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北大糾弾ニュース  88号  2020年 5月 26日

  追悼 平田幸さん
        木村敬(ピリカ全国実・関西)
 
 5月19日に平田幸さんが亡くなられ、23日に、ご家族を中心に告別式が営まれました。急なことでもあり、東京のメンバーが代表者として告別式に参加させていただきました。ガンがわかり、入院後1週間で急逝されたということで、あまりにも突然の報せに、受け入れきれずにいます。
 平田幸さんには、2010年以来、関西で取り組む秋のアイヌ民族連帯交流会にゲストとして参加していただき、積極的に問題提起をいただくと同時に、歌や踊りを教えていただきました。2012年には札幌全国集会にも初めて参加され、今年の全国集会では開会あいさつをしていただきました。
 京都大学に、とらわれたままの釧路の遺骨をコタンに返すべく、具体的な活動を続けてこられると共に、京大に対して、遺骨の面会を求め続ける中での悲報でした。
 「兼一(川村)さんと一緒に歩く中で、本当にいろんなことを勉強してきた。」「絶対、(京大から遺骨を)返してもらわなきゃいけない。」「(今の状況では)釧路アイヌに話をすることもできない。返ってこなきゃ、私がうそつきになっちゃうんだよ」と集会前にお食事をしながら、おしゃべりしたのは、2月のことでした。
 平田さんの強い願いを受け継ぎ、遺骨のコタンへの返還を実現することで、平田さんに安心していただきたいと思います。

アイヌ民族の遺骨返還闘争が問うもの
    野村洋子(ピリカ全国実・関東グループ)
 去る5月19日、東大や京大にアイヌ民族の遺骨返還を要求して闘っていた平田幸さん死亡の報に接し、大きな衝撃を受けました。
 平田さんは、民族差別の中で自らを「アイヌとは人間だから堂々と生きよう」と生きてきました。その証として「踊りや料理だけじゃない」と遺骨返還を闘いだした契機を語られていました。「盗んだモノ(遺骨)を返還するのは当然だ」。
 遺骨返還を要求した文部科学省「アイヌ遺骨等地域返還連絡室」から『アイヌの証明』(家系図、カタカナが5文字以上のアイヌ名が記載された住民票など)を要求されたと怒りをあらわにしていました。
 私は、アイヌ民族に『アイヌの証明』なるものを要求する日本国家の差別を突き付けられたといまでも鮮明に覚えています。平田さんの意思を受けて「遺骨問題」を闘っていかなければと思っています。
 略奪したアイヌ民族遺骨、副葬品を一括収容する慰霊・研究施設がある「民族象徴空間」の開設が、新型コロナウイルス感染拡大で延期になっています。
 赤羽国交相は、「6月中に町民向けの内覧会」を開き、開業は内覧会後間隔を開けずに行い、同時の開園記念式典開催を考えていると述べています。
 そもそも北大など旧帝国大学は、アイヌ民族を「滅びゆく民族」として国策的差別研究を行ってきました。差別研究の目的は、優勝劣敗の社会進化論によって天皇制日本国家の優秀性を証明するためです。そのためアイヌ民族の遺骨、副葬品を略奪しアイヌモシリ侵略植民地支配を正当化しようとしてきました。
 そこには天皇制国家を支える単一民族史観が貫かれています。天皇制国家の歴史観が戦後も脈々と受け継がれています。自民党政権でたびたび「単一民族」発言が行われます。麻生副首相は今年1月再び「2000年にわたり、一つの国で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いているのはここしかない。」と発言しました。政府のアイヌ民族を「先住民族」とした決議などを理由に、翌日麻生は「誤解を与えた」との発言で幕引きをはかろうとしました。
 菅官房長官がアイヌ模様のマスクをつけて記者会見で「アイヌ文化に資する」などとパフォーマンスをしましたが、そんなことでアイヌ民族文化を大切にしているわけではありません。私たちはアイヌ民族に同化をもたらす天皇制―単一民族国家観との闘いこそが問われていると思います。「民族象徴空間」はアイヌ民族の歴史も文化も天皇制国家への統合―同化攻撃です。6月中の「民族象徴空間」の「記念式典」、開業が予想されます。「民族象徴空間」開設反対の闘いを継続しよう。

野宿者対策とむすびついた植民地支配 16
        金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 明治末期から大正にかけて台湾では多くの抗日武力闘争が繰り返されました。手元の参考文献から拾いあげると1907年の客家人、蔡清琳による「北埔事件」、1912年3月23日の三菱財閥による竹林の強奪に対する農民十数名が抗議した「林杞埔事件」、その結果、13 名が逮捕され8名が死刑となった。その3ヶ月後に起きた辛亥革命の影響を受けた黄朝による「土庫事件」、翌年の「苗栗事件」でもやはり辛亥革命の影響を受けた者たちが闘争の中心でした。1911年、日本政府は「五ヵ年継続理蕃事業」として、帰順しない原住民に対して軍隊や警察、官民の支援協力による討伐が吹き荒れていました。当時の中国大陸、とくに台湾の対岸の南清では辛亥革命、そして第二革命の失敗と民族意識の高揚というカオスな状態でした。余清芳が組織した時のタパニー事件(1915年)とはこのような緊迫した政治情勢の中で起きたということです。
 さて、その余清芳は台東浮浪者収容所では模範収容者として勤め2年後に出所します。その後、台湾人の宗教のひとつで食菜人、菜食主義者、今風に言えば、ベジタリアンあるいはビーガンですが、そのような思考を持った人たちが集まる西来庵という寺廟に行き、 日本人を台湾から追い出すためにこのようなアジテーションを飛ばして同志 を募りました。「大正4年に日本は撤退し、支那から多数の軍隊が渡来してくる。 日本人撃退後は、人民に貧富の懸隔なく担税を徴せず、法律的規制のない絶対の自由境を得る」
 本島人による最後の大規模な抗日武力闘争と言われる、このタパニー事件ですが、実は台湾に独立国「大明慈悲国」を樹立しようという宗教に裏打ちされた闘争であったことを押さえておく必要があるでしょう。この点、冒頭にあげた辛亥革命に影響された抗日闘争とは質が違うということです。さしあたり、余清芳の訴えに、こたえた者が2人現れます。1人は羅俊という保甲書記、つまり日本の警察の業務を担っていたのですが、叛旗を翻して抗日闘争に身を投じ、多くの同志とともに中国に渡り、再度台湾での抗日闘争のために奔走していた人です。そして、もう1人は江定という区長もしていた名望家でしたが、住民とトラブルを起こした末に殺害して捕われたものの隙をみて脱走して抗日ゲリラになっていた人です。いずれも一時は日本の体制のもとで働いていた過去を持つ転向者たちです。こうして3人は互いに連絡を取り合いながら抗日闘争を組織していったのです。一方、日本の警察も内偵と弾圧に動き出しました。竹中信子著の『植民地台湾の日本女性生活史 大正編』(田畑書店)には、
「秘密が露見したのは、入牢中の日本人が、出獄に際して内密に連絡文章を託されたことによる。手紙は警察に押収された。」
と書いてあります。この日本人はレポ係でしょうか。それとも警察のスパイだったのでしょうか。                     (つづく)

北大糾弾ニュース  87号  2020年4月20日

 「象徴空間」をどうするか?   
      
            黒田秀之(札幌)
 年間百万人の来訪者を見込んで開設準備を進めてきた白老の「民族共生象徴空間」が、これまで知られていなかったウイルスの感染の広がりで、4月のオープンを延期せざるをえなくなった。そして百万人という目論見に弾みをつけるはずだった東京オリンピック・パラリンピックも一年の延期。今、それが来年の夏に開催できると予想する人はどれほどいるだろう。誘致するのに恥ずかしげもなく(福島原発が)「アンダーコントロール」とは、よく言えたもんだと苦々しく思っていたところに、今度は感染症。これをアンダーコントロールとは、よもや言えまい。ひたすら見得を切っては立場を乱用してきた彼とその取り巻きとのあざとい手法もこれまでか?
 そしてフクシマはギリシャから運んできた「火」と、冷やし続けるしかない「火」と、二つ抱え込まされてしまった。
 2008年の洞爺湖サミット向けの国会決議が「先住民族とすることを求める」であり(唯一の立法機関である国会が「すること」とは言い切らなかった!)、2019年の「アイヌ施策推進法」は法律上初めて「先住民族」と記したものの、「権利」は一切認めず、オリンピック・パラリンピックに向けて来日するであろう海外からの旅行者に向け体裁をとりつくろうもの。1899年の「北海道旧土人保護法」にしても「日本国内を自由往来するようになる欧米人」の目を気づかってのことだった。
 百万人は及びもつかないことになってしまった「象徴空間」、そのホームページを見ると、なんと「2021年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に先立ちオープンし、年間来場者数100万人を目指します」。早々に上書きしたのか。怒りがこみあげてくる。もうこの際、「お役人たち」には一切手を引いてもらい「アイヌによるアイヌのためのアイヌの拠点」にでもしなければ、そこを仕事の場にしようとする人をくじけさせるばかりだ。このページにはポロト湖を囲んで設けられた様々な施設の地図が載っているが、「慰霊施設」の表示はない。百万人の目には触れてほしくないというわけだ。
 その施設には北大「アイヌ納骨堂」から運び込まれた1,015体の遺骨もある。地域返還が求められている遺骨は残されているが、納骨堂は空になった。マラソンランナーはその前を走り抜け、そして放置されていた6体の遺骨が見つかった古河講堂を過ぎてゆくことになる(ハズだった)。7月末、私たちは大乗寺での北大文学部に仮安置させた2体の遺骨に対するイチャルパなどを続ける。

 

 野宿者対策とむすびついた植民地支配 15
        金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 日本の植民地下での野宿者政策について書いた本は、ほとんど見あたりません。植民地支配が即野宿生活になるとは言いませんが、そこで生活している人々の生活が破壊されることは言うまでもありません。このような状態を強いられた人々について、わたしが知る限りでは一番古い1898年の2つの事例、1月10日づけの門司新報の古河鉱業下山田炭鉱の朝鮮人鉱夫に対する朝鮮官史の旅券交付不許可、そして三井田川鉱の朝鮮人2名の死者ですが、それはその後の約50年間におよぶ植民地支配にさらされた無数の朝鮮人の姿であり、今もなお解決できない問題です。その一方で植民地下の朝鮮で日本人の行路病者、つまり、朝鮮で野宿になった日本人の保護の記録が公表されてきたように少しずつ研究、考察が進んでいることも事実です。もっとも、これは社会福祉政策の視点からの研究、考察であって寄場、日雇労働の視点からのものではありません。わたしが引用している安平政吉の論文も台湾の原住民ともヤクザ者ともわからない者たちを化外の者=浮浪者と一括りにして悪口雑言を並べているだけの具体性のないものです。その点、台湾協会理事だった竹中信子著の『植民地台湾の日本女性史』(田畑書店)の方がまだ具体性があります。その台湾浮浪者政策の具体的な事例として1915年に起きた事件、西来庵(せいらいあん)事件、あるいは首謀者が余清芳だったことから余清芳事件とも呼ばれていますが、この余清芳が安平政吉が書いた台東開導所に収容されていたのです。
 首謀者の一人、余清芳は警察動務の巡査補時代、詐欺取財をしたために解職されたという。その後正業につくことなくもなく、何かと抗日的言動があったらしく、明治四十二年(1909)年、台東浮浪者収容所に送られてしまった。(『植民地台湾の女性史 大正編』 P94 田畑書店)
 つまるところ、余清芳は単に正業につかないとか治安を脅かす者ではなく何かと抗日的言動があったらしい札付きの者として収容されたということでしょう。安平政吉によれば、
 領台後、約10年余を経た明治三九(1906)年三月一三日の台湾総督府律令第二号「台湾浮浪者取締規則」に基づいて、明治四〇(1907)年総督告示 第一四九号で台東庁の「加路蘭社」に、「加路蘭浮浪者収容所設置の件」が公布されることによって、その法的出現をみたものであったついでが四一(1908)年一月四日、現実に、台北、桃園、新竹、台中、台南の五庁から、浮浪者として、はじめて強制就業を命じられた者、二十三名を収容したのが、その発足であった(『人足寄場史』 P493 創文社)
 と書いていますが、竹中信子の記述、そして、中野正剛の「台湾の学生でも、何でも本島に於いて聊か(いささか)不穏な言動をなせば、行政処分を以て、之を島流しにすることができる」(前掲P494)の発言を考えれば台湾の浮浪者政策が単に『浮浪者』を収容するだけではなく、抗日闘争を弾圧する意図も持った対策としてとらえることができるのではないでしょうか。   (つづく)
       ※引用内( )は編集部で補足しました。

ご連絡

  コロナウイルス対策などのため、4月17日の札幌集会、4月18日の白老集会は中止させていただきます。ご理解ください。
ピリカ全国実行委員会(011-375-9711)

白老「民族共生象徴空間」開設に反対しよう!

札幌(4月17日)

  〜白老現地集会・デモ(4月18日)に総結集を!

 「象徴空間」は、新型コロナウイルスの蔓延のため、開園を5月28日まで延期となりました。
しかし私たちは、アイヌ民族の民族自決権を否定した「アイヌ施策推進法」の「扇の要」と位置付けている「象徴空間」に反対するため集会とデモに取り組みます。

遺骨返還問題の隠ぺいとアイヌ民族の民族自決権否定を許さない!

遺骨はコタンへ!「アイヌ施策推進法」弾劾!

真のアイヌ民族法かちとろう!をめざして共に闘いましょう

 

(1)札幌集会 高等学校教職員センタ−(地下鉄東西線「西11丁目」下車すぐ)
   4月17日(金)午後6時開会〜、(資料代500円)
   ・基調報告 ・アイヌ民族、参加者などからの発言
(2)白老集会 しらおい創造空間『蔵』(JR白老駅から徒歩10分)           
  4月18日(土)11時30分開会、昼食休憩、13時30分デモ予定 (資料代500円)
     アイヌ民族、参加者からのアピール、意見交換 

 
主催は、札幌・白老集会ともピリカ全国実行委員会
 問い合わせ先:011−375−9711ピリカモシリ社

   

北大糾弾ニュース  86号  2020年3月10日

アイヌ民族支配宣言の風俗展示の創始
   
         木村 敬(ピリカ全国実・関西)
 
 樺太(サハリン)のアイヌ民族が1875年(明治8年)の「樺太・千島交換条約」により、対雁に強制移住させられ、その遺骨が北大にとらわれた経緯については、これまでもいろいろなところで十分に語られているので、割愛する。
 条約の付録第四条において、日本政府の「臣民」であることを望むならば、日本の「領土」に移住しなければならず、そのまま住み続けるならば、「ロシア籍」にさせられ、それを考える3年間の猶予を与えられたことを再確認しておきたい。もちろん、先住民族の主権を無視した条約自体が問題であることは言うまでもないが、その猶予すら無視し、警察と軍隊を使った強制移住があったことを忘れてはならない。
 そして、強制移住させた事実を隠し、日本の支配下に樺太アイヌ民族があることを海外に示す重要な機会が、対雁への強制移住をおこなった1876年(明治9年)から3年後に来るのである。
 北大の谷本晃久が2018年に記した「近代初頭における札幌本府膝下のアイヌ集落をめぐって:『琴似又市所有地』の地理的布置再考」(北方研究教育センター研究紀要『北方人文研究 第11号』)の中に重要な内容がある。この論文によると、1879年(明治12年)に札幌の偕楽園に樺太アイヌ民族の復元家屋が作られている。
 偕楽園とは、札幌の中心部に作られた公園であり、偕楽園内やその周辺に、いわゆる農業試験場や工業試験場、官制競馬場などが作られている。 1880年(明治13年)には貴賓接待所として偕楽園内 に清華亭が建設され、1881年(明治14年)には明治天皇の巡幸を迎えるのに使われたりしている。
 樺太アイヌ民族の家屋復元の経緯は、香港総督のヘンネッシー来札である。
 7月14日に函館に着いたヘンネッシーを札幌に迎える19日を前に、15日に樺太アイヌ民族の担当係上野正に対し、一両日中に樺太アイヌ民族の家屋の復元が命じられた。家屋内には8枚のキナ(ござ)などの敷物が購入し飾られた他、ヘンネッシー自らが小樽市手宮で掘り出した「古器物」を輸送し中に飾った。7月25日に、ヘンネッシーが大隈重信随伴のもと、その地を訪れていると思われる。
 谷本は、復元家屋の「新築した」背景を、札幌近郊のアイヌ民族が「移転を強いられていたことがあったかもしれない」と指摘する。しかし同じ論文に2017年にドイツから返還された遺骨が、ヘンネッシー来札の1ヶ月前の6月に札幌本府近傍のアイヌ集落墓地から持ちだされ、その集落が無人だったと記載している。つまり、偕楽園付近には、すでにアイヌ民族の無人家屋が存在するのである。アイヌ民族の家屋を見せるだけであれば、わざわざ対雁まで役人を行き来させずとも、簡単にできたはずである。だからこそ「樺太アイヌ民族」の家屋でなければならなかったと考えるべきなのだ。
 ヘンネッシー来札を樺太アイヌ民族の日本帰属を海外に示す絶好の機会ととらえ、これほど急いで準備したととらえるのが自然である。これ以降も、支配を内外にアピールする機会として「風俗展示」は続けられてきた。ならば「ウポポイ」は、それらとどれほど違うというのだろう。
 アイヌ民族の文化を日本の文化として標榜する目的で、海外から多くの旅行者が来る2020年までに、アイヌ民族の返還の声を無視し、遺骨を集め慰霊・研究施設をつくりあげ、「民族共生象徴空間ウポポイ」がこの4月に開かれる。アイヌ民族支配の正当化を狙った「ウポポイ」を許すことはできない。
                                               
      

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野宿者対策とむすびついた植民地支配 14
                                                         
      金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
                                                          
 前号に書いたように近代日本にとって日清戦争とは文明の戦争でした。当然、それを担う軍隊もまた文明の軍隊でなければなりませんでした。しかし、そこに機を見出だした軍夫たちの様相は法被、股引、鳥打帽子、草鞋、陣笠に日本刀という前近代的なものでした。結論から言うと朝鮮半島に来ていた外国の従軍記者たちから失笑されたのです。さらにそのような様相の日本の軍隊は、対戦国の清がその辺のナラズ者までかき集めて戦場に送りこんでいるのと変わらないと見られたわけです。そのため日本軍は単夫たちから刀を取り上げて、あくまでも非戦闘員の軍夫として体裁を整えたのですが、今度は丸腰のまま物資の輸送を行い、清軍の集中放火にさらされました。しかし、今のわたしたちからみればこんな何をやっているのかわからないようなことでも会津地方の古老たちにとっては1970年代になっても「わたしたちはもう賊軍ではない」と言わしめた名誉回復の戦争でもあったのです。
 話を戻しましょう。台湾鉄道建設には台湾の原住民だけではなく日本の力士も動員されていました。下関講和条約で台湾割譲が決まると同時に旅順港から転送した北白川宮能久親王が乗った薩摩丸を先頭に16隻の軍艦、つまり近衛師団ですが、その中の1隻、広島丸には関脇、梅ヶ峰親方以下、筑波山、武蔵野、能代潟、両国、大木戸など80名の力士が乗っていました。彼らがなぜ近衛師団にいたのか、大相撲の台湾巡業ではありません。軍艦からの物資をおろす荷役人足、日雇労働者のことを目の前に顔があれば何でも食いつく魚のアンコウに例えたり、港湾を逆に読んだアンコとして力士たちは博徒に手配されたのです。今でこそ相撲は日本の国技と言われていますが、明治時代の力士というのは髷(マゲ)を結って裸で取っ組み合いをすることから文明の時代に合わない者として廃止寸前だったところを明治天皇が相撲好きだったことで何とか生き長らえたわけです。
 小説家であり詩人の西川満が書いた台湾縦貫鉄道(人間の星社)は従軍写真技師の恒川清一郎を主人公にした小説には、いま書いた80名の力士たちが台湾上陸と同時にアンコとして軍事物資を荷揚げする場面が書いてあります。各種の馬もいたことはいましたが、上陸後に数百頭が苛酷な環境に耐えられず次々と死んでいます。力士たちアンコ、軍夫により一層の任務がかせられたことはまちがいないでしょう。
 1887年製のドイツ、ホーヘンツォレルン社の機関車騰雲1号を日本軍が接収したことはすでに書きましたが、この小説ではあっちこっち故障して連結した貨車2輌をひっぱって台北から基隆まで不安定な線路を戻って来た騰雲1号に停車場指令官の内藤少尉は現場担当の小山技師の意見を無視して――理屈はそうかもしらん。が、戦争に不可能ということはない。たかがこれくらいの貨物が運べぬようじゃ、日本の技師とはいえん――と武器弾薬を山積みにした2台の貨車を動かせろ!と命じる場面が書かれています。まさに無茶ぶりです。こうして内藤少尉と小山技師との間で「動かせろ!」、「動かせない!」の押し問答になりました。その結果、力士60人に機関車のあと押しをさせる想像を絶することが行われたのです。     (つづ く)

北大糾弾ニュース  85号 2020年2月5日

  
厚生労働省による戦没者遺骨収集の
                               杜撰な実態を弾劾しよう
   
       大盛 力(ピリカ全国実関東グループ)
 
 安倍政権・厚生労働省(以下、厚労省)の調査チームは昨年12月23日、シベリアやフィリピンで収集した旧日本軍兵士などの遺骨のうち607人分が取り間違いであった問題で、「報告書」を公表した。「報告書」は、「2005年から何度も疑いが指摘されたのに放置していたとして『(同省の対応は)問題意識が低く、引き継ぎや情報共有も不十分だった』」と結論づけた(東京新聞・19年12月23日夕刊)。厚労省の戦没者遺骨についての人権無視の杜撰な対応に怒りを通り越してあきれてしまった。
 「報告書」ではシベリア抑留者の遺骨として1999〜2014年に埋葬地9か所から597人分の遺骨が、日本人ではない可能性があるとしている。またフィリピンでは2010年に収容した遺骨10人分も同様に指摘した。そもそも、フィリピンでは、厚労省の委託で日本のNPO法人(空援隊)が収集した遺骨の一部に、日本人以外の骨が混入していると問題になり、10年から18年まで収集事業が中断した経緯がある。フィリピンの先住民族である先住民族マンギャン(ミンドロ島)と先住民族イフガオ(ルソン島)の指導者は、日本大使館に対して抗議している(2011年2月23日)。両民族の何百もの遺骨が、空援隊からの報酬(当初1体につき4000ペソ【約8000円】支払われたという。)を得た略奪者に盗骨されて日本に運ばれたのである。しかもイフガオの
男性は、先祖の遺骨が盗まれたことにショックを受けて自殺している。(【戦後処理】『遺骨収集に絡むフィリピン人被害者自殺』 フィリピン・インサイド・ニュース 2011/03/30 (水) 18:15)
 厚労省は、フィリピンにおいては空援隊に丸投げし、先住民族の墓(洞窟)をあばき、先住民族の遺骨を強奪していった。そして、金銭報酬によって先住民族の社会に分断を持ち込み自殺者まで出している。シベリアにおいてもロシア人の墓荒らしをしていたことは明白だ。
 すでに戦没者遺骨収集推進法が全会一致で施行している(2016年4月1日)。この法では「いまだ収容され、又は本邦に送還されていないものを収容し、本邦に送還し、及び当該戦没者の遺族に引き渡すこと」を「国の責務」とし、所管は厚労省である。今回の「報告書」に照らし出された厚労省の実態は、図らずも明治天皇制国家によるアイヌ民族、琉球民族に対する墓荒らし・盗骨の歴史が、現在まで続いている事を証明している。しかも白老「慰霊・研究施設」を見ても明らかなように、アイヌ民族遺骨差別研究こそが目的である。そこには一貫して墓や遺骨に対する畏敬や尊厳など微塵もない。
(編集注:マンギャン・イフガオはいくつかの民族が属する先住民族集団のため上記のような表記にさせていただいています。)
           
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野宿者対策とむすびついた植民地支配 13
          金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 日清戦争勃発直前の当時の各新聞には、列島各地で義勇兵、あるいは義勇団が結成されたことを報じています。ざっと目を通すなら高知で従軍志願者八百人(1894年6月26日時事)、旧水戸藩士族ら抜刀隊を編成し従軍志願(1894年6月29日時事)、侠客が遊び人一千人を糾合して従軍志願(1894年7月1日東京日日)、仙台で複数の団体が義勇兵組織化(1894年7月1日奥羽日日新聞)、総理大臣に義勇兵徴発請願(1894年6月26日東北)などが書いてありますが、この年のはじめから起きていた東学農民革命に対する弾圧と侵略は人々にこのような好戦的な雰囲気を生じさせたと考えます。「それチャンス!」とばかりに次々と結成される義勇兵、義勇団のあまりの多さに日清戦争が始まった直後の8月7日、明治天皇が義勇兵は必要なしと詔勅を出したほどです。
 しかし、それ以後も旧松浦藩士義勇団組織(1894年8月18日国民)、10月1日には宮城県庁に軍夫を招集して体格検査を行ったことが翌日の奥羽日日で報じられ、さらに読むと戊辰戦争の勇士、人夫となって従軍(10月14日時事)とあるように天皇の命令に背かない形で義勇兵、義勇団が結成されています。大谷正著の『兵士と軍夫の日清戦争』(有志舎)には一八九四年七月二三日の日本軍による朝鮮王宮攻撃で事実上の日清戦争がはじまり、二五日の豊島沖海戦と二九日の成歓・山の戦闘で、海上と陸上で日本軍は清国軍を攻撃した。八月一日付の清国に対する宣戦の詔によって日清開戦が正式に布告された。七月二三日の時点で、予備役・後備役の兵士を動員して戦時編制の定員を満たしていたのは広島の第五師団だけである(P50)と書いてありま
すが、人々は政府が正式に戦争を決定する前からすでに戦争モードに入っていたわけです。しかし、そうは言っても正規兵ではない以上、結局は軍夫の扱いであり与えられた任務も軍の中で一番軽んじられた輜重(しちょう)輸送です。――輜重輸卒が兵隊ならばトンボ、チョチョも鳥のうち!――このような者たちが馬の変わりとして――馬は将校乗馬、騎兵乗馬、砲兵用競馬の方が優先され、輸送用の馬は餌がかかるので必要とされなかった――物資を運んだということです。 宮城県史の第七巻には第二師団管理部に募集された軍夫は宮城・福島が各2500人、岩手・山形が1400人、その他馬の口取り1000人におよんだとあります。その多くが貧民であり、雑業で糊口を凌ぐ者であり、侠客であり、一千人の遊び人であり、自由党員であり、没落した武士であり、賊軍と呼ばれた奥羽藩士です。さらには博徒や力士たちもいました。どれもこれも当時の社会では鼻つまみ者でありませんか。「明治の御一新」に裏切られた者たちばかりです。今風に反社会勢力とまで言うのは言過ぎでしょうか。そこには三重の疎外があります。当時の各新聞が「人夫」「人足」「軍用人夫」と言い方ではあんまりだとして「義勇人夫」「従軍人夫」という書き方に変えますが、これがいったい何の気休めになったというのでしょうか。どう言おうとも「軍夫=半軍人」とみる社会意識は何も変わらなかったのですから。しかし、輜重輸卒も任務と思えば割り切れます。社会的地位も「言いたい者には言わせておけ」ですみます。しかし、それ以上にダメージになったのは日清戦争が文明の戦争と称されたにもかかわらず、軍夫たちには軍服も軍靴もなく法被に股引き、草鞋、福島会津の「軍夫」は白虎隊の格好でした。このような格好が思わぬ事態を引き起こしたのです。     (つづく)

第26回 ピリカ全国実札幌全国集会に参加を!

アイヌ民族遺骨問題を隠ぺいする

 4・24白老「民族共生象徴空間」開設反対!

民族自決権を支持し、

     アイヌ民族法制定運動を強めよう!

アイヌ民族、琉球民族、奄美人の遺骨返還をかちとろう!

   新天皇出席の東京オリンピック・パラリンピック反対!

 

【集会要綱】

 と き 2020年1月26日(日)開場9:00

           /開会9:30〜15:00 集会後デモ 

 ところ 札幌市教育文化会館

      (地下鉄東西線「西11丁目」下車スグ)(資料代 千円)

 

【集会の内容】

 午前 基調報告

  発言 川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん

            (旭川アイヌ協議会会長、ピリカ全国実代表)

      「遺骨返還をかちとり、『民族共生象徴空間』を批判する」

     原井一郎さん(奄美ジャーナリスト)

      「君知るやー奄美の島々が辿った道と京都大学遺骨問題」

     廣瀬健一郎さん(鹿児島純心女子大学教員)

      「『アイヌ施策法』を批判し、アイヌ民族の諸権利回復へ」

 午後

  発言  平田幸さん(レラの会代表)「釧路の遺骨を取り戻したい」

      井澤敏郎さん(平取アイヌ遺骨問題を考える会共同代表)

                   「平取の遺骨返還のとりくみ」

      ピリカ全国実・関東グループ/ピリカ全国実・関西

      /ピリカ全国実・札幌圏

      アイヌ民族、各地からのアピール

  討論、集会決議

 みんなで歌い、踊りましょう! 平田幸さん

 

【呼びかけ文】

 

 全国の会員、仲間のみなさん!第26回札幌全国集会 は2020年1月26日、上記のスローガンを掲げて開催します。 私たちはこの1年間、アイヌ民族の主権、すなわち アイヌ民族の存在を否定し、民族自決権を否定する遺骨略奪を糾弾してきました。遺骨をコタン(郷里)に取り戻す運動を進め、白老「慰霊・研究施設」への一括収容と遺骨研究の続行に対して闘ってきました。しかし北大、東大、京大、阪大など全国12大学と文部科学省は、遺骨の一括収容を強行し、さる12月14 日には「慰霊・研究施設」でイチャルパ(供養)を実施 しました。これは遺骨略奪、差別研究などの責任を隠 ぺいする行為です。民族差別の上塗りであり、2重、 3重にもアイヌ民族の尊厳を傷つけることであり、許 すことはできません。

 安倍政権は、遺骨の一括収―2020年4月24日「民族共生象徴空間」(国立アイヌ民族博物館など)と「ア イヌ施策推進法」(19年4月成立)を一体のものとして進めてきました。先住権、集団的諸権利をふくむ民族 自決権を否定した「アイヌ施策推進法」には、安倍政 権の目的、ネライが隠されています。アイヌ民族を天皇制日本国家の「国民」として同化を完了する攻撃で す。「アイヌ施策推進法」にはアイヌ民族は「先住民族」と書かれていますが、民族自決権を否定していることが示すように、日本国家に奪われてきた土地や資源、 遺骨などの現状回復する権利を持った先住民族とは決 して認めていません。
 今日、 「アイヌ施策推進法」を批判して、多くのアイ ヌ民族は民族自決権や先住権を明記したアイヌ民族法 の制定を要求しています。この運動と連帯していきましよう。 アイヌ民族自身の遺骨返還運動はこれからも持続的に続けられます。この運動は、今日、 琉球民族、奄美人の遺骨返還の活動を呼び起こし、連携しています。琉球民族は京大の遺骨略奪を厳しく弾劾し、京都地裁に提訴しました。奄美人は京大に対して遺骨返還の申し入れをしています。アイヌ民族、琉球民族、奄美人の遺骨返還の闘いは、天皇制日本国家 の侵略と植民地主義、同化政策を弾劾しています。謝罪と植民地支配の清算そして自己決定権(自決権)を要求しています。

 また、アイヌ民族を無視した「日ロ領土交渉」に引き続き反対し、2月7日「北方領土の日」廃止をかかげ、領土ナショナリズムと闘っていかなくてはなりません。安倍政権の2島返還の立場は、北方4島共同開発とサハリン・クリル諸島・シベリアの資源開発戦 略と一体で、独占資本の北方侵略体制を強めるものです。

 日本労働者人民自身は近代以来の天皇制日本国家、 独占資本家など支配階級の侵略と植民地支配、それらに奉仕してきた日本人類学会、日本考古学協会をはじめとする大学などの学問のあり方を厳しく批判する必要があります。労働者人民が社会の主人公として人民 主権の確立と民主主義を発展させていくことこそが重要です。

 さらに、2020年7月〜8月には東京オリンピック・ パラリンピックが開催されます。近代オリンピックの 出発は、植民地を支配し、先住諸民族の大地を奪い、 虐殺してきた帝国主義大国のスポーツ競技でした。ア イヌモシリを日本国家に併合し、アイヌ民族を虐殺したのは「明治」天皇制です。今回は新天皇が名誉総裁 として開会を宣言します。さらに男女のマラソンと競 歩の競技を札幌で開催するとしています。競争主義を 煽り、国威発揚、人民監視のオリンピック・パラリンピ ックの開催を許すことはできません。 最後に日本とアメリカは、1月22日〜2月8日、ア メリカ海兵隊所属の攻撃型輸送機オスプレイを参加させた日米合同軍事演習を千歳空港、千歳・恵庭の北海道 大演習場、矢臼別演習場などで行います。これはイラ ン周辺海域への自衛艦の派兵、沖縄の辺野古など新基地建設、沖縄先島諸島と奄美諸島での自衛隊基地建設、 小樽港への米艦船の2月寄港計画などとつながってい ます。アイヌモシリでの戦争準備に反対しましよう。 アイヌ民族、在日外国人、道内各地、全国からの仲 間の皆さんの参加をよびかけます。                       2019.12.17
 

●第26回全国集会成功のためにカンパを! 1口 千円でおねがいします。●

 郵便振込口座番号:02740-4-1679 口座名:ピリカモシリ社

 


 

各地の集会案内

関東2月2日(日)13:30〜神宮前地域交流センター(原宿駅)

     /「北方領土の日」廃止!白老「民族共生象徴空間」開設反対!関東集会

     /講演:木村二三夫さん(平取)

     /主催:ピリカ全国実・関東グループ

■関西■2月4日(火)18:00〜国労大阪会館(天満駅)

     /「北方領土の日」反対!関西集会

     /報告:平田幸さん(レラの会)/三木ひかるさん

    2月5日(水)京大抗議申入れ行動・デモ

     /主催:ピリカ全国実・関西

■沖縄■2月8日(土)14:00〜ぎのわんセミナーハウス(宜野湾市)

     /「北方領土の日」を考える沖縄集会/平田幸さん(レラの会)

      ・玉城毅さん(琉球遺骨返還訴訟原告)・亀谷正子さん(同)

     /主催:アイヌ民族と連帯するウルマの会

 


北大糾弾ニュース 84号 2019年12月5日

白老(「慰霊・研究施設」)への
       アイヌ民族遺骨の移管開始を弾劾する!
遺骨略奪を否定し、謝罪もない

      北大、札医大の「声明」

 
                                白川ただし(ピリカ全国実・札幌圏)
 
  北大、札医大をはじめ全国12大学は、11月5日、北大を皮切りに白老の「民族共生象徴空間」の一角に建設した「慰霊・研究施設」にアイヌ民族の遺骨の移管をひそかに開始した。
 また、遺骨の搬送に先立つ11月2日には、全国12大学の関係者たちと北海道アイヌ協会は、遺骨を収容するための「儀式」を「慰霊・研究施設」において実施していたことも明らかとなった。全国12大学は2000体にも及ぶ遺骨を墓地から盗掘するなどし、「アイヌ民族は滅びゆく運命にある」「人食い人種説」などをデッチあげ、日本人民に差別と偏見を煽り、今日なお遺骨の研究を続けようとしている。また北海道アイヌ協会は遺骨の白老への一括収容と遺骨研究の続行を認めている。さらに両者は、全国からの遺骨移管を終えた12月14日以降、今年中に「イチャルパ」を行うという。尊厳ある慰霊、丁重な供養などとウソぶき、遺骨(アイヌ民族)に対する二重、三重の侮辱と差別観がここにも示されている!
 また北大(11月5日)と札医大(11月19日)は移管に先立ち、「声明」をだしている。その中身は、北大はデタラメな「北大医学部人骨収蔵経緯に関する調査報告書」を強調し、札医大は「その時代の関係法令に沿って行われました」と違法、不法ではなかったと開き直っている。
 アイヌ民族からの謝罪要求については、北大の「声明」には「謝罪」に関する言葉は皆無である。遺骨の頭骨と四肢骨を分離して保管してきたとズサンな管理だったことを「反省」しているのみである。
 札医大は「今日の研究倫理の観点から適切とは言えないものがある。…今日のように研究計画の妥当性や倫理性を大学として審査し管理監督する体制がなかった。…本学としてはこれら事実を深刻に受け止め深く反省し、アイヌの方々が受けてこられた苦痛と苦難に対し、お詫び申しあげる」(要旨)とある。これでは「謝罪」になっていない。
 大学に要求されてきたことは差別研究の内容に具体的にふみこみ、自己批判することである。このことが根本問題なのである。
白老に遺骨が収容されても、アイヌ民族と私たちは引き続き、コタンへの遺骨の返還を要求し闘い続けていく。
 
                  〜 〜 〜

野宿者対策とむすびついた植民地支配 12
 
         金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 
 三十七、八年事件によりて、国庫債権の発行及勧業銀行における貯蓄債権の発行に当り、貯金者の希望により、現在の貯金をもって応募又は買入をなすの自由を与えたりしに、其の額、はなはだ多きに達したるをもって、三十七年十二月国庫債権に関する取扱手続きを定めたり。
 元来貯金の保管方は、あるいは管理者の名義を以て台湾銀行又は貯蓄銀行に預入し、あるいは貯蓄者の名義をもって郵便貯金となす等数変更し、遂に全く管理者の名義をもって台湾貯蓄銀行に預入し、一人の貯金額百円以上となりたるときは台湾銀行に移し、銀行及管理者において内訳簿を設備し、もって各人別に利子計算及受払いの便に供したり。

(『台湾鉄道史 下巻』より 編集注:原文は片仮名、旧漢字で書かれているため、読みやすく句読点を加え、行替えを行い、平仮名と今の漢字にしています。)
 
 労働者の貯金通帳を保管していたのが台湾総督府の鉄道部の経理課、あるいは出張所だったことを考えると、ここに書かれた管理者とは誰なのかおよそ見当はつくでしょう。台湾銀行が台湾総督府の民政長官だった後藤新平によって作られたことを押さえておく必要があるでしょう。
 台湾総督府の鉄道部に賦役、つまり強制労働を強いられた労働者たちのデズラ(編集注:出面、日給のこと)は、このような収奪によって再び台湾総督府に還元させられたわけです。労働者のデズラを強制貯金にして出し渋ったあげく台湾銀行の関係のある台湾貯蓄銀行に本当なら労働者の名義である貯金を勝手に管理者の名義変更してしまったばかりか、その貯金額が100円以上(明治後期の1円は現在の3800円に相当するとのことですが)になると台北市にある台湾銀行に移したのです。これまでならタテマエとしてでもあった七日以上の疾病や不治の災厄に備えしむるなどの言い分で必要と認めればまだ渡さないこともなかったのでしょうが、こうなると労働者の手にはますますお金が渡らなくなります。
 この当時、鉄道建設工事は竹南から海側と山側 に分かれて、台湾縦貫鉄道の最難工事と言われた苗栗―台中間の工事(台中駅は1905年6月10日開設)に追われていましたが、このようないそがしい時に、どんな日本人の管理者が賦役の原住民たちの要求に応えて台北までお金を引き出しに行ったというのでしょうか。しかし、そうは言っても人の貯金ですから、管理者が名義であっても好き勝手に使うことはできないでしょう。同時に通帳を取り上げられて名義も変えられた労働者が銀行の窓口に行っても追い返されたことは明らかでしょう。
 そう考えれば管理者が好き勝手に使ったことは否定しようがありません。だって台湾総督府の正式な公文書に労働者にビタ一文ごまかさずにデズラ、あるいは貯金を払ったとは一言も書いていないではありませんか!いえ、書いていないからデズラを払っていないとは言えないと言われればそうかもしれませんが、この台湾鉄道史に書かれた、「打狗出張所ノ分ハ材料不備二付調査ヲク」つまり、打狗出張所の労働者の強制貯金は材料の不備に付き調査をしていないので貯金がどうなったかはわからないと書いているじゃないですか!
 そして、ここでも疑問が出てきます。そもそも台湾鉄道建設の死亡者名簿にあった、あのようなあまりにも適当なデタラメな名義で貯金通帳を作ったのでしょうか。当然、通帳を作れば印鑑もいるとおもいますが、 どうだったのでしょうか。本当に強制貯金をしていたのでしょうか。(つづく)


北大糾弾ニュース 83号 2019年11月5日

日本人類学会は民族差別・人種差別に貫かれた
「人骨研究」を謝罪し、ただちに停止せよ!
大学は略奪した遺骨を返却せよ!

                                       秋山 史(ピリカ全国実・関西)

 日本人類学会(以下、学会)は7月22日、会長・篠田謙一(国立科学博物館副館長/人類研究部、京都大学卒)の名で、京都大学総長・山極壽一(京大卒)に対して、いま琉球民族が京大を訴えて京都地裁で闘っている遺骨返還請求裁判を妨害する「要望書」を提出した。
 「要望書」は「古人骨の管理と継承」について3つの原則に則った対応を取れ、という。原則とは、 峺顛郵」は学術的価値を持つ国民共有の文化財、◆峺顛郵資料」の保管は「資料の由来地を代表する唯一の組織である地方公共団体」と協議、「地方公共団体へ移管される際は研究資料としての保存継承と研究機会の継続的な提供を合意内容に含めるべき」。
 「原則に則った対応」とは、琉球民族に遺骨を返すな、ということである。
 この事実が報道されると、ただちに原告の琉球民族や支援者から抗議の声がまきおこった。ピリカ全国実も抗議文を発した(『ピリカモシリNo.88』2019年秋号に掲載)。
 原告の抗議文の一部を紹介すると、亀谷正子さんは、京大の金関丈夫が盗掘した遺骨は大切な祖先の「骨神(フニシン)」であり、「京大提訴から7ヶ月余の間に、琉球民族の信仰に関して知る努力を行うことなく『要望書』提出に至ったならば、琉球・沖縄人を差別する『学者研究ファースト』の傲慢さが見えてくる」、玉城毅さんは「1929年当時でも刑法、民法により違法である盗掘を(、)当たり前のように研究し、返還運動を権利として見るのではなく(、)害を及ぼすものとして見る手前勝手さに憤りを感じる」「遺骨の無くなった墓で手を合わせる悔しさを(、)あなた達盗人共犯者には判らないだろう」、松島泰勝さんは「琉球の歴史や文化を軽視する『要望書』の提出は、琉球民族全体に対する侮蔑・差別行為」であり「謝罪を求める」と怒りをこめて糾弾している。学会は回答を求められているにも関わらず、期限の9月末をすぎても、無視をきめこんでいる。
 人類学は帝国主義諸国が世界各国に侵略し植民地支配をおこなうために生まれた学問である。日本でも1884年に学会が設立され「日本でもっとも古い学会の一つ」(学会ホームページによる)としている。人類学は人間を「優劣」の価値判断で分類し、侵略国本国の人民にたいして民族・人種差別の観念をうえつけ植民地支配を正当だと思わせてきた。そして侵略の先兵に仕立て上げてきた。アイヌ民族、琉球民族、奄美人は京大が略奪した遺骨を返還しないのは、いまなお続く植民地主義だと弾劾している。帝国主義本国の私たちこそが、国家―大学―学会の植民地主義を徹底弾劾して闘わなければならない。それなくして「民族共生」など絶対にありえない。人類学批判を深めなければならない。

 

                          〜 〜 〜

野宿者対策とむすびついた植民地支配 11
            金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 叱れども払い戻しの基底緩やかなるガ貯め種々の口実を設け払い戻しを請求するものあるをもって三十四年十一月に至るり規約を改正し解備となり又は天変事変に罹りたるときもしくは二週間以上給料の支給を受けざるとき等にかぎり特に幾分の払戻を許可することとなしたり...。{台湾鉄道史(下)
(原文は片仮名、旧漢字で書かれているため、読みやすく平仮名と今の漢字にしています)}
叱れども払い戻しの基底緩やかなるガ貯め種々の口実を設け払い戻しを請求するものあるをもって三十四年十一月に至る 

 

粗い言い方になりますが、その日その日で労働力を切り売りする日雇に―その内実は賦役ですが―解傭というものがあるのかどうか疑問を感じます。ましてや、強制労働に他ならない脇役に解雇があるのかどうか。かりに解雇というものがあるとすれば、それはどのような状態なのでしょうか。いえ、台湾鉄道史に書かれた日雇という点から考えれば日雇に解雇がないとは言いません。会社やボーシン(現場の世話役を意味する。もとは甲板長、水夫長を意味するボースン、Boatswainが語源。転じて棒芯の字が当てられた)から「お前は使えないから明日から来なくてもいい!」と言われれば、それは言われた者にとってはまぎれもなく解雇にちがいないのですから。しかし、会社やボーシンにとって集めて現場に送りこんだ労働者が使えるか使えないかというよりも、そうは言っても、せめてスコップやツルハシぐらいは使えなければ話になりませんがそれにも増して重要なのは、その労働者のデズラ(編集注:出面、日給のこと)をピンハネすることにあるのは言うまでもありません。その例としてはやいところで、
 「野麦峠はダテには越さぬ 一つァー身のため親のため」と工女節を歌いながら製糸工場の門をくぐった12、3才のシンコ(新工)たちや「七つ八つからカンテラさげて 坑内さがるも親の罰」、「親の因果か 子にまでむくい 低い切羽で スラを曳く」(スラとは石炭を積んだそり状の物)と坑内唄にあらわされた炭坑労働に従事した子どもたちが出てきますが、 それが今から120年前のことで はなく現代においてもフクイチの除染作業に15才の少年を18才と偽って働かせていたように今なお続くものとして銘記しなければなりません。いったい、このような鬼悪魔的発想はどうやって思いついたものなのでしょうか。
 前号で書いたように、台湾総督府は「出産死亡解雇及七日以上の疾病又は特に其の必要を認むるのほか払渡をなささること等にして素より勤倹貯蓄の美風を涵養し不時の災厄に備えしむるの主旨に外ならず」と言って台湾の原住民のデズラを強制貯金していました。しかし台湾総督府は原住民が働いて納めさせられた貯金を払い戻すという、これを当たり前と言うにはあまりにも大げさすぎることさえも許せなかったのでしょう。「又は天変事変に罹りたるときもしくは二週間以上給料の支給を受けさるとき等にかぎり特に幾分の払戻を許可することとなしたり...」の旨で規約を改正しました。読んでいただければわかるように原住民の貯金の払い戻し請求は種々の口実を設けて出し渋ったあげく幾分の払戻を許可したわけですが、これをドロボーと呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょうか。台湾総督府をドロボー呼ばわりが言過ぎだとすれば、幾分の払戻した残りの貯金はどうなったのでしょうか。日を改めて払戻したのでしょうか。それともそのままうやむやにしたのでしょうか。歴史に対して後からの目線でみることに慎重でなければなりませんが、しかし、わたしはここに慎重さを持つ理由を感じません。なぜなら台湾総督府のやったことは120年前であれ現代であれ誰がどうみてもドロボーではありませんか。しかし、台湾総督府のドロボーは千里に向かってさらに突き進みゆきます。 (つづく)
 


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