北大糾弾ニュース  85号 2020年2月5日

  
厚生労働省による戦没者遺骨収集の
                               杜撰な実態を弾劾しよう
   
       大盛 力(ピリカ全国実関東グループ)
 
 安倍政権・厚生労働省(以下、厚労省)の調査チームは昨年12月23日、シベリアやフィリピンで収集した旧日本軍兵士などの遺骨のうち607人分が取り間違いであった問題で、「報告書」を公表した。「報告書」は、「2005年から何度も疑いが指摘されたのに放置していたとして『(同省の対応は)問題意識が低く、引き継ぎや情報共有も不十分だった』」と結論づけた(東京新聞・19年12月23日夕刊)。厚労省の戦没者遺骨についての人権無視の杜撰な対応に怒りを通り越してあきれてしまった。
 「報告書」ではシベリア抑留者の遺骨として1999〜2014年に埋葬地9か所から597人分の遺骨が、日本人ではない可能性があるとしている。またフィリピンでは2010年に収容した遺骨10人分も同様に指摘した。そもそも、フィリピンでは、厚労省の委託で日本のNPO法人(空援隊)が収集した遺骨の一部に、日本人以外の骨が混入していると問題になり、10年から18年まで収集事業が中断した経緯がある。フィリピンの先住民族である先住民族マンギャン(ミンドロ島)と先住民族イフガオ(ルソン島)の指導者は、日本大使館に対して抗議している(2011年2月23日)。両民族の何百もの遺骨が、空援隊からの報酬(当初1体につき4000ペソ【約8000円】支払われたという。)を得た略奪者に盗骨されて日本に運ばれたのである。しかもイフガオの
男性は、先祖の遺骨が盗まれたことにショックを受けて自殺している。(【戦後処理】『遺骨収集に絡むフィリピン人被害者自殺』 フィリピン・インサイド・ニュース 2011/03/30 (水) 18:15)
 厚労省は、フィリピンにおいては空援隊に丸投げし、先住民族の墓(洞窟)をあばき、先住民族の遺骨を強奪していった。そして、金銭報酬によって先住民族の社会に分断を持ち込み自殺者まで出している。シベリアにおいてもロシア人の墓荒らしをしていたことは明白だ。
 すでに戦没者遺骨収集推進法が全会一致で施行している(2016年4月1日)。この法では「いまだ収容され、又は本邦に送還されていないものを収容し、本邦に送還し、及び当該戦没者の遺族に引き渡すこと」を「国の責務」とし、所管は厚労省である。今回の「報告書」に照らし出された厚労省の実態は、図らずも明治天皇制国家によるアイヌ民族、琉球民族に対する墓荒らし・盗骨の歴史が、現在まで続いている事を証明している。しかも白老「慰霊・研究施設」を見ても明らかなように、アイヌ民族遺骨差別研究こそが目的である。そこには一貫して墓や遺骨に対する畏敬や尊厳など微塵もない。
(編集注:マンギャン・イフガオはいくつかの民族が属する先住民族集団のため上記のような表記にさせていただいています。)
           
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野宿者対策とむすびついた植民地支配 13
          金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 日清戦争勃発直前の当時の各新聞には、列島各地で義勇兵、あるいは義勇団が結成されたことを報じています。ざっと目を通すなら高知で従軍志願者八百人(1894年6月26日時事)、旧水戸藩士族ら抜刀隊を編成し従軍志願(1894年6月29日時事)、侠客が遊び人一千人を糾合して従軍志願(1894年7月1日東京日日)、仙台で複数の団体が義勇兵組織化(1894年7月1日奥羽日日新聞)、総理大臣に義勇兵徴発請願(1894年6月26日東北)などが書いてありますが、この年のはじめから起きていた東学農民革命に対する弾圧と侵略は人々にこのような好戦的な雰囲気を生じさせたと考えます。「それチャンス!」とばかりに次々と結成される義勇兵、義勇団のあまりの多さに日清戦争が始まった直後の8月7日、明治天皇が義勇兵は必要なしと詔勅を出したほどです。
 しかし、それ以後も旧松浦藩士義勇団組織(1894年8月18日国民)、10月1日には宮城県庁に軍夫を招集して体格検査を行ったことが翌日の奥羽日日で報じられ、さらに読むと戊辰戦争の勇士、人夫となって従軍(10月14日時事)とあるように天皇の命令に背かない形で義勇兵、義勇団が結成されています。大谷正著の『兵士と軍夫の日清戦争』(有志舎)には一八九四年七月二三日の日本軍による朝鮮王宮攻撃で事実上の日清戦争がはじまり、二五日の豊島沖海戦と二九日の成歓・山の戦闘で、海上と陸上で日本軍は清国軍を攻撃した。八月一日付の清国に対する宣戦の詔によって日清開戦が正式に布告された。七月二三日の時点で、予備役・後備役の兵士を動員して戦時編制の定員を満たしていたのは広島の第五師団だけである(P50)と書いてありま
すが、人々は政府が正式に戦争を決定する前からすでに戦争モードに入っていたわけです。しかし、そうは言っても正規兵ではない以上、結局は軍夫の扱いであり与えられた任務も軍の中で一番軽んじられた輜重(しちょう)輸送です。――輜重輸卒が兵隊ならばトンボ、チョチョも鳥のうち!――このような者たちが馬の変わりとして――馬は将校乗馬、騎兵乗馬、砲兵用競馬の方が優先され、輸送用の馬は餌がかかるので必要とされなかった――物資を運んだということです。 宮城県史の第七巻には第二師団管理部に募集された軍夫は宮城・福島が各2500人、岩手・山形が1400人、その他馬の口取り1000人におよんだとあります。その多くが貧民であり、雑業で糊口を凌ぐ者であり、侠客であり、一千人の遊び人であり、自由党員であり、没落した武士であり、賊軍と呼ばれた奥羽藩士です。さらには博徒や力士たちもいました。どれもこれも当時の社会では鼻つまみ者でありませんか。「明治の御一新」に裏切られた者たちばかりです。今風に反社会勢力とまで言うのは言過ぎでしょうか。そこには三重の疎外があります。当時の各新聞が「人夫」「人足」「軍用人夫」と言い方ではあんまりだとして「義勇人夫」「従軍人夫」という書き方に変えますが、これがいったい何の気休めになったというのでしょうか。どう言おうとも「軍夫=半軍人」とみる社会意識は何も変わらなかったのですから。しかし、輜重輸卒も任務と思えば割り切れます。社会的地位も「言いたい者には言わせておけ」ですみます。しかし、それ以上にダメージになったのは日清戦争が文明の戦争と称されたにもかかわらず、軍夫たちには軍服も軍靴もなく法被に股引き、草鞋、福島会津の「軍夫」は白虎隊の格好でした。このような格好が思わぬ事態を引き起こしたのです。     (つづく)

第26回 ピリカ全国実札幌全国集会に参加を!

アイヌ民族遺骨問題を隠ぺいする

 4・24白老「民族共生象徴空間」開設反対!

民族自決権を支持し、

     アイヌ民族法制定運動を強めよう!

アイヌ民族、琉球民族、奄美人の遺骨返還をかちとろう!

   新天皇出席の東京オリンピック・パラリンピック反対!

 

【集会要綱】

 と き 2020年1月26日(日)開場9:00

           /開会9:30〜15:00 集会後デモ 

 ところ 札幌市教育文化会館

      (地下鉄東西線「西11丁目」下車スグ)(資料代 千円)

 

【集会の内容】

 午前 基調報告

  発言 川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん

            (旭川アイヌ協議会会長、ピリカ全国実代表)

      「遺骨返還をかちとり、『民族共生象徴空間』を批判する」

     原井一郎さん(奄美ジャーナリスト)

      「君知るやー奄美の島々が辿った道と京都大学遺骨問題」

     廣瀬健一郎さん(鹿児島純心女子大学教員)

      「『アイヌ施策法』を批判し、アイヌ民族の諸権利回復へ」

 午後

  発言  平田幸さん(レラの会代表)「釧路の遺骨を取り戻したい」

      井澤敏郎さん(平取アイヌ遺骨問題を考える会共同代表)

                   「平取の遺骨返還のとりくみ」

      ピリカ全国実・関東グループ/ピリカ全国実・関西

      /ピリカ全国実・札幌圏

      アイヌ民族、各地からのアピール

  討論、集会決議

 みんなで歌い、踊りましょう! 平田幸さん

 

【呼びかけ文】

 

 全国の会員、仲間のみなさん!第26回札幌全国集会 は2020年1月26日、上記のスローガンを掲げて開催します。 私たちはこの1年間、アイヌ民族の主権、すなわち アイヌ民族の存在を否定し、民族自決権を否定する遺骨略奪を糾弾してきました。遺骨をコタン(郷里)に取り戻す運動を進め、白老「慰霊・研究施設」への一括収容と遺骨研究の続行に対して闘ってきました。しかし北大、東大、京大、阪大など全国12大学と文部科学省は、遺骨の一括収容を強行し、さる12月14 日には「慰霊・研究施設」でイチャルパ(供養)を実施 しました。これは遺骨略奪、差別研究などの責任を隠 ぺいする行為です。民族差別の上塗りであり、2重、 3重にもアイヌ民族の尊厳を傷つけることであり、許 すことはできません。

 安倍政権は、遺骨の一括収―2020年4月24日「民族共生象徴空間」(国立アイヌ民族博物館など)と「ア イヌ施策推進法」(19年4月成立)を一体のものとして進めてきました。先住権、集団的諸権利をふくむ民族 自決権を否定した「アイヌ施策推進法」には、安倍政 権の目的、ネライが隠されています。アイヌ民族を天皇制日本国家の「国民」として同化を完了する攻撃で す。「アイヌ施策推進法」にはアイヌ民族は「先住民族」と書かれていますが、民族自決権を否定していることが示すように、日本国家に奪われてきた土地や資源、 遺骨などの現状回復する権利を持った先住民族とは決 して認めていません。
 今日、 「アイヌ施策推進法」を批判して、多くのアイ ヌ民族は民族自決権や先住権を明記したアイヌ民族法 の制定を要求しています。この運動と連帯していきましよう。 アイヌ民族自身の遺骨返還運動はこれからも持続的に続けられます。この運動は、今日、 琉球民族、奄美人の遺骨返還の活動を呼び起こし、連携しています。琉球民族は京大の遺骨略奪を厳しく弾劾し、京都地裁に提訴しました。奄美人は京大に対して遺骨返還の申し入れをしています。アイヌ民族、琉球民族、奄美人の遺骨返還の闘いは、天皇制日本国家 の侵略と植民地主義、同化政策を弾劾しています。謝罪と植民地支配の清算そして自己決定権(自決権)を要求しています。

 また、アイヌ民族を無視した「日ロ領土交渉」に引き続き反対し、2月7日「北方領土の日」廃止をかかげ、領土ナショナリズムと闘っていかなくてはなりません。安倍政権の2島返還の立場は、北方4島共同開発とサハリン・クリル諸島・シベリアの資源開発戦 略と一体で、独占資本の北方侵略体制を強めるものです。

 日本労働者人民自身は近代以来の天皇制日本国家、 独占資本家など支配階級の侵略と植民地支配、それらに奉仕してきた日本人類学会、日本考古学協会をはじめとする大学などの学問のあり方を厳しく批判する必要があります。労働者人民が社会の主人公として人民 主権の確立と民主主義を発展させていくことこそが重要です。

 さらに、2020年7月〜8月には東京オリンピック・ パラリンピックが開催されます。近代オリンピックの 出発は、植民地を支配し、先住諸民族の大地を奪い、 虐殺してきた帝国主義大国のスポーツ競技でした。ア イヌモシリを日本国家に併合し、アイヌ民族を虐殺したのは「明治」天皇制です。今回は新天皇が名誉総裁 として開会を宣言します。さらに男女のマラソンと競 歩の競技を札幌で開催するとしています。競争主義を 煽り、国威発揚、人民監視のオリンピック・パラリンピ ックの開催を許すことはできません。 最後に日本とアメリカは、1月22日〜2月8日、ア メリカ海兵隊所属の攻撃型輸送機オスプレイを参加させた日米合同軍事演習を千歳空港、千歳・恵庭の北海道 大演習場、矢臼別演習場などで行います。これはイラ ン周辺海域への自衛艦の派兵、沖縄の辺野古など新基地建設、沖縄先島諸島と奄美諸島での自衛隊基地建設、 小樽港への米艦船の2月寄港計画などとつながってい ます。アイヌモシリでの戦争準備に反対しましよう。 アイヌ民族、在日外国人、道内各地、全国からの仲 間の皆さんの参加をよびかけます。                       2019.12.17
 

●第26回全国集会成功のためにカンパを! 1口 千円でおねがいします。●

 郵便振込口座番号:02740-4-1679 口座名:ピリカモシリ社

 


 

各地の集会案内

関東2月2日(日)13:30〜神宮前地域交流センター(原宿駅)

     /「北方領土の日」廃止!白老「民族共生象徴空間」開設反対!関東集会

     /講演:木村二三夫さん(平取)

     /主催:ピリカ全国実・関東グループ

■関西■2月4日(火)18:00〜国労大阪会館(天満駅)

     /「北方領土の日」反対!関西集会

     /報告:平田幸さん(レラの会)/三木ひかるさん

    2月5日(水)京大抗議申入れ行動・デモ

     /主催:ピリカ全国実・関西

■沖縄■2月8日(土)14:00〜ぎのわんセミナーハウス(宜野湾市)

     /「北方領土の日」を考える沖縄集会/平田幸さん(レラの会)

      ・玉城毅さん(琉球遺骨返還訴訟原告)・亀谷正子さん(同)

     /主催:アイヌ民族と連帯するウルマの会

 


北大糾弾ニュース 84号 2019年12月5日

白老(「慰霊・研究施設」)への
       アイヌ民族遺骨の移管開始を弾劾する!
遺骨略奪を否定し、謝罪もない

      北大、札医大の「声明」

 
                                白川ただし(ピリカ全国実・札幌圏)
 
  北大、札医大をはじめ全国12大学は、11月5日、北大を皮切りに白老の「民族共生象徴空間」の一角に建設した「慰霊・研究施設」にアイヌ民族の遺骨の移管をひそかに開始した。
 また、遺骨の搬送に先立つ11月2日には、全国12大学の関係者たちと北海道アイヌ協会は、遺骨を収容するための「儀式」を「慰霊・研究施設」において実施していたことも明らかとなった。全国12大学は2000体にも及ぶ遺骨を墓地から盗掘するなどし、「アイヌ民族は滅びゆく運命にある」「人食い人種説」などをデッチあげ、日本人民に差別と偏見を煽り、今日なお遺骨の研究を続けようとしている。また北海道アイヌ協会は遺骨の白老への一括収容と遺骨研究の続行を認めている。さらに両者は、全国からの遺骨移管を終えた12月14日以降、今年中に「イチャルパ」を行うという。尊厳ある慰霊、丁重な供養などとウソぶき、遺骨(アイヌ民族)に対する二重、三重の侮辱と差別観がここにも示されている!
 また北大(11月5日)と札医大(11月19日)は移管に先立ち、「声明」をだしている。その中身は、北大はデタラメな「北大医学部人骨収蔵経緯に関する調査報告書」を強調し、札医大は「その時代の関係法令に沿って行われました」と違法、不法ではなかったと開き直っている。
 アイヌ民族からの謝罪要求については、北大の「声明」には「謝罪」に関する言葉は皆無である。遺骨の頭骨と四肢骨を分離して保管してきたとズサンな管理だったことを「反省」しているのみである。
 札医大は「今日の研究倫理の観点から適切とは言えないものがある。…今日のように研究計画の妥当性や倫理性を大学として審査し管理監督する体制がなかった。…本学としてはこれら事実を深刻に受け止め深く反省し、アイヌの方々が受けてこられた苦痛と苦難に対し、お詫び申しあげる」(要旨)とある。これでは「謝罪」になっていない。
 大学に要求されてきたことは差別研究の内容に具体的にふみこみ、自己批判することである。このことが根本問題なのである。
白老に遺骨が収容されても、アイヌ民族と私たちは引き続き、コタンへの遺骨の返還を要求し闘い続けていく。
 
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野宿者対策とむすびついた植民地支配 12
 
         金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 
 三十七、八年事件によりて、国庫債権の発行及勧業銀行における貯蓄債権の発行に当り、貯金者の希望により、現在の貯金をもって応募又は買入をなすの自由を与えたりしに、其の額、はなはだ多きに達したるをもって、三十七年十二月国庫債権に関する取扱手続きを定めたり。
 元来貯金の保管方は、あるいは管理者の名義を以て台湾銀行又は貯蓄銀行に預入し、あるいは貯蓄者の名義をもって郵便貯金となす等数変更し、遂に全く管理者の名義をもって台湾貯蓄銀行に預入し、一人の貯金額百円以上となりたるときは台湾銀行に移し、銀行及管理者において内訳簿を設備し、もって各人別に利子計算及受払いの便に供したり。

(『台湾鉄道史 下巻』より 編集注:原文は片仮名、旧漢字で書かれているため、読みやすく句読点を加え、行替えを行い、平仮名と今の漢字にしています。)
 
 労働者の貯金通帳を保管していたのが台湾総督府の鉄道部の経理課、あるいは出張所だったことを考えると、ここに書かれた管理者とは誰なのかおよそ見当はつくでしょう。台湾銀行が台湾総督府の民政長官だった後藤新平によって作られたことを押さえておく必要があるでしょう。
 台湾総督府の鉄道部に賦役、つまり強制労働を強いられた労働者たちのデズラ(編集注:出面、日給のこと)は、このような収奪によって再び台湾総督府に還元させられたわけです。労働者のデズラを強制貯金にして出し渋ったあげく台湾銀行の関係のある台湾貯蓄銀行に本当なら労働者の名義である貯金を勝手に管理者の名義変更してしまったばかりか、その貯金額が100円以上(明治後期の1円は現在の3800円に相当するとのことですが)になると台北市にある台湾銀行に移したのです。これまでならタテマエとしてでもあった七日以上の疾病や不治の災厄に備えしむるなどの言い分で必要と認めればまだ渡さないこともなかったのでしょうが、こうなると労働者の手にはますますお金が渡らなくなります。
 この当時、鉄道建設工事は竹南から海側と山側 に分かれて、台湾縦貫鉄道の最難工事と言われた苗栗―台中間の工事(台中駅は1905年6月10日開設)に追われていましたが、このようないそがしい時に、どんな日本人の管理者が賦役の原住民たちの要求に応えて台北までお金を引き出しに行ったというのでしょうか。しかし、そうは言っても人の貯金ですから、管理者が名義であっても好き勝手に使うことはできないでしょう。同時に通帳を取り上げられて名義も変えられた労働者が銀行の窓口に行っても追い返されたことは明らかでしょう。
 そう考えれば管理者が好き勝手に使ったことは否定しようがありません。だって台湾総督府の正式な公文書に労働者にビタ一文ごまかさずにデズラ、あるいは貯金を払ったとは一言も書いていないではありませんか!いえ、書いていないからデズラを払っていないとは言えないと言われればそうかもしれませんが、この台湾鉄道史に書かれた、「打狗出張所ノ分ハ材料不備二付調査ヲク」つまり、打狗出張所の労働者の強制貯金は材料の不備に付き調査をしていないので貯金がどうなったかはわからないと書いているじゃないですか!
 そして、ここでも疑問が出てきます。そもそも台湾鉄道建設の死亡者名簿にあった、あのようなあまりにも適当なデタラメな名義で貯金通帳を作ったのでしょうか。当然、通帳を作れば印鑑もいるとおもいますが、 どうだったのでしょうか。本当に強制貯金をしていたのでしょうか。(つづく)


北大糾弾ニュース 83号 2019年11月5日

日本人類学会は民族差別・人種差別に貫かれた
「人骨研究」を謝罪し、ただちに停止せよ!
大学は略奪した遺骨を返却せよ!

                                       秋山 史(ピリカ全国実・関西)

 日本人類学会(以下、学会)は7月22日、会長・篠田謙一(国立科学博物館副館長/人類研究部、京都大学卒)の名で、京都大学総長・山極壽一(京大卒)に対して、いま琉球民族が京大を訴えて京都地裁で闘っている遺骨返還請求裁判を妨害する「要望書」を提出した。
 「要望書」は「古人骨の管理と継承」について3つの原則に則った対応を取れ、という。原則とは、 峺顛郵」は学術的価値を持つ国民共有の文化財、◆峺顛郵資料」の保管は「資料の由来地を代表する唯一の組織である地方公共団体」と協議、「地方公共団体へ移管される際は研究資料としての保存継承と研究機会の継続的な提供を合意内容に含めるべき」。
 「原則に則った対応」とは、琉球民族に遺骨を返すな、ということである。
 この事実が報道されると、ただちに原告の琉球民族や支援者から抗議の声がまきおこった。ピリカ全国実も抗議文を発した(『ピリカモシリNo.88』2019年秋号に掲載)。
 原告の抗議文の一部を紹介すると、亀谷正子さんは、京大の金関丈夫が盗掘した遺骨は大切な祖先の「骨神(フニシン)」であり、「京大提訴から7ヶ月余の間に、琉球民族の信仰に関して知る努力を行うことなく『要望書』提出に至ったならば、琉球・沖縄人を差別する『学者研究ファースト』の傲慢さが見えてくる」、玉城毅さんは「1929年当時でも刑法、民法により違法である盗掘を(、)当たり前のように研究し、返還運動を権利として見るのではなく(、)害を及ぼすものとして見る手前勝手さに憤りを感じる」「遺骨の無くなった墓で手を合わせる悔しさを(、)あなた達盗人共犯者には判らないだろう」、松島泰勝さんは「琉球の歴史や文化を軽視する『要望書』の提出は、琉球民族全体に対する侮蔑・差別行為」であり「謝罪を求める」と怒りをこめて糾弾している。学会は回答を求められているにも関わらず、期限の9月末をすぎても、無視をきめこんでいる。
 人類学は帝国主義諸国が世界各国に侵略し植民地支配をおこなうために生まれた学問である。日本でも1884年に学会が設立され「日本でもっとも古い学会の一つ」(学会ホームページによる)としている。人類学は人間を「優劣」の価値判断で分類し、侵略国本国の人民にたいして民族・人種差別の観念をうえつけ植民地支配を正当だと思わせてきた。そして侵略の先兵に仕立て上げてきた。アイヌ民族、琉球民族、奄美人は京大が略奪した遺骨を返還しないのは、いまなお続く植民地主義だと弾劾している。帝国主義本国の私たちこそが、国家―大学―学会の植民地主義を徹底弾劾して闘わなければならない。それなくして「民族共生」など絶対にありえない。人類学批判を深めなければならない。

 

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野宿者対策とむすびついた植民地支配 11
            金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 叱れども払い戻しの基底緩やかなるガ貯め種々の口実を設け払い戻しを請求するものあるをもって三十四年十一月に至るり規約を改正し解備となり又は天変事変に罹りたるときもしくは二週間以上給料の支給を受けざるとき等にかぎり特に幾分の払戻を許可することとなしたり...。{台湾鉄道史(下)
(原文は片仮名、旧漢字で書かれているため、読みやすく平仮名と今の漢字にしています)}
叱れども払い戻しの基底緩やかなるガ貯め種々の口実を設け払い戻しを請求するものあるをもって三十四年十一月に至る 

 

粗い言い方になりますが、その日その日で労働力を切り売りする日雇に―その内実は賦役ですが―解傭というものがあるのかどうか疑問を感じます。ましてや、強制労働に他ならない脇役に解雇があるのかどうか。かりに解雇というものがあるとすれば、それはどのような状態なのでしょうか。いえ、台湾鉄道史に書かれた日雇という点から考えれば日雇に解雇がないとは言いません。会社やボーシン(現場の世話役を意味する。もとは甲板長、水夫長を意味するボースン、Boatswainが語源。転じて棒芯の字が当てられた)から「お前は使えないから明日から来なくてもいい!」と言われれば、それは言われた者にとってはまぎれもなく解雇にちがいないのですから。しかし、会社やボーシンにとって集めて現場に送りこんだ労働者が使えるか使えないかというよりも、そうは言っても、せめてスコップやツルハシぐらいは使えなければ話になりませんがそれにも増して重要なのは、その労働者のデズラ(編集注:出面、日給のこと)をピンハネすることにあるのは言うまでもありません。その例としてはやいところで、
 「野麦峠はダテには越さぬ 一つァー身のため親のため」と工女節を歌いながら製糸工場の門をくぐった12、3才のシンコ(新工)たちや「七つ八つからカンテラさげて 坑内さがるも親の罰」、「親の因果か 子にまでむくい 低い切羽で スラを曳く」(スラとは石炭を積んだそり状の物)と坑内唄にあらわされた炭坑労働に従事した子どもたちが出てきますが、 それが今から120年前のことで はなく現代においてもフクイチの除染作業に15才の少年を18才と偽って働かせていたように今なお続くものとして銘記しなければなりません。いったい、このような鬼悪魔的発想はどうやって思いついたものなのでしょうか。
 前号で書いたように、台湾総督府は「出産死亡解雇及七日以上の疾病又は特に其の必要を認むるのほか払渡をなささること等にして素より勤倹貯蓄の美風を涵養し不時の災厄に備えしむるの主旨に外ならず」と言って台湾の原住民のデズラを強制貯金していました。しかし台湾総督府は原住民が働いて納めさせられた貯金を払い戻すという、これを当たり前と言うにはあまりにも大げさすぎることさえも許せなかったのでしょう。「又は天変事変に罹りたるときもしくは二週間以上給料の支給を受けさるとき等にかぎり特に幾分の払戻を許可することとなしたり...」の旨で規約を改正しました。読んでいただければわかるように原住民の貯金の払い戻し請求は種々の口実を設けて出し渋ったあげく幾分の払戻を許可したわけですが、これをドロボーと呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょうか。台湾総督府をドロボー呼ばわりが言過ぎだとすれば、幾分の払戻した残りの貯金はどうなったのでしょうか。日を改めて払戻したのでしょうか。それともそのままうやむやにしたのでしょうか。歴史に対して後からの目線でみることに慎重でなければなりませんが、しかし、わたしはここに慎重さを持つ理由を感じません。なぜなら台湾総督府のやったことは120年前であれ現代であれ誰がどうみてもドロボーではありませんか。しかし、台湾総督府のドロボーは千里に向かってさらに突き進みゆきます。 (つづく)
 


11・24 アイヌ民族の遺骨を郷土へ!「民族共生象徴空間」開設反対!関東集会に参加を!

11・24 アイヌ民族の遺骨を郷土へ!「民族共生象徴空間」開設反対!関東集会
日時:11 月 24 日(日)13時15分開場
会場:渋谷区勤労福祉会館第二洋室  
   渋谷区神南 1-19-8(JR渋谷駅下車))
 講演:川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん    
           (旭川アイヌ協議会・会長)
報告:ピリカ全国実・関東グループ
主 催:ピリカ全国実・関東グループ
協 賛:東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会
連絡先:渋谷区恵比寿 4-19-5 ホワイトハイツ鈴木 103
    03-3446-9058
白老「慰霊・研究施設」への遺骨収容に反対しよう
 2020年4月24日、白老に開設予定の「民族共生象徴空間」は、アイヌ民族
の民族自決権を認めないまま、箱物(博物館等)設置をもってアイヌ政策を完
了し、アイヌ民族の同化を宣言するためのものです。特に慰霊施設=「慰霊・
研究施設」には、遺骨を略奪した大学や日本人類学会の責任を問うこともなく、
謝罪も賠償もないまま遺骨が一括収容されようとしています。11月上旬から
12月中旬にかけて遺骨の白老への移送が強行されようとしています。
 遺骨の一括収容に反対し、コタンへの返還を求めるアイヌ民族は裁判によっ
て返還をかちとってきました。しかもそれは長年の闘いによってやっとかち
とったものであり、ごく一部です。
 11月1日、浦幌アイヌ協会は東大が略奪した6体の遺骨の返還と賠償を求
めて釧路地裁に提訴しました。アイヌ民族の闘いを支持し連帯しましょう。東
大は、私たちの申し入れに対して「個々の問い合わせには応じられない」と話
し合いさえ拒否し続けています。東大からの遺骨移送に反対し、謝罪とコタン
への返還をかちとりましょう。

琉球民族遺骨返還運動と連帯しよう
 日本の人類学者による遺骨略奪はアイヌ民族だけではありません。京大・金
関丈夫による琉球民族遺骨略奪に対して、琉球民族は遺骨返還を求め裁判闘争
を進めています。京大に対してはアイヌ民族、琉球民族、奄美人が連帯して追
及しています。琉球民族遺骨返還運動を支持し、連帯しましょう。琉球遺骨返
還裁判に対して日本人類学会の篠田謙一会長が、京大に「要望書」を提出しま
した。遺骨を「研究材料」とする篠田・日本人類学会を弾劾しましょう。

アイヌ民族同化完了政策をうちやぶろう
 2020年東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、同年4月24日の「民
族共生象徴空間」が開設されようとしています。同年7月24日の東京オリンピッ
ク開会式では、新天皇ナルヒトが開会宣言をします。国威発揚と排外主義を扇
動し、アイヌモシリ侵略・アイヌ民族同化抹殺をおしすすめる天皇制を弾劾し
ましょう。                      2019年11月3日

北大糾弾ニュース 82号 2019年8月30日

25年目の北大文学部人骨事件糾弾の闘い
       大乗寺でのイチャルパ(供養)
  


  白川ただし(北大人骨問題の真相を究明する会)

 北大文学部人骨事件糾弾の闘いは25年目に突入した。天皇制日本国家の侵略戦争・植民地支配の責任が問われ、民族差別でもある文学部人骨事件の概要については本紙「解説」を読んでください。
 8月2日午後1時30分から1時間、大乗寺の一室にてイチャルパ(供養)が執りおこなわれた。祭司を努めたのは「究明する会」共同代表でもある川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん、そして関東、関西、札幌圏からのピリカ全国実の仲間たち約30名が参加した(写真・裏面)。
  大乗寺には07年7月26日以来、打本住職の力添えもあって、「日本男子20才」の頭骨、アイヌ民族と思われる「寄贈」頭骨の2体が仮安置されている。
 イチャルパは、終始アイヌプリ(アイヌ民族の儀式)で執りおこなわれた。祭司はアイヌ語でカムイに追悼の言葉で祈り、終了後早期に話し合いを再開し、一日も早く遺族が見つかるように努力しようと訴えた。
 女性たちは全員で、メノコイチャルパ(女性による供養)をおこない、それぞれ闘いの継続を誓った。
 この日のイチャルパに先立って、7月1日、「究明する会」は北大文学部長・山本文彦にたいして、『 改めて話し合いの早期再開の申し入れ』を文書で提出している。
 その文書では、「話し合いの継続を約束しておきながら…望月文学研究科長・文学部長が2008年4月に就任した時以来、話し合いを一方的に打ち切り、今日まで放置してきた」と弾劾し、「文学部は話し合いを拒否してきたことをまず謝罪し、真相の究明に向けて話し合いを早急に再開すべき」と要求している。
  しかしながら、今年も北大文学部から何らの「回答」もしてこなかった。おそらく、北大の中枢の官僚機構である大学理事会の意向(決定)が働いているのであろう。医学部も、文学部も「遺骨問題」についてはいっさい話し合うことを禁じる、文部科学省の指示にしたがうべきと。
 北大文学部は、大乗寺に仮安置している2体の頭骨を勝手に処分することはできない。
 「究明する会」との「真相の究明にむけて話し合いを続ける」という合意文書とともに、さらに大乗寺・打本住職との覚書「1.今回の納骨は、2体の身元が確認され、引き取り手が現れるまでの、仮の安置であること。2.北海道大学大学院文学研究科は、遺骨の身元や由来等について今後も出来る限りの調査を行うこと。」を交わしている。
 この間、ピリカ全国実・札幌圏は北大文学部とのチャランケを要求する新たなリーフレットの配布、北大教職員・学生への訴えなどをおこなっている。ひき続き努力していこう。

 


  野宿者対策とむすびついた植民地支配


      金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 『台湾鉄道史(下)』にこのようなことが書いてあります。
 第三章 日給者貯金
日給雇員及傭員の如き所謂下級の者に対しては強制的貯金を為さしめ他日有事の際に備えしむるの必要あること素より論なしとす。
 其の大要は毎月日給実収額十分の一を日給支給の際に於て控除すること。貯金通帳は経理課又は出張所に於て保管すること。出産死亡解雇及七日以上の疾病又は特に其の必要を認むるの他払渡しをなさざること等にして素より勤険(編集注:勤勉倹約)貯蓄の美風を涵養し(編集注:無理なく養う)不時の災厄に備えしむるの主旨に他ならずと…
 (原文は片仮名、旧漢字で書かれているため読みやすく、句点を加え、平仮名と今の漢字にしています)

 

 台湾人たちが頼みもしないのにある日突然、勝手に植民地支配を行い、これまた頼みもしないのに一方的に土地を奪って鉄道建設工事をはじめ、そのために使役した台湾人たちのデズラ (出面。日雇労働者の隠語で日給を意味する)を「勤険貯蓄の美風を涵養だの不時の災厄に備える」だのと言って貯金の名目でピンハネ、あわよくばネコババしたということです。
 そして、ここに、「又は特に其の必要を認むるの他払渡しをなさざること」と書いてありますが、其の必要があるかどうかは当事者が決めることであり、自分が働いたデズラで不時の災厄に備えようと心ならずも不埒なことに使おうと当人の勝手であって貯金を預かっている者が特に其の必要を認むるか否かなどと口を出すのは全く大きなお世話というものです。不時の災厄と言うのなら日本の植民地支配ほど大きな災厄はないと思いますが、この台湾鉄道史を書いた台湾総督府の職員には自分たちこそが災厄なのだという意識は全くありません。
 ここで確認しておきたいことは日給者、あるいは「日給雇員及傭員」と書いてありますが、これがそのまま文字通り、日給、つまり一日単位でデズラを得るという意味ではなく、其の大要は毎月日給実収額と書いてある箇所をふまえて読むと日給月給の雇用ということでしょう。粗い言い方をすれば、その日その日の鉄道建設工事の進展具合に合わせて労働者を働かせてデズラは月払いという全くずる賢いやり口です。これはわたしが体験したことですが、こういう仕事があったりなかったりする、どこまでアテにしていいかわからない不安定な状態で働かされると働いている方も段々おっくうになり、その仕事から足が遠のきデズラももらわずしまいになってしまうのですが、台湾鉄道建設工事の労働者たちもそうであったに違いありません。人を働かせてそのデズラをピンハネする、カスメとるという全くケチな商い、思いきって言えば江戸時代の口入れ稼業が今現在もあることを銘記する必要があるでしょう。


北大糾弾ニュース81号 2019 年7月26日

京都大学は奄美から盗んだ遺骨を元に戻せ
                            

                                   木下 豊(ピリカ全国実・関東グループ)


 2018年1月27日、琉球大学で開催された第11回公開シンポジウム(東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会・主催)に参加していた大津幸夫さんは、「京大医学部・清野研究室所蔵の遺骨内訳」(清野謙次等著「古代人骨の研究に基づく日本人種論 岩波書店1949年」に拠る)等の資料の提供を受けた。
 大津さんは、原井一郎さん(「自然と文化を守る奄美会議」)と共に、同年2月22日に「京都大学収蔵の奄美人骨問題への対応について」を発して「奄美独自の社会事情を考えた返還運動を進める」ために、遺骨を持ち出された(盗まれた)喜界島・奄美大島・徳之島の三島それぞれでの「遺骨の返還を求める会」を組織化し、「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会(大津幸夫代表)」を発足させた。大津さん達は18年3月、京都大学に遺骨返還を求める要望書を送ったが、現在まで回答はない。なお、「自然と文化を守る奄美会議」は奄美における住民運動の拠点となっており、大津さんと原井さんは中心的メンバーである。
 沖縄(琉球)からは、京都帝国大学医学部解剖学教室の足立文太郎の下に就任していた金関丈夫は、1928年〜29年にかけて3回にわたり今帰仁町・百按司墓の調査を行い百按司墓からの盗掘を中心に沖縄各地から合計約72体の遺骨を持ち出した。
 奄美からは大島北部の笠利村から1933年〜34年にかけて約80体、1935年には喜界島の喜界村と早町村から約93体、徳之島の伊仙村から92体(いずれも当時の地名)合計約265体以上の遺骨が、三宅宗悦(清野謙次の下で講師に就任していた)によって風葬墓等から盗掘された。金関も三宅も清野謙次の強い影響下にあった。清野は「清野コレクション」に象徴されるように研究対象に対する執着心が強く、遺骨だけではなく寺社から大量の経典を盗み出し、1938年に逮捕され有罪判決を受けている。帝国主義・植民地主義が学問のためならば遺骨を盗み人権を踏みにじってもよいとしている。京大の居直りを断じて許さない。
 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
 

                                  金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

  今さら言うまでもないことですが、明治以降の近代の資本の発展は労働者に対する賃金の不払いと借金づけによる搾取です。紡績、鉄道、炭坑、マッチ産業などどれを見ても血塗られた歴史ばかりです。その行き着いた先が国家総動員の一億総タコ部屋に支えられた戦争だったのです。戦後、GHQはこのような労働者供給業を廃止して職業安定法を実施し、北海道から九州まで全国のタコ部屋を摘発して行きました。1948年の12月末の時点で合法をよそおって摘発から逃れている業者に縛られている労働者も含めて220万人がタコ部屋につながれていました。しかし、それが過去のできごとではなく、今現在に於いても原発労働や派遣労働でピンハネや賃金の不払いが起きているわけです。このような搾取は植民地台湾でも例外ではありませんでした。
 1911年(明治44年)に台湾総督府鉄道部から出版された『台湾鉄道史 下巻』には、「職員共済会の創設は三十三年二月一日にして其の規約の要領は会員相互の情誼を表し不時の災厄を共済するの目的を以て名称を鉄道部共済会と名け雇員以上(日給者を除く)の職員より成り毎月受くるところの俸給実収額百分一を損金するの義務を負はしむ(後年改めて満六年に達したるものは其の義務を免除す)」と、それらしく書かれていますが、共済会がはじまった明治33年そして34年の収支については不明と書いてあります。つまり、台湾総督府鉄道部というまぎれもない大日本帝国のセクションが鉄道建設に従事する労働者の給料からお金を徴収したが、そのお金がどうなったのかわからないと堂々と台湾鉄道史という公式文章に書いているのです。こんなのがありでしょうか。前号の鉄道建設現場での死亡者名簿も適当でしたが、お金の管理についてもいいかげんだったのです。
 しかし、わたしの手元にある当時の新聞にはこのことに触れた記事は見当たりませんし、台湾に関するニュースは以外なほど少ないのです——台灣の新聞紙条例は日本より厳しい(明治33年2月2日日本)。その中でもこの頃の新聞記事には、建設は当分見合わせ(明治31年2月5日 報知)、また設立延期、建設資金集め困難(明治31年3月16日 台湾日報)、私設は無理、官設として早期竣工を望む(明治31年10月19日 時事)、結局会社は解散、総督府で敷設に決まる(明治32年3月14日 時事)と報じているように台湾鉄道会社にお金がなくて鉄道建設ができずついに倒産し、その事業を台湾総督府の鉄道部が直接担うことになったことを報じています。
 この時の中心人物は台湾総督府民政長官のあの後藤新平です。後藤は成立したばかりの台湾事業公債法で鉄道建設の資金繰りを行う一方で7月6日には台湾銀行も創業させます。台湾銀行の創業資、つまり運転資金は約900円、現在のお金にすると1800万円、頭取の月給が400円、現在のお金にすると800万円です。後藤が銀行の創立委員としてどれだけの給料をさらっていたのかはわかりません。しかし、後藤の立場は鉄道や銀行などの大きな事業のお金を扱うことができたわけです。労働者から共済の名目で集めたお金がどこにいったのかわからなくなったのはまさにこの時期だったということです。証拠があるかどうかは別にして共済金が鉄道事業の補填に使われたと考えるのが自然ではないでしょうか。少なくともそう思われても仕方がないではありませんか。
                              (つづく)
 


北大糾弾ニュース80号 2019年5月25日

アイヌ民族、琉球民族の自決権を勝ちとろう


             北山みなみ(ピリカ全国実・関西会員)

 

 先月4月19日、アイヌ文化振興法にかえて「アイヌ新法」が成立した。だが、「アイヌ新法」には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」とうたっているだけで、アイヌ民族の先住権、自決権についての保障が明記されていない。
 アイヌ民族が先住していた土地での自治権や、生活のための鮭漁、狩猟等の諸権利が奪われたままである。先住権の確立は、アイヌ民族の悲願であるにもかかわらず、安倍政権はアイヌ民族の誇りをとりもどせるように取り組むと言ってはいるが、なんら具体策が示されたわけではない。
 それどころか2020年4月には白老町に「民族共生象徴空間」を造り、同年7月東京オリンピックに乗じてひともうけしようと企んでいる。アイヌ民族を観光資源扱いし、また利用して、「観光立国」化を狙っているのだ。
 アイヌモシリに開拓民として和人を植民させ、侵略、植民地化し、天皇制日本国家のもとで収奪を極め続けた民族同化と、絶滅政策の歴史をよみがえらせてはならない。
 去る5月11日、日本維新の会沖縄北方問題特別委員の丸山衆院議員は、北方四島ビザなし交流で懇談し、戦争で島をとり返さないとどうしようもないとくりかえし発言した。安倍自民党政権の改憲策動のさなか、憲法9条に自衛隊明記をもちこもうとする戦争国家化と連動するものだ。
 そして安倍首相はロシアのプーチン大統領と「日ロ平和条約」を結ぼうとしている。先ず2島返還を足がかりに、ゆくゆくは4島ともに返還させるという条約を結ぼうとしている。日・ロの領土分割交渉はアイヌ民族の民族自決権をふみにじり進められている。
 北方諸島はもともとアイヌ民族が住んでいた土地を日本の植民者たちが奪ったところだ。「返せ北方領土」の標語は、侵略の認識を欠いた大泥棒のいい分だ。
 安倍政権は北方諸島の分割交渉をやめ、直ちにアイヌ民族の自決権を認めよ。そして盗掘した遺骨を返還せよ。
 アイヌ民族の遺骨は全国の12ヶ所の大学に保管されたまま、一部を除き未だに返還されていない。
 遺骨の返還をすすめる闘いは、2018年12月京都大学を提訴した琉球民族の遺骨返還請求訴訟へと結実した。
 京大は今帰仁の百按司墓から人骨を盗み、大学内に隠匿したまま琉球民族に返されていない。遺骨は古くから骨神として礼拝され、代々に亘って琉球の風葬である祭祀を行ってきた祖先の魂そのものである。京大は原告の訴えに耳を貸そうともせず、国家の後ろ盾のもと、話し合いすら拒否の態度だ。学問の府の支柱ともいうべき民主的な話し合いの実践を示すべきだ。
 アイヌ民族の自決権とともに琉球民族の自決権を勝ちとろう。謝罪と賠償を認めさせよう。
  

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
 

          金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)


 台湾総督府鉄道部が出した公式記録では1895年に81名、1896年に錫口での原住民との戦闘で死んだ22名を合わせて77名、1897年にはやはり原住民との戦闘で死んだ2名を合わせて16名と書いてあるのですが、死亡者名簿に死亡月日と合わせて病名とあらかじめ書いてあるようにそのほとんどが病死です。ご丁寧なのかふざけているのかわかりませんが、病名が病死と書かれている人たちもいます。果たしてこれが台湾総督府鉄道部としての公式記録、言ってしまえば、これが当時の日本政府が出した正式な公文書の記録なのだろうかと疑わざるをえません。たとえば、明治二十八年(1895年)の死亡者名簿、8月29日に赤痢で死んだ職工、坂本元次郎さんの次に8月31日にやはり赤痢で死んだ松本直次郎さんと書いてあったり、9月10日に赤痢兼脚気で死んだ駅夫・・・中澤要次郎さんと同じ日に脚気で死んだ軍夫の中野要次郎さんの名前があったり、中村末吉さんと同じ日に下村末吉さんが死んでいたり、それどころか明治31年(1898年)の7月4日に製鑵工(製缶工)の木山辰次郎さんが翌年の明治32年(1899年)の7月4日にも死んでいます。明治32年の記録はほとんど前年の丸写しですが、これは同姓同名の人が死んだということでしょうか。
 中国や台湾でこのような名前の人がいるのかどうかわからないのですが、張乞食さんと言う人夫として働かされた人に至っては明治31年9月18日に死んで、翌年の9月18日にも死んで、さらに明治41年(1908年)8月10日も組立工として死んだと記録されていますが、張乞食さんというのはそんなによくある名前なのでしょうか。これも同姓同名ということでしょうか。だれがどうみても当局が適当につけた名前ですよね。こんなのがありでしょうか。さきほど書いたように鉄道建設で死んだ者は戦死と同じ扱いということですが、靖国神社の霊示簿にも似たような、同じような名前がズラズラ並んでいるのでしょうか。実際、この死者たちも戦死した軍人と同じくそれにふさわしい扱いになっているのでしょうか。靖国神社が霊示簿から台湾の原住民の名前を抹消しないのはこういうことですか。抹消しようにも名前を適当につけているためにだれがどれやらわからないということですか。
 この鉄道建設工事は大倉組と有馬組が請け負った事業ですから日本人の労働者も死亡者名簿に記録されているし、劉青雲さんや王順さんの名前を見れば確かに台湾人や中国人らしい名前と言えないこともありません。しかし、実際、台湾の山奥で狩猟しながら、あるいは台湾東南部の蘭島で居住していたヤミ族のような原住民たちがわたしたちがイメージするような台湾人や中国人らしい名前を名乗っていたのでしょうか。当然、台湾の原住民にだってその種族の中では名前で呼ばれていたことはまちがいありません。はやい話として霧社蜂起を闘ったセデック族マへボ社の頭目モーナ・ルダオが出てきますが、死亡者名簿の中にそれに近い名前はありません。インターネットでは当て字で莫那・魯道となっていますが、それだって死亡者名簿にある名前から大きくかけ離れています。そもそもの話として、狩猟生活をしていた原住民たちが漢字で名前を書く、思い切って言えば文字を書く必要性があったのかどうかです。それらしい名前が書いてあるから日本人、あるいは劉さんや王さんと書いてあるから原住民と言えるような単純なものではないでしょう。台湾総督府鉄道部が記録したこの死亡者名簿に書かれている戦死者たちとは一体だれなのでしょうか。 (つづく)


北大糾弾ニュース 79号   2019年4月25日


なぜ、大学・博物館は遺骨、副葬品を返還しないのか!

国策の「アイヌ研究」、

墓地破壊を許可した法令、警察署の許可を弾劾する

 

        白川ただし(北大人骨問題の真相を究明する会)

 

 東大をはじめ全国の大学機関、博物館は、いまだにアイヌ・琉球民族の遺骨などの返還要求に真摯に応えていない。最近になって「地域返還」を認めるとしたが、その「ガイドライン」ではー婪瓩呂靴覆ぁ↓∧峇圓魑瓩瓩詭餌加賃里埋葬地・慰霊施設を確保すること、K菁尊厳ある慰霊を自前で実施すること、などの条件をつけている。これでは実質は返還を拒否し、白老の「慰霊・研究」施設に一括して移管し、「研究」を続けるという姿勢である。それを推進してきたのが東大ー文部科学省ー日本人類学会(会長・篠田謙一、国立科学博物館)である。
 「謝罪」「賠償」を認めない方針は、戦前・戦後をつらぬく「アイヌ研究」は国策であり、遺骨等の略奪も違法行為ではない、したがって遺骨等は東大をはじめとする大学や博物館の「所有物」という態度からでている。ここには批判者には真剣に向き合うという研究者の倫理さえ持ち合わせていないことを示している。
 国策としての「アイヌ研究」は、1933年に発足した「日本学術振興会学術部第8常置委員会第8委員会」の総合研究「アイヌノ医学的民族生物学的調査研究」によって、大々的に開始された。「生物学的調査研究」という差別的名のとおり、アイヌ民族の頭骨の形質だけでなく、骨格、脳(精神)、内臓、歯などすべてを調査・研究している。
 当然、アイヌ民族の墓地破壊、掘りつくし、遺骨・副葬品を持ち去っている。このコタン(郷里)の破壊をともなった暴力に対して、アイヌ民族は発掘する研究者たちに「やめろ」としがみついたり、鍬などをかざして抵抗したことが言い伝えられている。

 「学振第8委員会」は墓地の破壊、遺骨の略奪は当時の刑法でも処罰されることは十分に知っていた。だからこそ「学振」発足の翌年の1934年に北海道庁に手を回し、「庁令第83号(人骨発掘発見ニ関スル規定)」の適用を緩和させ、「古墳及び墳墓以外の場所」や「考古学上その他特に必要な場合に限り」、北海道庁長官に報告(申請)し、許可を得れば「人骨の発掘」はできるとしたのである。
 児玉作左衛門たちは、墓地であるにもかかわらず「墓地跡」とか、「原野」、「遺跡」と言い換える姑息なやり方によって、遺骨等を略奪した。
また各地の警察署も「人骨の処分」を「許可する」と許可証を交付してきた。
 こうしたやり口による遺骨略奪を「違法行為ではない」といえるのか。それだけではない。死者を弔い、埋葬してきたアイヌ民族の主権、精神(魂)を蹂躙しているではないか!
 私たちは、今、国家権力を背負った「学振第8委員会」(学者)、道庁、警察権力いったいのアイヌ民族に対する「差別研究」を弾劾しつづけ、謝罪とコタンへの返還をかちとらねばならない。
 この闘いは、アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮、中国、アジア・太平洋への侵略と植民地支配のなかで、軍隊の活動と連携して略奪してきた人骨、文化財等の返還問題とも重なっている。また児玉(北大)、小金井(東大)、清野(京大)などの膨大なコレクションを調査し、本来あるべき地域に返還させなくてはならない。オーストラリア連邦政府をはじめ各国、各地域で先住諸民族の返還運動は進められている。

 

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配


         金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)


 1895年、日本の台湾侵略と同時に基隆から西まわりに台南方面に向かって鉄道建設工事ははじまりますが、すでにあった基隆から新竹間の鉄道を接収してそこから台南・高雄に線路を伸ばして行くとは言え、線路があっちもこっちも破壊されていたり、そもそも設備自体が貧弱なために大型機関車が走れない、勾配が少しでもあると乗客が降りて列車を押していたために、「後押付鉄道」と呼ばれる状態でした。あの二人の外国人技師からすれば泣きながら一生懸命作った鉄道であっても、樺山初代総督からすれば台湾防衛と台湾統治の二つの問題を解決することはできない、全然ダメなものであって治して使うぐらいならはじめから作り治した方が良い状態だったのです。前号にも書いた西川著の『台湾縦貫鉄道』(人間の星社)には荷役や力仕事を軍夫として動員された相撲取りの力士たちが列車を押す場面があります。本来ならば荷物を運んだり力仕事は馬が使われるはずですが、日本の軍隊は馬を輸送艦に乗せれば場所を取る、当然、馬も一頭、二頭ではありませんから、何頭も乗せなければならない、その分だけ餌も乗せなければならない状態をなるべく避けて、その役割を博徒によって日雇人足として集められた力士たちにやらせたということです。
 こうしてはじまった鉄道建設ですが、台湾の地図をみてもらえればわかりますが、台湾というのは海岸線が真っ直ぐなために入り組んだ場所が少なく資材を積んだ輸送船を停泊できる港湾が整っていませんでした。さらにこれが一番大きな問題ですが、鉄道建設工事に必要な資金がたちまち底をついてしまい工事が中断してしまったのです。そのため1899年、台湾総督府民政長官の後藤新平は総督府に鉄道部を創設して工事を再開しました。このような難工事を経て1908年の4月に縦貫鉄道として基隆〜高雄までの約400キロが開通したのです。
 これは大阪府立図書館でみつけたものですが、台湾総督府から1910年に出版された鉄道史(上)には、このような記述があります。

 第三章 吊祭扶助
 鉄道課職工の死亡する者は軍人の戦死と同しく二十七年勅令第百六十四号に依り吊祭及扶助を賜ひ諸職工の死者あるときは台湾の兵站司令部より其の遺骨遺物及死亡診断書を本人原籍地留守師団へ送付し・・・・、 とあるように鉄道建設現場でなんらかの理由で死んだ者は軍人の戦死と同じ扱いだったわけです。
                     (詳細は次号に)

 


北大糾弾ニュース 78号 2019 年2月28日発行

 「坪井正五郎と吉見百穴」
    室山 祈 (ピリカ全国実・関東グループ)

 

私の卒業した高校の近くに古墳時代後期遺跡「吉見百穴」があります。地元埼玉では結構有名で少年ドラマ「ナショナル・キッド」「仮面ライダー」や「おもいっきり探偵団」のロケ地にもなっています。ところがこの遺跡が坪井正五郎と関わりがあるのです。
  坪井正五郎(東大理学部教授)といえばあのおぞましい小金井良精(東大医学部教授)と共謀してアイヌ民族の墓を荒らし回った極悪人ですが、それが「吉見百穴」に隣接する吉見町埋蔵文化財センターでは、「日本人類学の父といわれる坪井正五郎大先生」と崇め奉られていました。1887年東大大学院卒業論文作成のため「吉見百穴」を坪井は、調査しています。その時の写真が公開されていますが、東大の学生服を身につけ、遺跡の前で、さも偉そうにふんぞりかえっている姿を見たら、誰でも一目で「こいつヤナな野郎だな」と思います。ところが、この埋蔵文化センターで出されている坪井正五郎を紹介したパンフレットを書いた人が、私が高校時代に生徒会機関誌活動をしていた時の顧問の先生だったのです。当時日教組のバリバリの活動家の先生で「世界史」の先生でした。
 この先生は後に埼玉県の歴史博物館の館長になったり、大学の先生になったりして2年ほど前亡くなった方ですが、この人が坪井正五郎を「吉見百穴」の歴史的意義を発見した人だと言わんばかりの大賛辞をしているのです。歴史を研究しているのなら坪井正五郎がアイヌモシリでアイヌ民族の墓を小金井と共に荒らし回った事を知っていたはずですが、この事には一切触れていませんでした。
 坪井正五郎についてもうひとつあります。2年ほど前に博多に行った時、博多人形館で世界各国の民族衣装をつけた博多人形のコーナーがありました。そこに何と坪井正五郎の写真と業績が展示されていました。まるで「人類館」事件を居直るような内容でした。このように、アイヌ民族遺骨を小金井良精と共に盗掘した坪井正五郎が人類学や考古学の父のように言われ、その影で彼が行った「学問の暴力」を問いただせない現状をなんとかしなければならないと思います。そして「民族共生空間」という空虚な掛け声のもとにアイヌ民族の遺骨を蹂躙する「慰霊・研究施設」なるものが2019年秋〜20年はじめに、白老町で開設されようとしていますが、私たちは絶対にそれを許してはならないと思います。
 
野宿者対策とむすびついた植民地支配
    金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 

1894年8月1日にはじまったとされる日清戦争は翌年の4月17日に下関講和条約の締結によって終わったことになっています。しかし、近代日本にとって最初の対外戦争となったこの戦争が1894年8月1日に 突如勃発したわけでもなければ、1895年4月17日に終結したわけでもなく、8月1日の戦争勃発にいたるまで戦火の火種はくすぶっていたし、下関講和条約の締結後も戦火の火が消えたわけでもなかったのです。そればかりか戦火の火はその後、20世紀前半の50年間に渡って燃え続け今もくすぶっています。
 表面的には戦争の終結とされた下関講和条約に対して怒りや敵愾心、あるいは屈辱を感じたのは戦争に敗けて、領土を割譲されて莫大な賠償金をとられた清国側だけではありませんでした。下関講和条約に書かれた、「朝鮮が完全な独立国であることを確認すること。」と朝鮮の代表のいない所で日本と清国の間で勝手に独立国にされて実質は日本の支配に置かれた朝鮮もまた怒りや屈辱感を押さえることができなかったでしょう。一方で戦勝国であるにもかかわらず、三国干渉を突きつけられた日本側もそうですが、それとはまた別の意味で屈辱感を持った者たちがいました。
 それは宇品港、つまり広島から4月10日に出撃して大連に到着した4月14日に全戦線に休戦命令がくだり――すでに3月30日、台湾以外の地で停戦が調停されていたにもかかわらず清に出撃した! ――17日には下関講和条約が締結したため何もやることがなくなった兵隊たちのことです。だからと言って大連や旅順観光をする気にもならず――兵隊たちは戦争のために来たのですから――軍艦で油を売っていました。しかし、日本政府はその兵隊たちにいつまでもムダ飯を食わせて油を売らせはしませんでした。下関講和条約で台湾割譲が決まると同時に台湾に転進命令を下したのです。その約1ヶ月後の5月22日に北白河能久親王が乗った薩摩丸を先頭に16隻の軍艦が旅順港から出撃しました。そして、5月29日、台湾北部の奥底での戦闘がはじまりました。
 日本と清の間で「化外の地」として勝手に割譲された台湾では総統に就任した唐景鷭簓錣台湾民主国宣言を発し、民衆も抵抗闘争に起ち上がりましたが、休戦による 抑圧を爆発させた日本軍を押し止めることはできませんでした。作家、西川満は台湾縦貫鉄道(人間の星社)で従軍写真技師、いわば戦場カメラマンの恒川清一郎の目を通じてこの時の兵隊たちがいかにいきいきと台湾に侵攻して行ったかを書いています。
 6月7日、日本軍はベッケル技師、マシスン技師の涙の結晶と言うべき台湾縦貫鉄道――1893年にようやく基隆から新竹まで約100キロが開通しました。新竹から終点の高雄まで322キロです――残されたドイツのホーヘンツォレルン社が1887年に製作した蒸気機関車を接収しました。それは初代巡焦、劉銘伝が命名した騰雲1号でした。1895年6月10日には修繕を終えて基隆から台北まで、7月10日に新竹間の運行しました。こうして日本は植民地政策に不可欠な鉄道を獲得し、それ以後、台湾全土に鉄道を建設していきます。しかし、その鉄道建設工事は台湾原住民たちを「賦役」として動員し使い棄てた奴隷労働そのものでした。 (つづく)

 


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