し、お引き取りいただけることになったあかつきには、北大文学研究科の責任において、この場所からその方々の手にお渡しいたします。」

さらに浄土真宗本願寺派大乗寺の打本顕真住職、打本大志住職との「2体の遺骨の納骨に際しての覚え書き」には、
  1.今回の納骨は、2体の身元が確認され、引き取り手が現れるまでの、仮の安置であること。
  2.北海道大学大学院文学研究科は、遺骨の身元や由来等について今後も出来る限りの調査を行うこと。
  3.2体に関連して今後生じる可能性のある問題は、すべて北海道大学大学院文学研究科の責任で処理すること。
  4.北海道大学大学院文学研究科は、納骨後、毎年定期的に供養を行うこと。

と書かれています。

 しかしながら、以上のごとく文学部自身が述べている事や覚え書にかかれていることを、望月文学研究科長・文学部長が2008年4月に就任以来、話し合いを一方的に打ち切り、今日まで放置してきたのです。すでに10年の歳月が経過しています。
このように、話し合いを理由も述べる事もなく一方的に打ち切っることによって、遺骨の霊前で誓ったことはすでに破っています。
文学部(事務方)は毎年大乗寺にお参りに行かれているそうですが、いかなる言葉を2体の遺骨にかけているのでしようか。住職にはどのように報告してるのですしようか。
 文学部は、2体の遺骨の来歴の調査、差別的な石田肇『鑑定報告』の撤回、大学の責任問題などについての私たちと話し合いを続けることの約束していたのです。さらにそのことも関連して調査の続行、定期的な供養、さらに『調査報告書』の書き換えの約束もしています。
 それらすべてを完全に反故にしてきました。このようなことが社会的に理解されると思っているのですか。
文学部は話し合いを拒否してきたことをまず謝罪し、真相の究明に向けて話し合いを早急に再開すべきです。
なお、私たち自身はアイヌプリでもってイチャルパをきたる8月4日(土)午後1時より開催することを申し添えておきます。
以上の申し入れに文書で答えてください。
7月25日までに「究明する会」各共同代表宅、事務局までに郵送してください。                                         以 上
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                

 

 

 

 

 

 


天皇出席の「明治・北海道150年式典」反対集会に参加を

 

天皇出席の「明治・北海道150年式典」反対、

        アイヌ民族連帯

 ― アイヌ民族抹殺・同化の150年弾劾 ―

 

8/4-5  ■アイヌ・琉球民族の遺骨を故郷に返せ

                              ■白老「慰霊・研究施設」建設反対

                            ■北方諸島の日本再併合反対

                          ■アイヌ民族の自決権・先住権支持、

                                                            民族法を制定しよう


8月 4日(土)

 仝畍1時〜2時  北大文学部人骨事件(95年)を糾弾し,

                 2体の遺骨のイチャルパを行います。

    於 大乗寺(札幌市豊平区平岸1条8丁日、地下鉄南北線「平岸」)

 

◆仝畍3時〜7時  天皇出席の 「明治・ 北海道150年式典」反対、

    アイヌ民族連帯札幌集会

         於:札幌市教育文化会館(地下鉄東西線「西11丁目 」)

                      (資料代込み)1000円

 

【集会要綱】

 ◎基調報告・ピリカ全国実全国運営委員会

 ◎メイン発言(敬称略)

 ・川村 シンリツ ・エオリパック ・アイヌ(旭川アイヌ協議会会長 )

           「アイヌ民族にとって北海道150年 とは 」

 ・ 林 炳澤(日 本の戦後責任を清算するために行動する北海道の会 )

  「〜在日韓国人の視点から〜『北海道150年』、どうとらえるか 」

 ・ 海原 剛(史的唯物論研究所 )

               「天皇制国家から自らを解放するために 」

 ◎発言 

   木村二三夫(アイヌ民族、 平取) 

   帆江 進(アイヌ民族、有珠 )

   ・ 木幡 寛(アイヌ民族、 札幌)他、

   ピリカ全国実札幌圏、同関東グループ、同関西、

   道内・全国から参加した仲間たちから
 

8月 5日 (日)

天皇出席の 「 明治・北海道150年式典 」反対、 アイヌ民族連帯決起集会

   (集合)午前9時 30分 (集会)午前10時〜11時

   (会場)札幌市白石区民センター(地下鉄東西線「 白 石駅」スグ )

   デモ出発 11時 予定 「 式典会場J(豊平区の「北海きたえ―る」)に 向けて
 

主 催 :「 北方領土の日 」反対!「 アイヌ新法」実現!

          全国実行委員会(略 称)ピリカ全国実行委員会

 

 

            ≪≪≪≪≪≪≪◆≫≫≫≫≫≫≫

 

  「侵略史観」そのものの「開拓史観」を批判しよう

 

 8月5日、札幌市豊平区の総合体育館「北海きたえーる」を会場に、北海道150年事業実行委員会(会長・高橋はるみ北海道知事、会長代行・名和豊春北大総長)は、「連合北海道」、北海道アイヌ協会なども参加し、「明治150年式典」の一環として「北海道150年式典」を開催する。
  この式典にはアキヒト天皇・ミチコ皇后の出席と同時に天皇として最後の北海道への視察旅行として利尻島(リイシリ=高い島)への訪問も計画している。アイヌ民族にとって利尻島は、サハリン・クリル列島・アムール川流域への交易の海路(拠点)としてあったところであり、和人資本と日本人の大量の入植(植民)によって民族が絶滅の危機にさらされたところである。
 今回の「明治・北海道150年式典」の目的はどこにあるのか!
 「北海道150年式典」は、アイヌモシリ略奪・植民地支配、アイヌ民族虐殺・差別・同化政策の全歴史を肯定し、日本の近代史として「開拓史観」を賛美するものである。天皇制日本国家は「明治」以来、アイヌモシリ(人間の住む静かな大地)を国内植民地として位置づけ、日本の領土として併合してきた。
  それはアイヌ民族の一切の主権(民族自決権、先住権)を無きものとして奪い、大地などすべてを略奪し、主食としてきた鹿や鮭、家屋の材料となる森林の伐採なども禁止し、言語や文化などアイヌ民族としての生き方まで否定する差別・同化政策によって大虐殺(ジェノサイド)と民族抹殺をおこなった全歴史と「開拓の歴史」は一体であった。
 だがアイヌ民族は、あのグロテスクな「開道100年」記念塔を「侵略の塔」と弾劾し、この闘いを起点にアイヌ民族解放運動を今日まで発展させてきている。
 また北大をはじめ東大・京大・阪大などは、国策の差別的な「アイヌ研究」のためにアイヌ民族の遺骨・副葬品総数1600体余りを共同墓地から盗掘してきた。琉球民族、朝鮮人、台湾原住民などの遺骨も植民地支配のために略奪・研究してきている。これら遺骨は日本政府、大学が国策としてきた「アイヌ研究」、諸民族の「研究」のための犠牲者である。

 

「明治150年式典」、天皇代替りの「即位式典」と一体の天皇行事

今回の「北海道150年式典」は、改憲・戦争を推し進めてきた安倍政権が理想とする「明治天皇制国家」を賛美する「明治150年」の北海道版である。「開拓史観」の政治的原点は、「明治天皇」の「蝦夷地開拓のご下問書」(命令、1869年)にある。
 天皇が「勅語」(1869年)で「蝦夷地」を「北海道」と「命名」し、国内植民地として併合したうえで、ロシアとの対決に備え「皇国之北門の護り」のために北海道開拓に向けて土地、河川、山々、資源などの「調査」を徹底的に行い、「開拓」の戦略を献策せよと命じた。これはアイヌ民族にとっては、生きていくことも許されない過酷な支配体制の始まりであった。
 このアイヌ民族を抹殺する「開拓史観」(植民地支配)の精神は、今回の「150年式典」にも脈々とひき継れている。「北海道150年事業実行委員会」は、「積み重ねてきた歴史や先人の偉業を振り返り、感謝し」、「未来を展望しながら、互いを認め合う共生の社会を目差して」などと基本理念にかかげている。
 私たちは佐藤昌介、新渡戸稲造たち札幌農学校以来、今日の北海道大学に至る殖民学、「アイヌ研究」など北方侵略・植民地支配の帝国学問を推進してきた北大総長を実行委員会会長代行にしていること、また「共生社会」という名のもとで北海道アイヌ協会の加藤忠理事長を副会長に選んでいるこのギマン性を弾劾する。 2018.7.

 

 


北大糾弾ニュース73号  2018年7月20日

強制不妊手術国賠訴訟提訴に立ち会って思う
         しらかわせつこ(ピリカ全国実・札幌圏)

 6月28日、強制不妊手術国賠訴訟の第3次提訴が札幌でも行われた。「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という理由のもとに「障害者」、「精神障害者」、ハンセン病患者などに断種、中絶を強制した。
 アイヌ民族もまた「滅びゆく民族」「劣等民族」として抹殺され、研究の対象・標本にされてきた。
明治天皇制国家は、脱亜入欧、殖産興業のもと列強諸国の仲間入りのために、社会ダーヴィニズム・優生思想を最大限利用、人類・人間の淘汰を実践した。
 戦前は「国民素質の向上」を、戦後は「不良な子孫を産ませない」として、非人間的な強制不妊手術を続けていた。その優生思想は「劣性」と医者(国家)が認定した者たちは家族・国家の負担であるから断種してよいという考え方を人々に定着させた。
 藤野豊さん(敬和学園大)は(北大をはじめ)「道内の大学では戦前から優生学研究が盛んで当時道内で学んだ医師らに優生思想が根付き、多くの強制不妊につながった」(道新4/10)と見ている。まさに、北大は殖民学と一対のものとして優生学研究を盛んに行っていたのだ。
 731部隊のコレラ班にいた長友浪男陸軍少佐(東北大卒)は、戦争犯罪を免責された後1948年に厚生省入局、精神衛生局公衆衛生課長となった。この年に優生保護法は成立している。1960年の社会労働委員会で強制不妊手術件数アップのために積極的な発言をしている。1962年ころから北海道に赴任、衛生部長に、その後民生部長兼任の副知事になっている。退官後も社会福祉畑で影響力を発揮した。
 厚生省は強制不妊手術対象者について、「中国人」、「第3国人、旧日本人たる朝鮮人、台湾人など」、「連合国人、ドイツ人、イタリア人などへ適用しても差し支えない」(50年、60年)との回答を道に出していると報道されている(TBS、UHBテレビ)。
 1956年、道は冊子『優生手術(強制)千件突破を顧りみて』を発行した。「千件突破の実績を収め、優生保護法の面目を持し民族衛生の立ち場からも多大な意義をもたらした」と誇った。
 このように民族と人間の優劣を断定する社会ダーヴィニズムは、人類学、医学における優生思想に基づくアイヌ民族同化・抹殺と他民族への排外主義を煽り、「障害者」差別・抹殺の歴史を再生産した。
 いま安倍政権が祝わんとする「明治・北海道150年」は、戦争・侵略と差別構造を現在まで温存させてきたことを隠蔽している。新たな戦争国家体制、自衛隊(侵略軍)の強化と並行して「障害者」差別、民族排外主義が強まっている。「障害者」「高齢者」を「生きるに値しない」「不幸だ」とする津久井やまゆり園事件や、兵庫県の「不幸な子どもの生まれない運動」のもとに強制不妊手術などの施策を「ユニークな県民運動」として自画自賛する冊子の発行や、ヘイトスピーチなどによる「外国人」排外、排除を許してはならない。
 2019年度中、日本政府は、アイヌ民族の遺骨を「慰霊・研究施設」に一括収容しようとしている。アイヌ民族人骨事件の根底にある社会ダーヴィニズム・優生思想に基づく研究を弾劾しよう。大学・国家と研究者たちの謝罪と反省をぜひともかちとらなくてはならない。

 

 

野宿者対策と結びついた植民地支配
       金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 意外なことですが、現代の司法制度、特に執行猶予という刑事処罰は江戸時代の無宿人対策からはじまったものです。江戸時代の初期に身分制度から逸脱した者としてみなされた無宿人たちは次々と処刑されました。しかし、江戸時代の中期に入って、『確かに無宿をしているが、それで何か罪を犯しているわけではない』という視点から『更生』という発想が生まれました。一度は罪を犯したが、心を入れ替えてやりなおしなさい、ということです。これが現代の執行猶予につながっているわけです。そして、18世紀末から19世紀初頭にかけて、松平定信、長谷川平蔵の指揮のもと、無宿人を更生させる施設の『人足寄場』が江戸では石川島、大阪では高津(現大阪市の中央区)、函館、長崎などに設置されました。これが現代の東京拘置所、あるいは大阪拘置所につながっていきます。
 このような無宿人対策が明治以降の日本によるアジア・太平洋侵略にどのように適用されていったのかについて私は資料の発掘を続けています。というのは、侵略戦争、植民地支配をすれば生活を破壊された人々は当然いるにもかかわらず、その人々がその後どうなったのかについては明らかになっていないのではないか、すでに多くの本に書かれているように、朝鮮半島の人々の皆が皆、日本にきたわけでもありませんし、アジア民衆の皆が皆、抗日パルチザンや抗日ゲリラになったわけでもないでしょう。1974年に創文社から出版された『人足寄場史 我国の自由刑 保安処分の源流』の執筆者の一人である安平正吉が書いた『台東開道所について』、これはわたしが偶然図書館でみつけたものですが、台湾の『原住民』を、一定の住居または生業をもたない者を『浮浪者』として取り締まり、更生させる―――この更生とは、帝国臣民として心を入れ替えてやりなおしなさい―――政策があったことが書いてありました。このような『野宿者対策』と結びついた植民地支配は他のアジア・太平洋諸国・諸地域でもあったのではないかと考えます。
 1906年3月13日に台湾総督府は台湾の『原住民』に対して『浮浪者取締規則』を公布し、翌年の10月に台湾各地から18名の『原住民』を『浮浪者』として認定し台東の『加路蘭浮浪者収容所』に収容して木工、工芸、農業などの生活技能を習得させます。安平正吉は台湾の現地で政策に関わった人ですが、台湾の『原住民』の生活スタイルに対して、「一定の住居または生業をもたずして公安を害し、または風俗をみだすおそれがある。彼らは猛獣と等しく深山幽谷を住居として、争闘を事とし、人の頭を獲るを以て最も誇りとする、奇習ある化外の者にておはす」と。
 ある日、突然、台湾を一方的に植民地にして、『原住民』たちの生活スタイルが『犯罪』となったのです。当の『原住民』たちからすれば、一体何が犯罪で『更生』しなければならなかったのか理解できなかったにちがいありません。安平はこのような最大限の嫌悪感で書いてそこに、「もちろん婦女子は一人も収容していなかった」と、『もちろん』という書き方で読者の『原住民』に対する嫌悪感―――台湾の原住民のあの風習、奇習をみれば誰だって嫌悪感を持つにちがいない!―――を共有しています。結果としてこの『浮浪者対策』はやはりここでもうまく行かなかったのですが、それについて、 「思うに不良者を出すゆえんのものは、従来、解除後、本人を無条件に社会に解放し、しかも被解除者は、概ね蓄財なく、空手にして再びアルコ−ルや、町の香りのする彼等の古巣に送り還えされたによる。これは当局者の最大の注意を要すべき一点であった。刑政上彼等を無条件に社会に放置するほど、およそ無知というか、むしろ無責任に近いことはないのである。尤もかくの如き態度は、従来の法治主義、個人自由主義思想の当然の結論である」と。
 もう、言いたい放題です。だいたい当の『原住民』たちが頼みもしないのに勝手に『浮浪者対策』をはじめて、それが失敗したら『原住民』たちのせいにするというあまりにも酷い言い方ですが、私が安平の文書を読んでいて何がイヤかと言えば、『原住民』たちに対して終始一貫して嫌悪感を持って書いておきながら、自分たちは、日本はでもいいのですが、『原住民』たちに対して正しいことをしたと確信を持っていることです。なまじっかそこに悪意がないからよりイヤになるのです。
 


北大糾弾ニュース 72号 2018年4月20日


侵略と戦争の犠牲者6人の遺骨を、北大から取り戻した

山本一昭さんいつまでも、わたしたちとともに 
              ピリカ全国実・関西 秋山史
 
 ピリカ全国実を名実ともに代表されてきた山本一昭さんが、2001年4月に脳溢血で倒れられて17年、つれあいの山本ともえさんや介護者たちの手厚い看護をうけて闘病生活を送ってこられましたが、2月24日、カムイモシリに旅立たれました。75才、まだまだわたしたちを叱咤激励してほしかったと、残念な気持ちでいっぱいですが、それはもう許されないことで、ピリカ全国実がアイヌ民族の自決権を支持して連帯闘争を進めていくことをもって、一昭さん(いつも、そう呼んでいました)とともにありたいと決意しています。
 1995年2月5日、「アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会」(会長 山本一昭)よびかけの「『北方領土の日』反対!『アイヌ新法』の実現!アイヌ民族連帯札幌集会」が約100人の結集で開催され、アイヌモシリで初めて「北方領土の日」弾劾のデモがかちとられました。
 この年の7月26日、アイヌ民族のAさんが北大文学部古河講堂の研究室で、段ボール箱に1978年発行の新聞紙に包まれて無造作に詰め込まれた6体の頭骨を発見し、山本一昭さんに報告したことが、北大人骨事件のはじまりでした。糾弾闘争の経緯と現状については糾弾ニュースのコラムで毎号、お知らせしているとおりですが、当時のことを少し振り返って、一昭さんを偲びたいと思います。
 8月はじめ、札幌で第12回教育労働者全国交流会がもたれ、その場ではじめて山本一昭さんから、北大で発見された6体のイチャルパを北大構内のアイヌ民族の遺跡(集落跡)でとりおこなってから自宅で供養しているという話を聞きました。「夜になると遺骨が泣くんだ。酒を供えて慰めている」と。山本さんたちは北大に遺骨の調査を申し入れましたが、なんと北大は山本さんたちアイヌ民族を「黙って持ち去った」として窃盗犯よばわりしたのです。「家の周りにも、ここにも警察が張っている」と一昭さん。教育交流会はその緊張のまっただ中でおこなわれたのでした。一昭さんは「北大に返すと何をされるかわからない」と断固たる決意で、侵略と戦争の犠牲者である6人の遺骨を守り切っ たのです。ただちに山本一昭・小川隆吉・田中了・林炳澤さんを共同代表とする「北大人骨問題の真相を究明する会」が結成され、8月24日、北大と「遺骨を関係者に返還する」などとする確認書を交わし、北大文学部で慰霊の儀式をおこなったのち、調査のために遺骨が必要だと言う北大に、6体を渡したのです。
 12月1日、山本一昭さんの「自治区を取り戻す会」など2団体と2個人が「『北方領土の日』反対!『アイヌ新法』実現!全国実行委員会」結成を呼びかけ、翌96年2月3日、札幌でピリカ全国実結成総会と4日第2回札幌集会が開催され、北大人骨事件を追及する全国的な陣形が勝ち取られたのでした。
 北大は確認書にある「問題解決のために、必要があれば誠意をもって話し合う」という約束を反故にして話し合いを拒否し、自らの侵略責任を棚上げにするばかりか、現在も名和豊春北大総長が「北海道150年」事業実行委員会の会長代行を務めるなど、道の「開拓」賛美政策の重要な一翼を担い続けています。一昭さんの「北大とのチャランケは、日本の権力の侵略にたいする闘いとつながっている」(『飛礫11』)という言葉を胸に刻み、一昭さんとともに北大を追及し続けましょう。

 

  アイヌ民族遺骨強奪が許される社会と
「明治・北海道150年祝賀」

             (ピリカ関東会員 片岡万里子)
 
 
 東京大学や北海道大学へアイヌ民族の遺骨返還の申し入れに行くたびに、大学が示す侮蔑に満ちた態度に、怒りを通り越して不快感と嫌悪で破裂しそうになる。先日、東大の新入生が「官僚(や政治家)になって日本を動かす」と嬉々として語るのを見てやはり同様の気分に陥った。汗水たらして働く労働者は生産力・兵力のひとかけらに過ぎず権力の意のままに従えということなのだろう。
 遺骨を墓所から強奪するのはれっきとした犯罪行為である。にもかかわらず、アイヌ民族の遺骨を「領得」(刑法第190条)し、それが明らかになってもなお謝罪どころか頑として返還に応じようとはしない。仕方なく裁判に返還を訴えるアイヌ民族に対して、ぬけぬけと「裁判所の判断には従う」「しかしそれは返還ではない。あくまでも引き渡しだ」と言い張る。裁判所も、謝罪や賠償は論外で、1日も早く民族の手で再埋葬して土に返したいとのアイヌ民族の思いを逆手にとって「遺骨が返却されれば文句ないだろう」と言わんばかりだ。
 国家権力を後ろ盾にする大学の傲慢と差別、人権侵害は尽きない。それを許しているのは私たちの闘争の立ち遅れであり、その根本には天皇制支配への隷属と、民族排外主義への屈服がある。
 明治天皇制国家の歴史は、まさにアイヌモシリ侵略・民族抹殺の歴史そのものである。アイヌ民族の先住権を認め、奪った土地を、言語を、文化を、民族として生きる生存・生活権のすべてを国家責任においてアイヌ民族に謝罪の上、返させなければならない。アイヌ民族の遺骨を奪い返す闘いは、その大事な一歩であり、その実現に私たち日本の労働者人民は大きな責任を負う。政府・財界が歴史的責任を放棄し、さらに新たな侵略にむけて「明治・北海道150年」を祝おうとする今、改めてそれを肝に銘じ、8月札幌での「150年祝賀」反対闘争にも参加したい。
 
 


北大糾弾ニュース 71号 2018年2月28日発行

遺骨返還の闘いは日本人の人権と主権確立の闘い
                  ピリカ全国実・関西 松村素子

天皇制日本国家の御用人類学者たちによって盗まれた多くのアイヌ民族の遺骨が、今なお旧帝国大学の東大・北大・京大・阪大、各地の大学や研究施設に監禁されている。この間、アイヌ民族は北大に遺骨返還を求める裁判を提訴し、「和解」によって、浦河杵臼、浦幌、紋別でコタンへの返還をかちとり、再埋葬を実現した。つづいて昨年7月13日、旭川アイヌ協議会(会長・川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん)が遺骨・副葬品の返還を北大に要求する裁判をおこした。同年10月19日には日高地域・浦河町の「コタンの会」(清水祐二代表、葛野次雄副代表)が、北大と新ひだか町に対 して、遺骨返還や町営墓地の提供を求めて提訴した。さらに今年1月26日、同じく「コタンの会」と浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が、北海道と札幌医科大学に対し遺骨返還を求めて提訴した。私たち日本労働者人民は、アイヌ民族の裁判闘争を支援するとともに、自分たちの足元の大学に対する返還要求・抗議行動にとりくみ、ピリカ全国実の運動を広げることで遺骨返還を実現していかなければならないと思う。
アイヌ民族が一様に望んでいるのは、遺骨を大地に戻したいということだ。アイヌ民族にとって「尊厳ある慰霊は遺骨が土に戻ること」(葛野次雄さん)と言われているように、アイヌ民族の文化、宗教観、死生観にもとづく埋葬があることを私たち日本人は認識し、尊重しなければならな い。
また、子孫(祭祀承継者)だと特定できないと返還しないという日本政府や大学の姿勢に対して、アイヌ民族は「イエ制度にもとづく『和人』の考え方や墓制度の押しつけ。アイヌの伝統は家ごとではなくコタン(村)の共同墓地で弔ってきた。どのコタンから無断で遺体を持ち出したか特定できればコタンに返すべき」と糾弾している。「象徴空間に遺骨等を集約」(2014年6月13日閣議決定)するという政府の方針に関して、2017年6月27日の閣議決定では「出土地域のアイヌ関係団体」への返還、地域返還に変更したが、阪大がアイヌ民族の返還要求を無視してあくまでも象徴空間に移すと固執しているように、実際には祭祀承継者でなければ返還しないという態度だ。
他民族の文化・伝統 を尊重せず、天皇制日本国家の国策を強要するのは先住民族に対する主権侵害だ。イエ制度と戸籍制度は、天皇制支配のもとでつくりだされた女性差別思想と人民支配の制度だ。
遺骨返還の闘いは、日本労働者人民にとってアイヌ民族の自決権支持の内容であり、日本人の人権と主権を獲得する闘いである。

 

 

北大が旭川(近文)から略奪した遺骨の「研究」を弾劾せよ!

3月6日午後4時、第5回裁判(旭川地方裁判所)に結集を
             アイヌ民族の遺骨返還を支援する会・白川ただし

旭川アイヌ協議会と同・会長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんを原告とする遺骨・副葬品の返還を求める裁判は月1回のペースで進んできた。被告の北大は、裁判長から の要請で返還に向けた「和解協議」での「決着」を急いでいる。それは、遺骨、副葬品の保管のズサンかつデタラメな状態が暴露されるのを恐れていることと、謝罪も賠償(慰謝料の支払い)もせずに、「返還ではなく引き渡し」(北大準備書面)で決着をつけたいためである。
しかし、この間の北大への追及と批判のなかで、1985年に旭川に返還していた5体の遺骨のうち「旭川3」(頭蓋・下顎骨)と返還してこなかった四肢骨1箱の骨が整合することが新たに判明された(同一個体と評価)。従って、北大は総計8体(1985年に返還された頭骨5体、今回返還を求めている頭骨2体、四肢骨1箱)の遺骨を略奪していたことになる。
3月6日の裁判では、原告と畑地代理人は、〔樵阿特定で きている男性の氏名を原告に教えること(北大は情報公開制度を盾に個人情報は110年間は開示できないと述べてはばからない)、⊇性の副葬品・ガラス玉2ケの行方の解明(北大は今は保管していない、と逃げている)の2点を追及することになっている。
これらのやりとりは、これまで「和解協議」の前段階である「進行協議」の中で行われ、非公開である。である故に、近く旭川アイヌ協議会は、裁判とは別途にこれら未解明の諸点の解決に向けて北大に対して、「質問および話し合いを求める文書」を提出することにしている。
ところで北大医学部は戦前から、旭川(近文)のアイヌ民族の遺骨、身体の計測など通じて何を研究しようとしてきたのか。山崎春雄が日本解剖学会編『解剖学 雑誌』(第10巻第3号、1937年6月)に、学会の「特別講演」を要約して発表している「『アイヌ』人容貌の人類学的観察」を見てみよう。(カタカナをかなに、漢字は現代漢字などに変え、読みやすくしている)
「顔面の人種的特徴は頭骨におけるものよりは、生体の容貌による方が一見これをとらえることは容易であることは当然であるが、これを計測および記録により正確にその変異性を定めることは極めて困難にしてほとんど不可能である。多数の『アイヌ』人の正しき写真を撮り、それを印画したものを計測し、顔面およびその諸部分の大きさ、指数、比数、および側面の角度を取ってその変異性を吟味するに、従来生体につき計測機械にて計測した結果と差異なく、…直接計測しなくても知るこ とができる。…『アイヌ』民族は最近急激に体質の変化をしてきている。『アイヌ』人の写真を多数作製して将来の研究資料に備えることは目下の急務でるから、ここ3年来継続してとりくんでいる。」
明らかなことは、アイヌ民族の「人種的特徴」の「研究」を、これまでの頭骨の計測による比較だけでなく、身体全体の計測、さらには歯ならび、脳の大きさと重さ、身体内部の腸の長さなど軟部位に、また精神文化へと「研究」が拡大していったことを示している。まさにファシズム理論の人種差別論の全面展開へと向かったのである。
『北大医学部調査報告書』(北大、2013年)では、岡田正夫の「『アイヌ』容貌ノ研究」は、旭川アイヌ(男50人、女47人)、十勝アイヌ(男25人、女64人)、 日本人学生(男45人)の顔写真をつかい、「両人種ノ平均容貌」を示した、と書いている。
諸民族の頭、顔、身体などを計測し、そのデータをもって比較し、差異を数値で示すことによって民族の「優劣を評価」してきたのである。これは差別研究ではないのか。遺骨・副葬品は当然のことだが、身体計測データ、写真もアイヌ民族に閲覧させ、その処理をアイヌ民族の決定にゆだねるべきだ。そして「アイヌ研究」を謝罪し、遺骨などの研究を中止すべきなのだ。

 


ご案内 2・3「北方領土の日」反対! アイヌ民族連帯! 関西集会

強奪した遺骨の返還を!

  アイヌ民族の主権を獲得しよう! 


 2月3日 土 午後6時〜9時 

    国労大阪会館 3F中会議室(JR 天満駅下車 北西へ徒歩2分)

     参加費 1,000 円 (困難な方は相談に応じます)

 

   講 演      木村二三夫さん 

         三木ひかるさん(ピリカ全国実、史的唯物論研究所) 
 


木村二三夫さんのプロフィール  


 平取「アイヌ遺骨」を考える会・共同代表 

  先祖は新冠御料牧場内にあった「姉去(アネサル) コタン」に住むアイヌ民族。1916 年、強制移住によ って上貫気別(ヌキベツ/平取町旭)へ強制移住させら れた。北大は上貫気別のアイヌ墓地から遺骨を強奪し た。現在、遺骨返還を求めて裁判を準備している。


 
主 催 「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国集会・関西(ピリカ全国実・関西)

連絡先  労働者共闘  TEL&FAX  06-6304-8431     

           木村 敬  TEL&FAX 06-6706-2147

カンパのお願い 

     集会成功のために一口1,000 円のカンパをお願いします。

          郵便振替口座 00940−7−6595 ピリカ全国実・関西


北大糾弾ニュース 2018月1月22日 70号 

 

北大医学部ズサン遺骨・副葬品管理弾劾する
特定できる遺骨本人を明らかにすべきだ
          アイヌ民族の遺骨返還を支援する会・事務局


北大医学部がアイヌ民族の差別研究のために墓地などから略奪し、管理してきた遺骨・副葬品に対する扱いの乱暴さ、ズサンさがますます明らかになってきた。

さる1月18日午後、旭川アイヌ協議会会長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんと遺骨返還を求める裁判の代理人を努める畑地弁護士は、積雪が高く寒いなかにもかかわらずアイヌ民族の共同墓地・旭岡墓地で北大の代理人と北大職員3人を待ち受けた。

85年に北大に返還させた遺骨を安置してきた「納骨堂」を開け、4体の頭骨と1体の頭骨の骨片を取り出し、北大に一旦持ち帰らせるためである。目的は、その頭骨と北大が現在管理している頭骨がない2箱の四肢骨と同一人物の遺骨がどうかを照合・整合させるためである。

これまでの原告・弁護団の追及によって、北大は照合の結果、遺骨が合わなかった場合、旭川・近文から持ち出した遺骨は残る2体の頭骨と合わせて合計9体の遺骨となると答えている。

このことから次のことが明らかとなっている。

)迷腓離▲ぅ霧Φ罎脇骨の形質に関心をもち、他の四肢骨などはどうでもよく、ガラクタ同然に扱ってきたこと。

85年の返還時には旭川の遺骨は5体のみとウタリ協会(当時)に回答して返還した。しかし2013年の『北大医学部調査報告書』には返還されていなかった遺骨が2体あると報告し、さらに今回の裁判提訴で初めて2体の頭骨と四肢骨が2箱ある、と弁解したように実にいいかげんな態度であること。

80年代に海馬沢さんが初めて糾弾して以来、アイヌ民族から批判されてきたが、今日においても北大の遺骨管理は一貫してズサンな状態、真実を隠そうとしてきたこと。

さらに、北大は85年に返還した遺骨の副葬品(ガラス玉2ケ)について、情報公開請求で明らかになっているにもかかわらず、「今は保管していない」とヌケヌケと言っていることだ。ならばなぜ紛失したのか、誰が持ちさったのか、それを直ちに調査すべきである。

  最後に、返還されている5体の遺骨のなかに、私たちが求めた情報公開請求では名前が判明している女性が1人いる。だが北大は、名前にスミを塗り、遺族でないので教えないと拒否し続けている。今回の遺骨返還裁判でもその姿勢を改めていない。遺骨返還を受け、埋葬する主体である旭川アイヌ協議会にも名前を知らさないということがあってもいいのか!遺骨略奪、差別研究、そのうえに返還に際しても特定できる遺骨の名前は明らかにしないことを断じて認める訳にはいかない。各大学、研究機関ー文部科学省は調査を全面的にやり直すべきだ。

アイヌ民族の遺骨返還の闘いに連帯し、「支援する会」は団結して北大を追及していく。

第4回裁判は、1月23日午後1時15分から旭川地方裁判所です。仲間の参加を訴えます。

 

 

盗人たけだけしい「学者」たち
       ピリカ全国実・関東グループ(吉田 晃)


江戸時代末期の1865年、イギリスの箱館領事館員らが箱館(現在は「函館」)近郊の森村と落部(おとしべ)村で、アイヌ民族の遺骨を盗掘した事件が起きた。この事件を訴えられた徳川幕府の箱館奉行の小出秀實(ひでざね)は、イギリスの箱館領事ワイスに真相究明と遺骨返還を求め、当初ごまかしていた言い訳をひっくり返し、アイヌ民族への遺骨返還と謝罪・賠償を勝ち取った事件があった。まだ、治外法権下の時代に道理を通した珍しい事件だったそうだ。

この話は川村シンリツエオリパック・アイヌさんの講演で何度か聞いていて、気になっていた。今回、ネット検索で「デジタル八雲町史」の引用として「アイヌ人骨盗掘事件」を見つけ、概要を読むことができた。

その記事を読み進めていくと、終わりの方に「北海道帝国大学教授児玉作左衛門博士」が登場していた。その記事によると児玉は、1936年8月に、「学生とともに落部村と八雲町の返還埋葬されているアイヌ人骨を再発掘した。落部村では、問題の13体のほかに30数体のアイヌ人骨を収集し」大学の研究室へ送ったとのこと。おまけに、翌1936年9月に、昭和天皇裕仁が「本道においでになった際、児玉博士は釧路市のご宿所において、この歴史的な背景をもつ頭がい骨を、人類学的立場からご進講申し上げご覧を賜った」そうだ。

江戸時代でも、アイヌ民族の人骨を盗掘すれば、治外法権のイギリス人でさえ、返還・謝罪・賠償をせざるを得なかった。

それなのに、児玉は、アイヌ民族の遺骨を堂々と掘り返し、大学の研究室に送っている。すでに、「墳墓発掘死体損壊等罪」もあったはずで、墓地から遺骨を持ち出し大学で「保管」するなど、戦前の天皇制国家でも一般には許されることではない。

さらに、昭和天皇裕仁は、それらの頭骨について得意げに説明した児玉の話に聞き入っていたのだ。

森村の人骨については、返された人骨は偽物で、アイヌ民族の遺骨が今でもイギリスの博物館にあるそうだ。

この帝国主義者たちのおぞましい優勝劣敗の社会ダーウィニズムが、日本の大学や文部科学省の姿勢やイギリスの博物館の対応に現れている。落部村の遺骨は、現在でも北海道大学が持ち続けている。盗人たけだけしいというのは、こういう人たちのことだ。

アイヌ民族をはじめとした諸民族から奪った遺骨をコタンに返還し、謝罪・賠償するのは、江戸時代でなくともあたりまえの行為なのだ。

 


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