北大糾弾ニュース 82号 2019年8月30日

25年目の北大文学部人骨事件糾弾の闘い
       大乗寺でのイチャルパ(供養)
  


  白川ただし(北大人骨問題の真相を究明する会)

 北大文学部人骨事件糾弾の闘いは25年目に突入した。天皇制日本国家の侵略戦争・植民地支配の責任が問われ、民族差別でもある文学部人骨事件の概要については本紙「解説」を読んでください。
 8月2日午後1時30分から1時間、大乗寺の一室にてイチャルパ(供養)が執りおこなわれた。祭司を努めたのは「究明する会」共同代表でもある川村シンリツ・エオリパック・アイヌさん、そして関東、関西、札幌圏からのピリカ全国実の仲間たち約30名が参加した(写真・裏面)。
  大乗寺には07年7月26日以来、打本住職の力添えもあって、「日本男子20才」の頭骨、アイヌ民族と思われる「寄贈」頭骨の2体が仮安置されている。
 イチャルパは、終始アイヌプリ(アイヌ民族の儀式)で執りおこなわれた。祭司はアイヌ語でカムイに追悼の言葉で祈り、終了後早期に話し合いを再開し、一日も早く遺族が見つかるように努力しようと訴えた。
 女性たちは全員で、メノコイチャルパ(女性による供養)をおこない、それぞれ闘いの継続を誓った。
 この日のイチャルパに先立って、7月1日、「究明する会」は北大文学部長・山本文彦にたいして、『 改めて話し合いの早期再開の申し入れ』を文書で提出している。
 その文書では、「話し合いの継続を約束しておきながら…望月文学研究科長・文学部長が2008年4月に就任した時以来、話し合いを一方的に打ち切り、今日まで放置してきた」と弾劾し、「文学部は話し合いを拒否してきたことをまず謝罪し、真相の究明に向けて話し合いを早急に再開すべき」と要求している。
  しかしながら、今年も北大文学部から何らの「回答」もしてこなかった。おそらく、北大の中枢の官僚機構である大学理事会の意向(決定)が働いているのであろう。医学部も、文学部も「遺骨問題」についてはいっさい話し合うことを禁じる、文部科学省の指示にしたがうべきと。
 北大文学部は、大乗寺に仮安置している2体の頭骨を勝手に処分することはできない。
 「究明する会」との「真相の究明にむけて話し合いを続ける」という合意文書とともに、さらに大乗寺・打本住職との覚書「1.今回の納骨は、2体の身元が確認され、引き取り手が現れるまでの、仮の安置であること。2.北海道大学大学院文学研究科は、遺骨の身元や由来等について今後も出来る限りの調査を行うこと。」を交わしている。
 この間、ピリカ全国実・札幌圏は北大文学部とのチャランケを要求する新たなリーフレットの配布、北大教職員・学生への訴えなどをおこなっている。ひき続き努力していこう。

 


  野宿者対策とむすびついた植民地支配


      金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 『台湾鉄道史(下)』にこのようなことが書いてあります。
 第三章 日給者貯金
日給雇員及傭員の如き所謂下級の者に対しては強制的貯金を為さしめ他日有事の際に備えしむるの必要あること素より論なしとす。
 其の大要は毎月日給実収額十分の一を日給支給の際に於て控除すること。貯金通帳は経理課又は出張所に於て保管すること。出産死亡解雇及七日以上の疾病又は特に其の必要を認むるの他払渡しをなさざること等にして素より勤険(編集注:勤勉倹約)貯蓄の美風を涵養し(編集注:無理なく養う)不時の災厄に備えしむるの主旨に他ならずと…
 (原文は片仮名、旧漢字で書かれているため読みやすく、句点を加え、平仮名と今の漢字にしています)

 

 台湾人たちが頼みもしないのにある日突然、勝手に植民地支配を行い、これまた頼みもしないのに一方的に土地を奪って鉄道建設工事をはじめ、そのために使役した台湾人たちのデズラ (出面。日雇労働者の隠語で日給を意味する)を「勤険貯蓄の美風を涵養だの不時の災厄に備える」だのと言って貯金の名目でピンハネ、あわよくばネコババしたということです。
 そして、ここに、「又は特に其の必要を認むるの他払渡しをなさざること」と書いてありますが、其の必要があるかどうかは当事者が決めることであり、自分が働いたデズラで不時の災厄に備えようと心ならずも不埒なことに使おうと当人の勝手であって貯金を預かっている者が特に其の必要を認むるか否かなどと口を出すのは全く大きなお世話というものです。不時の災厄と言うのなら日本の植民地支配ほど大きな災厄はないと思いますが、この台湾鉄道史を書いた台湾総督府の職員には自分たちこそが災厄なのだという意識は全くありません。
 ここで確認しておきたいことは日給者、あるいは「日給雇員及傭員」と書いてありますが、これがそのまま文字通り、日給、つまり一日単位でデズラを得るという意味ではなく、其の大要は毎月日給実収額と書いてある箇所をふまえて読むと日給月給の雇用ということでしょう。粗い言い方をすれば、その日その日の鉄道建設工事の進展具合に合わせて労働者を働かせてデズラは月払いという全くずる賢いやり口です。これはわたしが体験したことですが、こういう仕事があったりなかったりする、どこまでアテにしていいかわからない不安定な状態で働かされると働いている方も段々おっくうになり、その仕事から足が遠のきデズラももらわずしまいになってしまうのですが、台湾鉄道建設工事の労働者たちもそうであったに違いありません。人を働かせてそのデズラをピンハネする、カスメとるという全くケチな商い、思いきって言えば江戸時代の口入れ稼業が今現在もあることを銘記する必要があるでしょう。


北大糾弾ニュース81号 2019 年7月26日

京都大学は奄美から盗んだ遺骨を元に戻せ
                            

                                   木下 豊(ピリカ全国実・関東グループ)


 2018年1月27日、琉球大学で開催された第11回公開シンポジウム(東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会・主催)に参加していた大津幸夫さんは、「京大医学部・清野研究室所蔵の遺骨内訳」(清野謙次等著「古代人骨の研究に基づく日本人種論 岩波書店1949年」に拠る)等の資料の提供を受けた。
 大津さんは、原井一郎さん(「自然と文化を守る奄美会議」)と共に、同年2月22日に「京都大学収蔵の奄美人骨問題への対応について」を発して「奄美独自の社会事情を考えた返還運動を進める」ために、遺骨を持ち出された(盗まれた)喜界島・奄美大島・徳之島の三島それぞれでの「遺骨の返還を求める会」を組織化し、「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会(大津幸夫代表)」を発足させた。大津さん達は18年3月、京都大学に遺骨返還を求める要望書を送ったが、現在まで回答はない。なお、「自然と文化を守る奄美会議」は奄美における住民運動の拠点となっており、大津さんと原井さんは中心的メンバーである。
 沖縄(琉球)からは、京都帝国大学医学部解剖学教室の足立文太郎の下に就任していた金関丈夫は、1928年〜29年にかけて3回にわたり今帰仁町・百按司墓の調査を行い百按司墓からの盗掘を中心に沖縄各地から合計約72体の遺骨を持ち出した。
 奄美からは大島北部の笠利村から1933年〜34年にかけて約80体、1935年には喜界島の喜界村と早町村から約93体、徳之島の伊仙村から92体(いずれも当時の地名)合計約265体以上の遺骨が、三宅宗悦(清野謙次の下で講師に就任していた)によって風葬墓等から盗掘された。金関も三宅も清野謙次の強い影響下にあった。清野は「清野コレクション」に象徴されるように研究対象に対する執着心が強く、遺骨だけではなく寺社から大量の経典を盗み出し、1938年に逮捕され有罪判決を受けている。帝国主義・植民地主義が学問のためならば遺骨を盗み人権を踏みにじってもよいとしている。京大の居直りを断じて許さない。
 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
 

                                  金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

  今さら言うまでもないことですが、明治以降の近代の資本の発展は労働者に対する賃金の不払いと借金づけによる搾取です。紡績、鉄道、炭坑、マッチ産業などどれを見ても血塗られた歴史ばかりです。その行き着いた先が国家総動員の一億総タコ部屋に支えられた戦争だったのです。戦後、GHQはこのような労働者供給業を廃止して職業安定法を実施し、北海道から九州まで全国のタコ部屋を摘発して行きました。1948年の12月末の時点で合法をよそおって摘発から逃れている業者に縛られている労働者も含めて220万人がタコ部屋につながれていました。しかし、それが過去のできごとではなく、今現在に於いても原発労働や派遣労働でピンハネや賃金の不払いが起きているわけです。このような搾取は植民地台湾でも例外ではありませんでした。
 1911年(明治44年)に台湾総督府鉄道部から出版された『台湾鉄道史 下巻』には、「職員共済会の創設は三十三年二月一日にして其の規約の要領は会員相互の情誼を表し不時の災厄を共済するの目的を以て名称を鉄道部共済会と名け雇員以上(日給者を除く)の職員より成り毎月受くるところの俸給実収額百分一を損金するの義務を負はしむ(後年改めて満六年に達したるものは其の義務を免除す)」と、それらしく書かれていますが、共済会がはじまった明治33年そして34年の収支については不明と書いてあります。つまり、台湾総督府鉄道部というまぎれもない大日本帝国のセクションが鉄道建設に従事する労働者の給料からお金を徴収したが、そのお金がどうなったのかわからないと堂々と台湾鉄道史という公式文章に書いているのです。こんなのがありでしょうか。前号の鉄道建設現場での死亡者名簿も適当でしたが、お金の管理についてもいいかげんだったのです。
 しかし、わたしの手元にある当時の新聞にはこのことに触れた記事は見当たりませんし、台湾に関するニュースは以外なほど少ないのです——台灣の新聞紙条例は日本より厳しい(明治33年2月2日日本)。その中でもこの頃の新聞記事には、建設は当分見合わせ(明治31年2月5日 報知)、また設立延期、建設資金集め困難(明治31年3月16日 台湾日報)、私設は無理、官設として早期竣工を望む(明治31年10月19日 時事)、結局会社は解散、総督府で敷設に決まる(明治32年3月14日 時事)と報じているように台湾鉄道会社にお金がなくて鉄道建設ができずついに倒産し、その事業を台湾総督府の鉄道部が直接担うことになったことを報じています。
 この時の中心人物は台湾総督府民政長官のあの後藤新平です。後藤は成立したばかりの台湾事業公債法で鉄道建設の資金繰りを行う一方で7月6日には台湾銀行も創業させます。台湾銀行の創業資、つまり運転資金は約900円、現在のお金にすると1800万円、頭取の月給が400円、現在のお金にすると800万円です。後藤が銀行の創立委員としてどれだけの給料をさらっていたのかはわかりません。しかし、後藤の立場は鉄道や銀行などの大きな事業のお金を扱うことができたわけです。労働者から共済の名目で集めたお金がどこにいったのかわからなくなったのはまさにこの時期だったということです。証拠があるかどうかは別にして共済金が鉄道事業の補填に使われたと考えるのが自然ではないでしょうか。少なくともそう思われても仕方がないではありませんか。
                              (つづく)
 


北大糾弾ニュース80号 2019年5月25日

アイヌ民族、琉球民族の自決権を勝ちとろう


             北山みなみ(ピリカ全国実・関西会員)

 

 先月4月19日、アイヌ文化振興法にかえて「アイヌ新法」が成立した。だが、「アイヌ新法」には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」とうたっているだけで、アイヌ民族の先住権、自決権についての保障が明記されていない。
 アイヌ民族が先住していた土地での自治権や、生活のための鮭漁、狩猟等の諸権利が奪われたままである。先住権の確立は、アイヌ民族の悲願であるにもかかわらず、安倍政権はアイヌ民族の誇りをとりもどせるように取り組むと言ってはいるが、なんら具体策が示されたわけではない。
 それどころか2020年4月には白老町に「民族共生象徴空間」を造り、同年7月東京オリンピックに乗じてひともうけしようと企んでいる。アイヌ民族を観光資源扱いし、また利用して、「観光立国」化を狙っているのだ。
 アイヌモシリに開拓民として和人を植民させ、侵略、植民地化し、天皇制日本国家のもとで収奪を極め続けた民族同化と、絶滅政策の歴史をよみがえらせてはならない。
 去る5月11日、日本維新の会沖縄北方問題特別委員の丸山衆院議員は、北方四島ビザなし交流で懇談し、戦争で島をとり返さないとどうしようもないとくりかえし発言した。安倍自民党政権の改憲策動のさなか、憲法9条に自衛隊明記をもちこもうとする戦争国家化と連動するものだ。
 そして安倍首相はロシアのプーチン大統領と「日ロ平和条約」を結ぼうとしている。先ず2島返還を足がかりに、ゆくゆくは4島ともに返還させるという条約を結ぼうとしている。日・ロの領土分割交渉はアイヌ民族の民族自決権をふみにじり進められている。
 北方諸島はもともとアイヌ民族が住んでいた土地を日本の植民者たちが奪ったところだ。「返せ北方領土」の標語は、侵略の認識を欠いた大泥棒のいい分だ。
 安倍政権は北方諸島の分割交渉をやめ、直ちにアイヌ民族の自決権を認めよ。そして盗掘した遺骨を返還せよ。
 アイヌ民族の遺骨は全国の12ヶ所の大学に保管されたまま、一部を除き未だに返還されていない。
 遺骨の返還をすすめる闘いは、2018年12月京都大学を提訴した琉球民族の遺骨返還請求訴訟へと結実した。
 京大は今帰仁の百按司墓から人骨を盗み、大学内に隠匿したまま琉球民族に返されていない。遺骨は古くから骨神として礼拝され、代々に亘って琉球の風葬である祭祀を行ってきた祖先の魂そのものである。京大は原告の訴えに耳を貸そうともせず、国家の後ろ盾のもと、話し合いすら拒否の態度だ。学問の府の支柱ともいうべき民主的な話し合いの実践を示すべきだ。
 アイヌ民族の自決権とともに琉球民族の自決権を勝ちとろう。謝罪と賠償を認めさせよう。
  

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
 

          金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)


 台湾総督府鉄道部が出した公式記録では1895年に81名、1896年に錫口での原住民との戦闘で死んだ22名を合わせて77名、1897年にはやはり原住民との戦闘で死んだ2名を合わせて16名と書いてあるのですが、死亡者名簿に死亡月日と合わせて病名とあらかじめ書いてあるようにそのほとんどが病死です。ご丁寧なのかふざけているのかわかりませんが、病名が病死と書かれている人たちもいます。果たしてこれが台湾総督府鉄道部としての公式記録、言ってしまえば、これが当時の日本政府が出した正式な公文書の記録なのだろうかと疑わざるをえません。たとえば、明治二十八年(1895年)の死亡者名簿、8月29日に赤痢で死んだ職工、坂本元次郎さんの次に8月31日にやはり赤痢で死んだ松本直次郎さんと書いてあったり、9月10日に赤痢兼脚気で死んだ駅夫・・・中澤要次郎さんと同じ日に脚気で死んだ軍夫の中野要次郎さんの名前があったり、中村末吉さんと同じ日に下村末吉さんが死んでいたり、それどころか明治31年(1898年)の7月4日に製鑵工(製缶工)の木山辰次郎さんが翌年の明治32年(1899年)の7月4日にも死んでいます。明治32年の記録はほとんど前年の丸写しですが、これは同姓同名の人が死んだということでしょうか。
 中国や台湾でこのような名前の人がいるのかどうかわからないのですが、張乞食さんと言う人夫として働かされた人に至っては明治31年9月18日に死んで、翌年の9月18日にも死んで、さらに明治41年(1908年)8月10日も組立工として死んだと記録されていますが、張乞食さんというのはそんなによくある名前なのでしょうか。これも同姓同名ということでしょうか。だれがどうみても当局が適当につけた名前ですよね。こんなのがありでしょうか。さきほど書いたように鉄道建設で死んだ者は戦死と同じ扱いということですが、靖国神社の霊示簿にも似たような、同じような名前がズラズラ並んでいるのでしょうか。実際、この死者たちも戦死した軍人と同じくそれにふさわしい扱いになっているのでしょうか。靖国神社が霊示簿から台湾の原住民の名前を抹消しないのはこういうことですか。抹消しようにも名前を適当につけているためにだれがどれやらわからないということですか。
 この鉄道建設工事は大倉組と有馬組が請け負った事業ですから日本人の労働者も死亡者名簿に記録されているし、劉青雲さんや王順さんの名前を見れば確かに台湾人や中国人らしい名前と言えないこともありません。しかし、実際、台湾の山奥で狩猟しながら、あるいは台湾東南部の蘭島で居住していたヤミ族のような原住民たちがわたしたちがイメージするような台湾人や中国人らしい名前を名乗っていたのでしょうか。当然、台湾の原住民にだってその種族の中では名前で呼ばれていたことはまちがいありません。はやい話として霧社蜂起を闘ったセデック族マへボ社の頭目モーナ・ルダオが出てきますが、死亡者名簿の中にそれに近い名前はありません。インターネットでは当て字で莫那・魯道となっていますが、それだって死亡者名簿にある名前から大きくかけ離れています。そもそもの話として、狩猟生活をしていた原住民たちが漢字で名前を書く、思い切って言えば文字を書く必要性があったのかどうかです。それらしい名前が書いてあるから日本人、あるいは劉さんや王さんと書いてあるから原住民と言えるような単純なものではないでしょう。台湾総督府鉄道部が記録したこの死亡者名簿に書かれている戦死者たちとは一体だれなのでしょうか。 (つづく)


北大糾弾ニュース 79号   2019年4月25日


なぜ、大学・博物館は遺骨、副葬品を返還しないのか!

国策の「アイヌ研究」、

墓地破壊を許可した法令、警察署の許可を弾劾する

 

        白川ただし(北大人骨問題の真相を究明する会)

 

 東大をはじめ全国の大学機関、博物館は、いまだにアイヌ・琉球民族の遺骨などの返還要求に真摯に応えていない。最近になって「地域返還」を認めるとしたが、その「ガイドライン」ではー婪瓩呂靴覆ぁ↓∧峇圓魑瓩瓩詭餌加賃里埋葬地・慰霊施設を確保すること、K菁尊厳ある慰霊を自前で実施すること、などの条件をつけている。これでは実質は返還を拒否し、白老の「慰霊・研究」施設に一括して移管し、「研究」を続けるという姿勢である。それを推進してきたのが東大ー文部科学省ー日本人類学会(会長・篠田謙一、国立科学博物館)である。
 「謝罪」「賠償」を認めない方針は、戦前・戦後をつらぬく「アイヌ研究」は国策であり、遺骨等の略奪も違法行為ではない、したがって遺骨等は東大をはじめとする大学や博物館の「所有物」という態度からでている。ここには批判者には真剣に向き合うという研究者の倫理さえ持ち合わせていないことを示している。
 国策としての「アイヌ研究」は、1933年に発足した「日本学術振興会学術部第8常置委員会第8委員会」の総合研究「アイヌノ医学的民族生物学的調査研究」によって、大々的に開始された。「生物学的調査研究」という差別的名のとおり、アイヌ民族の頭骨の形質だけでなく、骨格、脳(精神)、内臓、歯などすべてを調査・研究している。
 当然、アイヌ民族の墓地破壊、掘りつくし、遺骨・副葬品を持ち去っている。このコタン(郷里)の破壊をともなった暴力に対して、アイヌ民族は発掘する研究者たちに「やめろ」としがみついたり、鍬などをかざして抵抗したことが言い伝えられている。

 「学振第8委員会」は墓地の破壊、遺骨の略奪は当時の刑法でも処罰されることは十分に知っていた。だからこそ「学振」発足の翌年の1934年に北海道庁に手を回し、「庁令第83号(人骨発掘発見ニ関スル規定)」の適用を緩和させ、「古墳及び墳墓以外の場所」や「考古学上その他特に必要な場合に限り」、北海道庁長官に報告(申請)し、許可を得れば「人骨の発掘」はできるとしたのである。
 児玉作左衛門たちは、墓地であるにもかかわらず「墓地跡」とか、「原野」、「遺跡」と言い換える姑息なやり方によって、遺骨等を略奪した。
また各地の警察署も「人骨の処分」を「許可する」と許可証を交付してきた。
 こうしたやり口による遺骨略奪を「違法行為ではない」といえるのか。それだけではない。死者を弔い、埋葬してきたアイヌ民族の主権、精神(魂)を蹂躙しているではないか!
 私たちは、今、国家権力を背負った「学振第8委員会」(学者)、道庁、警察権力いったいのアイヌ民族に対する「差別研究」を弾劾しつづけ、謝罪とコタンへの返還をかちとらねばならない。
 この闘いは、アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮、中国、アジア・太平洋への侵略と植民地支配のなかで、軍隊の活動と連携して略奪してきた人骨、文化財等の返還問題とも重なっている。また児玉(北大)、小金井(東大)、清野(京大)などの膨大なコレクションを調査し、本来あるべき地域に返還させなくてはならない。オーストラリア連邦政府をはじめ各国、各地域で先住諸民族の返還運動は進められている。

 

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配


         金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)


 1895年、日本の台湾侵略と同時に基隆から西まわりに台南方面に向かって鉄道建設工事ははじまりますが、すでにあった基隆から新竹間の鉄道を接収してそこから台南・高雄に線路を伸ばして行くとは言え、線路があっちもこっちも破壊されていたり、そもそも設備自体が貧弱なために大型機関車が走れない、勾配が少しでもあると乗客が降りて列車を押していたために、「後押付鉄道」と呼ばれる状態でした。あの二人の外国人技師からすれば泣きながら一生懸命作った鉄道であっても、樺山初代総督からすれば台湾防衛と台湾統治の二つの問題を解決することはできない、全然ダメなものであって治して使うぐらいならはじめから作り治した方が良い状態だったのです。前号にも書いた西川著の『台湾縦貫鉄道』(人間の星社)には荷役や力仕事を軍夫として動員された相撲取りの力士たちが列車を押す場面があります。本来ならば荷物を運んだり力仕事は馬が使われるはずですが、日本の軍隊は馬を輸送艦に乗せれば場所を取る、当然、馬も一頭、二頭ではありませんから、何頭も乗せなければならない、その分だけ餌も乗せなければならない状態をなるべく避けて、その役割を博徒によって日雇人足として集められた力士たちにやらせたということです。
 こうしてはじまった鉄道建設ですが、台湾の地図をみてもらえればわかりますが、台湾というのは海岸線が真っ直ぐなために入り組んだ場所が少なく資材を積んだ輸送船を停泊できる港湾が整っていませんでした。さらにこれが一番大きな問題ですが、鉄道建設工事に必要な資金がたちまち底をついてしまい工事が中断してしまったのです。そのため1899年、台湾総督府民政長官の後藤新平は総督府に鉄道部を創設して工事を再開しました。このような難工事を経て1908年の4月に縦貫鉄道として基隆〜高雄までの約400キロが開通したのです。
 これは大阪府立図書館でみつけたものですが、台湾総督府から1910年に出版された鉄道史(上)には、このような記述があります。

 第三章 吊祭扶助
 鉄道課職工の死亡する者は軍人の戦死と同しく二十七年勅令第百六十四号に依り吊祭及扶助を賜ひ諸職工の死者あるときは台湾の兵站司令部より其の遺骨遺物及死亡診断書を本人原籍地留守師団へ送付し・・・・、 とあるように鉄道建設現場でなんらかの理由で死んだ者は軍人の戦死と同じ扱いだったわけです。
                     (詳細は次号に)

 


北大糾弾ニュース 78号 2019 年2月28日発行

 「坪井正五郎と吉見百穴」
    室山 祈 (ピリカ全国実・関東グループ)

 

私の卒業した高校の近くに古墳時代後期遺跡「吉見百穴」があります。地元埼玉では結構有名で少年ドラマ「ナショナル・キッド」「仮面ライダー」や「おもいっきり探偵団」のロケ地にもなっています。ところがこの遺跡が坪井正五郎と関わりがあるのです。
  坪井正五郎(東大理学部教授)といえばあのおぞましい小金井良精(東大医学部教授)と共謀してアイヌ民族の墓を荒らし回った極悪人ですが、それが「吉見百穴」に隣接する吉見町埋蔵文化財センターでは、「日本人類学の父といわれる坪井正五郎大先生」と崇め奉られていました。1887年東大大学院卒業論文作成のため「吉見百穴」を坪井は、調査しています。その時の写真が公開されていますが、東大の学生服を身につけ、遺跡の前で、さも偉そうにふんぞりかえっている姿を見たら、誰でも一目で「こいつヤナな野郎だな」と思います。ところが、この埋蔵文化センターで出されている坪井正五郎を紹介したパンフレットを書いた人が、私が高校時代に生徒会機関誌活動をしていた時の顧問の先生だったのです。当時日教組のバリバリの活動家の先生で「世界史」の先生でした。
 この先生は後に埼玉県の歴史博物館の館長になったり、大学の先生になったりして2年ほど前亡くなった方ですが、この人が坪井正五郎を「吉見百穴」の歴史的意義を発見した人だと言わんばかりの大賛辞をしているのです。歴史を研究しているのなら坪井正五郎がアイヌモシリでアイヌ民族の墓を小金井と共に荒らし回った事を知っていたはずですが、この事には一切触れていませんでした。
 坪井正五郎についてもうひとつあります。2年ほど前に博多に行った時、博多人形館で世界各国の民族衣装をつけた博多人形のコーナーがありました。そこに何と坪井正五郎の写真と業績が展示されていました。まるで「人類館」事件を居直るような内容でした。このように、アイヌ民族遺骨を小金井良精と共に盗掘した坪井正五郎が人類学や考古学の父のように言われ、その影で彼が行った「学問の暴力」を問いただせない現状をなんとかしなければならないと思います。そして「民族共生空間」という空虚な掛け声のもとにアイヌ民族の遺骨を蹂躙する「慰霊・研究施設」なるものが2019年秋〜20年はじめに、白老町で開設されようとしていますが、私たちは絶対にそれを許してはならないと思います。
 
野宿者対策とむすびついた植民地支配
    金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 

1894年8月1日にはじまったとされる日清戦争は翌年の4月17日に下関講和条約の締結によって終わったことになっています。しかし、近代日本にとって最初の対外戦争となったこの戦争が1894年8月1日に 突如勃発したわけでもなければ、1895年4月17日に終結したわけでもなく、8月1日の戦争勃発にいたるまで戦火の火種はくすぶっていたし、下関講和条約の締結後も戦火の火が消えたわけでもなかったのです。そればかりか戦火の火はその後、20世紀前半の50年間に渡って燃え続け今もくすぶっています。
 表面的には戦争の終結とされた下関講和条約に対して怒りや敵愾心、あるいは屈辱を感じたのは戦争に敗けて、領土を割譲されて莫大な賠償金をとられた清国側だけではありませんでした。下関講和条約に書かれた、「朝鮮が完全な独立国であることを確認すること。」と朝鮮の代表のいない所で日本と清国の間で勝手に独立国にされて実質は日本の支配に置かれた朝鮮もまた怒りや屈辱感を押さえることができなかったでしょう。一方で戦勝国であるにもかかわらず、三国干渉を突きつけられた日本側もそうですが、それとはまた別の意味で屈辱感を持った者たちがいました。
 それは宇品港、つまり広島から4月10日に出撃して大連に到着した4月14日に全戦線に休戦命令がくだり――すでに3月30日、台湾以外の地で停戦が調停されていたにもかかわらず清に出撃した! ――17日には下関講和条約が締結したため何もやることがなくなった兵隊たちのことです。だからと言って大連や旅順観光をする気にもならず――兵隊たちは戦争のために来たのですから――軍艦で油を売っていました。しかし、日本政府はその兵隊たちにいつまでもムダ飯を食わせて油を売らせはしませんでした。下関講和条約で台湾割譲が決まると同時に台湾に転進命令を下したのです。その約1ヶ月後の5月22日に北白河能久親王が乗った薩摩丸を先頭に16隻の軍艦が旅順港から出撃しました。そして、5月29日、台湾北部の奥底での戦闘がはじまりました。
 日本と清の間で「化外の地」として勝手に割譲された台湾では総統に就任した唐景鷭簓錣台湾民主国宣言を発し、民衆も抵抗闘争に起ち上がりましたが、休戦による 抑圧を爆発させた日本軍を押し止めることはできませんでした。作家、西川満は台湾縦貫鉄道(人間の星社)で従軍写真技師、いわば戦場カメラマンの恒川清一郎の目を通じてこの時の兵隊たちがいかにいきいきと台湾に侵攻して行ったかを書いています。
 6月7日、日本軍はベッケル技師、マシスン技師の涙の結晶と言うべき台湾縦貫鉄道――1893年にようやく基隆から新竹まで約100キロが開通しました。新竹から終点の高雄まで322キロです――残されたドイツのホーヘンツォレルン社が1887年に製作した蒸気機関車を接収しました。それは初代巡焦、劉銘伝が命名した騰雲1号でした。1895年6月10日には修繕を終えて基隆から台北まで、7月10日に新竹間の運行しました。こうして日本は植民地政策に不可欠な鉄道を獲得し、それ以後、台湾全土に鉄道を建設していきます。しかし、その鉄道建設工事は台湾原住民たちを「賦役」として動員し使い棄てた奴隷労働そのものでした。 (つづく)

 


北大糾弾ニュース 77 号  2019 年 1 月 23 日

遺骨返還の闘いは継続中、

    北大は話し合いに応じろ!
           村田 遼(ピリカ全国実・札幌圏)


 昨年6月24日、旭川地方裁判所での「和解」に基づいて、遺骨と副葬品の返還をかちとり、皆さんの支援もあって埋葬と供養の儀式(イアレ)を終えた。しかし、北大にたいする闘いはこれでもって終わったのではなく、以下の重要問題が残されているので継続した。
 昨年7月17日、旭川アイヌ協議会は北大の総務部を訪れ、課長に対して丁寧に申し入れの趣旨を説明し、北大総長・名和豊春に以下の申し入れ書を手渡した。
 「質問と話し合いの申し入れ」と題したその申し入れ書の要旨をはじめに紹介する。
 今回の民事裁判での『和解』協議という形では解決しえない以下の3点の問題が存在することが、裁判の経緯で明らかになった。その3点とは、
、北大は、名前が特定できている男性の遺骨の名前、住所、記録などを、埋葬主体である旭川アイヌ協議会に教えていただきたい。
、情報公開制度によって北大から取り寄せたデータに、副葬品に「ガラス玉2ケ」が存在するとの児玉メモがある。しかし北大は裁判での準備書面で「今は保管していない」としているが、なぜ無くなってしまったのか、真実を明らかにすべきである。
、2013年3月発行の『北大医学部調査報告書』の22〜23頁に、1936年2月3日〜2月11日の期間、旭川市近文で184人のアイヌ民族に対して、人類学的計測、頭部の「精密ナル」生体測定、頭部の「正確ナル」三方面からの写真撮影、さらに「アイヌ」人容貌ノ人類学的観察も行ったと書いている。このような計測、撮影、観察などはアイヌ民族の人権を蹂躙し、侮辱している。北大はこれら人権を侵害している「個人情報」を、私たち旭川アイヌ協議会に閲覧させ、そのとり扱いについて話し合いをすることを要請する。以上の3点について北大総長、医学部長たちとの話し合いを求める。
 しかしながら、北大は「すべては終わっている」との態度でもって、文書「回答」もよこしていない。
 遺骨の返還時に際して、返還に臨んだ北大副学長は、川村シンリツ・エオリパック・アイヌ会長から「遺骨を盗んで研究材料にしたのであるから、謝罪せよ」と迫られても、無言を決め込み、謝罪しなかった。その姿勢が今回の話し合い拒否にも貫かれている。
 引き続き北大を追及していく決意です。支援よろしく。

 

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配     

     金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
 

 2018年10月23日、台湾の東部を走る宜蘭線の普悠瑪(プユマ)号で脱線事故が起きました。この線路もまた日本の植民地政策で作られた物です。粗い読み方をするなら15世紀以降のヨーロッパ各国間の植民地資源の強奪は18世紀後半の産業革命で誕生した蒸気機関車は鉄道によって港の貿易船と結びついたことで資本主義経済をより暴力的に発展させました。さらに1871年、ドイツはフランスとの戦争に蒸気機関車で兵隊の輸送することで勝利し、南北戦争以降、欧米列強各国は機関車そのものを武器にした列車砲の開発に乗り出していました。このような欧米列強国の植民地強奪戦争に遅れて参戦した新興国の日本もまた北海道開拓を掲げて鉄道建設を行いました。
 台湾での鉄道建設は1887年に基隆から西へ向けてはじまります。1884年の清仏戦争で台湾の防備で功績をあげた台湾巡撫(知事に相当)の劉銘伝によって国防の観点から鉄道建設が提唱されました。いわば、欧米列強の植民地支配に抗するために鉄道建設がはじまったわけです。清末期に起こった欧米の近代文明を取り入れて国力増強する洋務運動推進派として、衛生事情の改善や電信ケーブルやガス灯設置などのインフラ整備などの改革に取り組んだ劉銘伝の意気込みは、保守勢力の強い中国本土、つまり、このごに及んでもまだ手を打たない清政府に見切りをつけて福建省から台湾を分離して新たに台湾省を作り自分が巡撫になるほどでした。このような時代背景から台湾での鉄道建設がはじまったのですが、その鉄道建設にイギリス人のH・Cマシスン技師、ドイツ人のベッケル技師が呼ばれました。国防のための鉄道建設にアヘン戦争で銀を強奪し人民を廃人にしたイギリス、台湾の植民地化を主張する新興国ドイツに頭を下げなければならないとすれば、一体、何のための国防だったのでしょうか。それが名ばかりのものであったことは、洋務運動推進派にイギリス軍と共に太平天国を壊滅させ、下関条約で清側の全権大使として台湾を化外の地と言って日本に差し出した李鴻章がいたことからも明らかでしょう。
 1853年のロシア艦隊、1854年のペリー艦隊が日本に来た際、両国とも蒸気機関車のモデルを持って来ました。つまり、植民地政策を意図する欧米列強各国にとって蒸気機関車をちらつかせることで政治を行ったということです。台湾もまた例外ではありませんでした。しかし、イギリスやドイツの欲望とは裏腹に基隆から台南までの鉄道建設工事は台北までの28,6キロの鉄道建設工事が4年がかりで測量がまだ半分も進んでいない難工事になりました。一体なにが原因だったのかと言えば、鉄道工事の作業員たちにやる気がなく勝手に工事予定の経路を変えたり、線路沿いの畑の物を無断で食べたり、測量の杭を抜いて飯炊きの薪にしたり、線路を敷くと風水が悪いと地元住民たちが抗議したためです。
 イギリスが1876年に上海に建設した呉淞鉄道の列車が開通する前に地元住民の、鋼鉄の車体のために悪魔の使徒として、疫病を蔓延させる物として、身内を不幸にさせた物として鉄道会社は焼き討ちされ、線路は剥がされ、列車を川に投げ捨てて歓声をあげて爆竹を鳴らした悪夢の光景がマシスン技師の脳裏によみがえったにちがいありません。
 相方のベッケル技師にまで逃げられたこの鉄道は、1891年に何とか開通にこぎつけました。マシスン技師にはここから台南までさらに鉄道工事をしようという気力も財力も残っていませんでした。台湾省の役人たちが腐敗堕落して各種事業を担保にしたため財政が疲弊したからです。この鉄道を日本が台湾占領と同時に接収したのです。 (つづく)


北大糾弾ニュース76号 2018.12.12発行


琉球民族遺骨返還訴訟が訴えるもの
 
           木村敬(ピリカ全国実・関西)
 
 1928〜29年に沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の百按司墓(むむじゃなばか)より京都帝国大学の金関丈夫(かなせきたけお)が持ち出した遺骨の返還と損害賠償を、京都大学に対して求める「琉球遺骨返還請求訴訟」が12月4日にはじまった。
提訴当日の夜に行われた報告集会では、「京大・アイヌ民族遺骨問題の真相を究明し責任を追及する会」とピリカ全国実・関西も、アピールする機会を得た。この訴訟が、アイヌ民族遺骨返還問題と深く関わりがあることを示すものである。
 「京大・追及する会」は、2013年より京大にあるアイヌ民族遺骨返還を求めて活動してきた。京大は、話し合いはおろか、申し入れすらする機会を与えず、署名をも送り返す状態にある。琉球遺骨返還に対しても、まったく同じ対応をしている。これは京大が、自らの帝国主義侵略に加担してきた歴史と、人類学の下で行ってきた犯罪を隠すために、問題の拡大をおそれているからではないだろうか。しかし実際に、琉球遺骨返還訴訟をはじめ、様々な団体からの抗議やアピールがおこるなど、問題は目に見えて拡大している。私たちは琉球遺骨返還訴訟と連携し、京大の責任を追及し続け、植民地拡大の中で奪われてきたすべての遺骨返還につなげていかなければならない。
 また、今回の訴訟について注目すべき点の一つに、原告5人の顔ぶれがある。亀谷正子さんと玉城毅さんは百按司墓に葬られた第一尚氏の子孫であるが、松島泰勝さんと照屋寛徳さん、金城実さんは「琉球民族であり先住民族」として原告となっている。アイヌ民族は日本政府も権利保障ぬきではあるが「先住民族」として認めている。その一方、国連が日本政府に対し、先住民族であると認め、差別是正を行うよう勧告しているにもかかわらず、いまだ琉球民族は「先住民族」と認められていない。3人の原告適格性を裁判所が認めたならば、日本の「祭祀承継権」ではなく、琉球民族を先住民族としての特別性を有することを考慮したということになる。つまりこの裁判は、琉球民族が先住民族であると認めるかどうかを法的に問う最初の裁判であるとも言える。遺骨返還訴訟であることは言うまでもなく、先住民族権を求めた訴訟であることを意識して支援していきたい。

 

<琉球遺骨返還請求訴訟原告団はカンパを求めています>
  ゆうちょ銀行那覇支店 01750-6-170058  松島泰勝 あて
 
野宿者対策とむすびついた植民地支配
            金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)
  
 1927年、台湾総督府交通局鉄道部が編集、発行した『台湾鉄道旅行案内』に台東線の台東駅の付近案内、つまり観光名所として、「岩湾浮浪者収容所」が書かれています。
 

<岩湾浮浪者収容所>
 停車場の北一里半卑南大渓の右岸に近く、手押台車の便あり、二時間で往復することが出来る。現在収容人員三十四名耕作、牧畜、手工等に従事して居る。
 このような他民族に対する暴力性は1981年のJTBによる、「本物のアイヌ部落見学、毛深いアイヌの古い風習と文化を見学」の趣旨でアイヌ民族を見世物として売り出した民族差別事件(編集部注:日本交通公社がジャパンタイムズ上に北海道ツアーの広告を載せたものが差別的であるとして、「日本交通公社のアイヌ差別を糾弾する会」が日本交通公社とジャパンタイムズ社に謝罪を要求した)に連なるものです。改めて1903年、大阪の天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会で沖縄人、アイヌ民族、台湾人、朝鮮人などが展示された人類館事件を想起しなければならないでしょう。しかし、原住民を「浮浪者」として取り締まった収容所をみて何を思えと言うのでしょうか。この旅行案内に書かれた原住民の説明について読んでみます。
 生蕃は主に行政域外の山地に居住し平地には観光の為にまれに警察官等に引率されて下山する位のもので、普通台湾へ来ても平地では容易に蕃人は見られないのである(台湾鉄道旅行案内『蕃人の話』より)
 日清戦争からわずか30年で台湾では原住民を見ることができなくなったというわけです。そこにどれだけの弾圧と皇民化政策があったか分かるかと思います。そして、驚くことにここで書かれているように警察官等が観光のために山から原住民を連れて来ていたのです。警察官等が連れて来る、それだけで観客がどのように反応したか想像がつきます。連れて来られた原住民が観客の前でどう振舞おうとも、いつの時代も警察官等に連れて来られるような者が好意的に見られたためしはありません。思いきって言えば、そのような者は「犯罪者」です。しかし、その見世物興行もまれにであって、台湾に行けばいつも見れるというような物ではありませんでした。
 それでも原住民を見たければ台東に行けと言うことでしょう。
  (編集部注)台湾では先住民族が自らを「原住民」と称しています。そのため筆者は、原住民という用語を利用しています。


琉球新報より 2018年12月6日

京大、遺骨保管認める

奄美群島4体 調査「時間要する」

 

奄美地方から持ち出された遺骨を保管していた

箱の一部とみられる板(ピリカ全国実・関西提供)

 

 

 旧帝国大学の人類学者らが奄美群島から持ち出した遺骨が返還されていない問題で、京都大学は5日までに、喜界島から持ち出された4体の遺骨を保管していることを認めた。京都帝国大学(現在の京都大)で教授だった清野謙次氏(1885〜1955年)や門下生が持ち出した遺骨とみられる。遺骨が京都大学に寄贈されたことは文献などから確認されていたが、京都大が認めたのは初めて。


京都大は琉球新報に「1994年9月から12月ごろに人骨を適切に保管するため、保管箱を交換した。指摘の人骨は移し替えた保管箱に収納し、現在、本学総合博物館の収蔵庫において保管している」と答えた。収蔵された経緯については「順次調査を進めているが、学術的観点からの精査を経た全体の正確な把握にはなお時間を要する」として答えなかった。

遺骨を巡っては保管箱の一部とみられる板が京都大学のゴミ集積所で見つかった。板には「清野蒐集(しゅうしゅう)人骨」「大隅國(おおすみのくに)大島郡喜界村赤連ダンムチノ下」などと書かれており、4体分の標本番号が記されていた。板は現在、沖縄の「アイヌ民族と連帯するウルマの会」が保管している。

奄美群島の研究者らでつくる「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」は、ごみ集積所に板を置いたことに対して京都大に抗議した。同会の調査によると、奄美群島から計260体余の遺骨が持ち出されている。

 

 

 

 

 

 

 

 


「北方領土の日」反対!北大人骨事件糾弾!「アイヌ新法」実現!第25回札幌全国集会に参加を!


  アイヌ・琉球民族の遺骨返還をかちとろう!
−白老「慰霊・研究施設」開設を許すな! 

  憲法改悪、天皇即位式典に反対しよう!

 


【集会要綱】
第25回「北方領土の日」反対!北大人骨事件糾弾!アイヌ新法実現!札幌全国集会
1月27日(日)午前9時半〜午後3時半。終了後デモ行進
会場・札幌市教育文化会館(地下鉄東西線「西11丁目」)  参加資料代千円

 

メインの発言者(敬称略)

・川村シンリツ・エオリパック・アイヌ
・松島泰勝(龍谷大学教官): 琉球民族の遺骨返還裁判原告

・三木ひかる(ピリカ全国実、史的唯物論研究所)

 

アイヌ民族の訴え

 ・木幡サチ子(ユーカラ伝承者)、

 ・木村二三夫(平取)
   ・葛野次雄(静内)

 ・帆江進(有珠)

 ・平田幸(レラの会)

 ・荒木繁(札幌)

 

 ・木幡寛(札幌)
道内、全国からの報告、集会決議採択

 

◇全国集会の終了後、午後5時半、同会場
「ピリカ全国実代表・山本一昭さん追悼集会」を開催。参加費(弁当・飲み物付)千円◇



 ピリカ全国実行委員会(「北方領土の日」反対!アイヌ新法実現!全国実行委員会)
        〒003-0021札幌市白石区栄通10丁目5-1-301 電話・FAX011(375)9711
   賛同カンパの送り先(郵便振込口座02740−4−1679 ピリカモシリ社)



札幌全国集会へのよびかけ
 

全国の会員、仲間のみなさん!
  私たちは、アイヌモシリ略奪・植民地支配、アイヌ民族虐殺・差別・同化政策の全歴史を肯定する「開拓史観」を賛美する「北海道150年式典」を弾劾して、昨年8月4〜5日、天皇出席の「北海道150年式典」反対!アイヌ民族連帯札幌集会・デモにとりくみました。
 安倍改憲政権は、2020年新憲法施行にむけ、19年7月参院選前に改憲案発議を急ぎ、改憲国民投票実施、天皇制再編強化(天皇退位・即位)−元首天皇制確立、「戦争する国家」へとつきすすんでいます。また日本独占資本による低賃金の単純労働力確保を目的に、かつ外国人労働者を治安対象とする徹頭徹尾人権無視の出入国管理・難民認定法改悪案を強行成立させました。

 

   アイヌ民族の主権を蹂躙する「日ロ領土交渉」に反対する
 11月14日、シンガポールでの日ロ首脳会談で、日ソ共同宣言(1956年)を基礎として、平和条約締結を加速することで「合意」し、安倍首相は「2島先行返還」に舵をきりました。アイヌ民族を無視した日ロ領土交渉を進めること自体がアイヌ民族の自決権、先住権をさらに蹂躙するものであり断じて許すことはできません。
さらに政府はアイヌ民族の自決権・先住権を完全に否定し、アイヌ文化の地域振興策として「アイヌ新法」の制定を策しています。
1980年海馬沢博さんが北海道大学に遺骨・副葬品の返還を要求して以来40年、アイヌ民族のねばり強い闘いによって、遺骨返還訴訟での「和解」が成立し、ようやく遺骨が返還されました。しかし、40年にわたるアイヌ民族の強い抗議にもかかわらず、謝罪も賠償もなく、ごく一部の遺骨が欺瞞的に返還されただけです。日本政府、大学はほとんどの遺骨を本年度中に北海道白老町に開設する  「慰霊・研究施設」に集約し、引き続き「研究材料」にしようとしています。
  この「研究」は、日本民衆のなかにアイヌ民族蔑視と差別をいっそう深く浸透させ、天皇制国家の民衆支配のイデオロギーとして大きな役割を果たしました。アイヌモシリ侵略を当然視する日本政府、各大学は、墓地破壊、遺骨・副葬品略奪について何のとらえ返しも反省もありません。

 

    天皇制日本国家のアイヌモシリ、琉球への植民地支配の歴史を弾劾する
  日本労働者人民がアイヌ民族の遺骨返還の闘いに連帯することは、天皇制国家のアイヌモシリ侵略の歴史、したがって自らが侵略者、差別者に仕立て上げられ皇民化された歴史をとらえ返し、労働者人民自身として自己を確立、解放する闘いです。遺骨返還の新たな局面を切り開くため奮闘しましょう。
12月4日、琉球遺骨返還訴訟原告団(5人)が京都地裁に京都大学を相手に「琉球人遺骨の島への帰還」を要求して提訴しました。原告の松島泰勝さん(龍谷大学教授)は、「琉球人遺骨の盗掘と日本の琉球に対する帝国主義、植民地支配と深く結び付きながら行われました。日本帝国主義からの解放を求める、琉球人の自己決定権行使が遺骨返還の闘いなのです」(11・18アイヌ民族連帯!大阪交流集会への連帯メッセージ)と述べています。また「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」が3月にたちあげられ、「遺骨返還を求める要望書を政府や京都大学に送ったが回答はない」(琉球新報 18年11月17日)と報道されています。琉球民族の遺骨返還訴訟を支援する会が東京、奈良、大阪など各地で立ち上げられ、支援の輪が広がっています。
琉球民族の遺骨略奪は日本天皇制国家の沖縄併合をまざまざと示す証左であり、その返還要求は琉球・沖縄人民の併合粉砕、自決権獲得の重要な内容をなすものです。琉球民族の遺骨返還運動に連帯し、連携した力でアイヌ民族、琉球民族の遺骨返還をかちとりましょう。白老「慰霊・研究施設」への一括集約を阻止しましょう。
12月14日、政府・防衛省は辺野古新基地建設反対の沖縄の民意をないがしろにし、辺野古沿岸部への土砂投入を強行しました。琉球・沖縄人民は、工事再開当日から海と陸で、工事阻止の大衆的直接行動を連日闘いぬいています。沖縄・ヤマトを貫いた土砂投入阻止の闘いをつくりだしましょう。
  沖縄、関東、関西でも集会を準備しています。多くの仲間の参加を呼びかけます。(2018年12月15日)

 

 

各地の集会案内

■沖縄■20192月9日(土)13時15分〜17時

 2・9琉球・アイヌ民族の遺骨返還を求める沖縄集会

       報告:木村二三夫さん(平取)

 会 場:沖縄キリスト教センター(宜野湾セミナーハウス)

 主 催:第21回「北方領土の日」を考える企画

■関西集会■201922日(土)18時〜

 報告:木幡 寛さん(札幌) 

会 場:国労大阪会館/

  主 催:ピリカ全国実・関西

■関東集会■201923日(日)13時半〜

 報告:木幡 寛さん(札幌)

  会 場:渋谷区勤労福祉会館/

  主 催:ピリカ全国実・関東グループ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北大糾弾ニュース 75号 2018年10月31日


「近世蝦夷人物誌」(松浦武四郎著)を読む
       片山岩一(ピリカ全国実関東グループ会員)

 今年はアイヌモシリが「北海道」と命名され内国植民地化されてから150年にあたる。去る8月5日、安倍政権が「明治150年」事業の重要な事業の一環としていた天皇出席の「北海道150年記念式典」が開催され、ピリカ全国実の呼びかけで反対行動が取り組まれた。
 「北海道150年」を期に「北海道」の名付け親といわれる松浦武四郎がクローズアップされているが、彼がアイヌモシリ調査・探検でどんなことをしたのか、その一端を直接知りたいと思い、主著と言われる「近世蝦夷人物誌」を手にした。青土社刊「アイヌ人物誌」(更科源蔵・吉田豊[訳])である。
 同書は、100名以上の人物を取り上げ、その剛毅、義勇、忠、孝などについて述べているが、併せて場所請負制度のもとで松前藩と結託した和人商人らのアイヌ民族に対する悪虐非道ぶりを告発し非難している。例えば「孝子ウナケシ」の項では「文政5年(1822年)の松前藩お引渡し当時は戸数366軒、人口1326人もあったというが、今ではわずか173軒、人口350人になったという。その理由を聞いたところ、こうであった。同地(網走)ではアイヌが16、7歳になると男女の差別もなく国後島、利尻島などに連行して働かせ、娘は番人や和人漁夫の妾とし、夫があれば夫を遠くの漁場にやって思うままにする。男のアイヌは昼となく夜となくこき使って、耐えられず病気にかかれば雇蔵(やといぐら)というところに放置して、一さじの薬、一杯の飯も与えずにおき、身寄りのものが食物を運んでやるだけである。」と記している。他にも場所請負制度のもとで酷使・暴圧・陵辱され、疲弊していくアイヌ民族の姿が随所に記されている。

 そして同書の後書でこう記している。「さて、こうして三巻の原稿を書き終わり、やっとのことで机上に筆を置こうとしたところ、この5、6日の疲れに心身くたびれ果てて筆を投げ捨てて机に寄りかかった。一眠りしたかと思う間に、私の心は陸奥の山河を過ぎ、7里の海峡の怒涛を越えて箱館の港へとたどりついたのである。そして、私も一度は行ってみたいと思っていた箱館山上町にこの度竣工したという三階建ての料亭に行ってみると、そこには富貴をきわめて栄えておられる役人方が同地に名高い芸妓たちに三味線を奏でさせ、蛇足園の菓子、武蔵野料理を並べ、請負人、問屋、大工の棟梁、支配人どもが太鼓持ちをつとめて歌えや舞えと歓楽を尽くしておられた。そのとき、座敷を吹き抜ける一陣のなまぐさい風に振り返って見れば、大皿に盛られた刺身は鮮血したたる人肉、浸し物はアイヌの臓腑、うまそうな肉は人の肋骨、盃に満ちているのは、みな生血ではないか。二目と見られぬそのありさまに周囲の襖を見ると、描かれた聖賢の画像はアイヌの亡霊と変わって、ああうらめしや、うらめしやと訴える声に、思わず目をさました。」「このアイヌたちの恨みの声を、私だけでなく各界有識者の方々に知っていただきたいとの願いによって、松浦武四郎源弘(みなもとのひろし)は、このように記し終えたのである」。
  和人社会の歴史的なアイヌモシリ侵略とそれを格段に強化した明治天皇制国家のアイヌ民族絶滅政策こそ「明治・北海道150年」であることを肝に銘じたい。

 

野宿者対策とむすびついた植民地支配
             金羽木あつし(釜ヶ崎パトロールの会)

 

 1920年の第44帝国議会での『台湾ニ施行スベキ法令ニ関スル法律 改正案』上程に際して中野正剛の関連質問―台湾の原住民に対する島流しに他ならない『浮浪者対策」に関する政府非難―に対して、1919年の10月29日に第8代の台湾総督に文官から初めて就任した田健治郎は、こう答弁しました。安平政吉の『台東開導所について』を引用します。
 そこで説明役の田総督は、台湾に「浮浪者取締規則」というもののあること、その適用として火焼島送りをしていたこともあるが、現在では「岩湾」に設備を移していること、なお現在では、浮浪人処分に付すべき者は、まず一応警告を発し、その警告を省みずして、なお不都合の行動を行ったときは、台湾総督に具状して、その認可を得て、はじめて浮浪人取締を施行することに改めている旨を答えたのであった。
 つまり、田総督は中野正剛が言うような、台湾の学生だろうと原住民だろうと不穏な言動があっても、いきなり捕まえて島流しにするようなことはない。ちゃんと順を追って対処していると言いたいわけです。ここで確認しておきたいのですが、台湾の原住民を浮浪者として島送りにする際の権限は警察にありました。そもそも、一定の住居生業をもたずして、公安を害し、風俗を乱すおそれ云々と言ってみても、それが一体どのような犯罪になのかと言えばその根拠は不明確で、結局、個々の警察官の性格や気分次第で島送りにされる者とされない者がいたと言うことです。しかし、 なぜこんなことになるのかについて、講談社から出版された、乃南アサ著『ビジュアル年表 台湾統治五十年』を読んでみます。
 もはやすっかり西欧列強と肩を並べた気になっていた日本人。だが、当時の台湾での暮らしぶりといえば、まず「この暑さ[夏の記事] の中で、内地人は男も女も百人中九十人までが、褌一つ、腰巻一つの裸で」(竹中信子『植民地台湾の日本女性生活史2<大正篇>』(田畑書店))過ごしていたのだから拍子抜けする。
 当時[内地人」と呼んでいた日本人に対して[本島人] と呼ばれていた台湾人は、肉体労働者である苦力でさえ真っ裸にはならないというのに、日本人はといえば「妙齢の婦人が真っ裸で裏口の水道の水を浴び」たりしているものだから、台湾人は日本人を「『生蓄のようだ』と思った」(共に同前)らしい。
 『一視同仁』、『同化主義』、『内地延長』、『皇国臣民』等々の天皇制四文字熟語を吹聴してみても、フタをあけてみれば結局こんなものだったということです。原住民には公安を害するの、風俗を乱すのと説教をたれておきながら、日本人たちは堂々と裸でいたわけです。現地住民の顔をいきなりビンタしたり、バスの中から道路に向けて立ちションしたりと植民地での日本人の態度の悪さは戦後も言われ続けてきました。このことは 台湾でも例外ではなかったのです。
 はなしをもどしましょう。田総督の答弁はとうてい中野正剛を納得させるものではありませんでした。中野正剛が怒っているのは、同じ皇国臣民である台湾の原住民を浮浪者として島流しにしていること自体を問題にしているのであって、それが火焼島であろうと岩湾であろうと怒りのトーンは変わらないでしょう。田総督の答弁を聞けば、火焼島送りをやめて岩湾に設備を移したことで良いこともしているとも受け取れそうですが、何のことはなく、単にあまりに場所が遠すぎて物資の供給も届かなければ、行政の手も届かないという、原住民を火焼島に島流しにしたはずの日本がその距離に悩んだ結果、廃止にしただけのことです。中野正剛の田総督への攻撃はさらに続きます。
 要するに総督の答弁は、自己の功名を、自己の得た報告、自己の一人の判断によって述べているにすぎない。質問に対しては、何等肯綮(こうけい 筆者注/急所)に触れるのはないと言いたい放題です。
  中野正剛がここまでブンブン飛ばした理由として、もう少し考えられるのは、田総督の時代、世界中でインフルエンザ、あるいは 『スペイン風邪』と呼ばれた病気によって世界中で5億人が感染し、死者が5千万人とも1億人とも言われるインフルエンザが台湾でも大流行したことへの危機感があったからではないでしょうか。― 第一次世界大戦が終わったのは実はこれが原因だったのではないかとまで言われています。― 前任の明石元二郎もこれにかかって死去するのですが、台湾でも学校閉鎖、軍隊は演習中止、鉄道も運転中止になります。パンデミックの最悪の事態が今から100年前に起きたということです。15〜16世紀の大航海時代、植民地支配の歴史のはじまりと同時にマラリアや梅毒などの伝染病が世界各地に拡散し多くの先住民族の命を奪っていきました。台湾もまた例外ではなかったのです。立て続けに起こる大地震や台風や伝染病の流行は原住民たちの間に動揺を引き起こしました。原住民たちは、我々の聖地を日本人に冒されたので、先祖が怒るのだと考え暴動になったわけです。中野正剛の質疑はこのような状況から発したものと言っていいでしょう。       (つづく)

 


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